空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ナチス(政権奪取前)「ゆ、許された…!」(※ダメです)

2018-09-26 10:55:17 | ノート





『1984年』とか、さわりだけでも知ってねえのかなこの無教養どもは、とか思う今日この頃。




 うん、権力者から発せられるのであり、人間、どうしたって微細な権力は発するのでね。そういう微細な権力をも問題にして自らをも律する見解が出ていたはずなのだが―権力の問題を指差す機能は十二分に重要だが、そうした指差しをする視線・その主体の権力性についても意識化するという理論水準は、どうも、並みの左翼には行き届かなかった感があり、教育の敗北の一つであるかなあと思われる今日この頃。





 …うん…。

ナチ公(政権奪取前)「ゆ、許された…!」

 ってかんじかな…。いや許しちゃダメなんだが、ちゃんと教えてあげるべきだよなあとか。

 これに対して『ナチスはのちに政権とったじゃないか』みたいな話をする人がいるかもだが、つまりそれを裏返すといま私設思想警察やってるひとたちはこう言っていることになる:

『我々は絶対に政権をとれないし、とるつもりもない。なぜなら我々が政権をとるような未来が存在するなら、いま自分たちがやっていることを正当化することができなくなるからだ』。

 ということで『我々は永遠に暴力行為に責任をとらない・とりえるはずのない主体として暴力を行使していくが、その暴力は公権力の暴力ではないので決して言論弾圧ではありえない』と主張する一方、『しかし我々がある主体を政権に連なるものだと判定したならば、それは事実上・実質上、与党権力と同じものなので、そうした者たちが暴力を行使した場合、当然、与党の支持・指示による無力な人民に対する抑圧と見做す。したがってdada氏がいうような「ヤクザや右翼」は当然「国家による介入」なのにdadaバカじゃねえ?』と言いたいものと思われ、こめかみの痛みに耐えかねる私。







 この点について言うと、ナチスのほうがまだしも政権を奪取して自分の考えるステキ政策を実際に我が手で構築していこうとしただけ、まだしも誠実といえる。選挙に勝とうと、まあそれなりに真面目に妥協でもなんでもやっていったのは、まだしも政治の現場を理解してのことだろう。
 つまりイマドキのアレは心性においてはナチス同様だが、気概においてはナチス以下。



どの媒体でもいいから「こんなにおかしい『杉田水脈』論文」のような特集を組めば良いだけ」なのだが、それができない、やっても売れないと確信できる…というのがここ最近の経験なのだろう。

 これこそが危機の本質を指し示す点であり、真にリベラルを主張する者たちはいまこそ毅然として立ち向かうべきだと信じるところである。具体的には日々の講義で真面目にカントの倫理学を教えたり事あるごとにロールズ・センに言及したり。私としては戦後民主主義者の王道を行くものと理解しており、そのように行動したい。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の”社会主義化” | トップ | まあさっさと正常化してしま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事