内田樹の「不買運動が起こったのだから廃刊しろ」という理屈は「マスコミが散々疑惑を報じたのだから総理をやめろ」という理屈に似ている。「不買運動」や「疑惑の追及」の是非適否を問わず「騒がれたから責任を取れ」という論理。これが通れば世は社会活動家とマスコミという「権力者」の天下になる。
— the_spoiler (@don_jardine) 2018年9月23日
とりあえず、「誰も休刊に追い込んでないよ」というお言葉を頂きましたが、それについては言論人である内田樹先生がこのように新潮社の社員に伝えて、Twitterでも呟かれた以上、内田先生は休刊に追い込んだ方と言えると思います。 pic.twitter.com/seORUcZcWE
— 事務課リー (@zimkalee) 2018年9月25日
つうか、両陣営が次の獲物向けに布石打ち始めてる気がするのですよ。キオスクに並べる雑誌がなくなっちう……
— 廃色仔猫@廃墟フレンズ (@haiirokoneko_13) 2018年9月25日
『1984年』とか、さわりだけでも知ってねえのかなこの無教養どもは、とか思う今日この頃。
ダダさんが言ってることってなんか変ではないか。「弾圧」っていうのは、私の意識では権力者側がやることなんだけど。民間人が反対したり不買・非売運動するのを「弾圧」っていう?いわないとおもうんだけど。
— Kase Tamami (@Tamami_Kase) 2018年9月22日
最近はそうなっているのですか。私の認識では「弾圧」は表から裏からかわらず権力者から発せられるもので、個人が自主的にやっているものについては使わない認識です。なおdadaさんが指摘されていた「弾圧」は個人的か組織的なものなのかはっきりしないものも含まれているように思えました。
— Kase Tamami (@Tamami_Kase) 2018年9月23日
うん、権力者から発せられるのであり、人間、どうしたって微細な権力は発するのでね。そういう微細な権力をも問題にして自らをも律する見解が出ていたはずなのだが―権力の問題を指差す機能は十二分に重要だが、そうした指差しをする視線・その主体の権力性についても意識化するという理論水準は、どうも、並みの左翼には行き届かなかった感があり、教育の敗北の一つであるかなあと思われる今日この頃。
ばーか、その理屈ならヤクザや右翼が公序良俗を乱すってコミケ取り囲んでも「国家による介入じゃないから言論弾圧じゃない」って言えちゃうじゃんよう。 https://t.co/V4J9GG0NmQ
— dada (@yuuraku) 2018年9月22日
つまり政権取るまでナチスはユダヤ人弾圧してないってことか?
— Alsnova (@alsnova) 2018年9月23日
ふーん
…うん…。
ナチ公(政権奪取前)「ゆ、許された…!」
ってかんじかな…。いや許しちゃダメなんだが、ちゃんと教えてあげるべきだよなあとか。
これに対して『ナチスはのちに政権とったじゃないか』みたいな話をする人がいるかもだが、つまりそれを裏返すといま私設思想警察やってるひとたちはこう言っていることになる:
『我々は絶対に政権をとれないし、とるつもりもない。なぜなら我々が政権をとるような未来が存在するなら、いま自分たちがやっていることを正当化することができなくなるからだ』。
ということで『我々は永遠に暴力行為に責任をとらない・とりえるはずのない主体として暴力を行使していくが、その暴力は公権力の暴力ではないので決して言論弾圧ではありえない』と主張する一方、『しかし我々がある主体を政権に連なるものだと判定したならば、それは事実上・実質上、与党権力と同じものなので、そうした者たちが暴力を行使した場合、当然、与党の支持・指示による無力な人民に対する抑圧と見做す。したがってdada氏がいうような「ヤクザや右翼」は当然「国家による介入」なのにdadaバカじゃねえ?』と言いたいものと思われ、こめかみの痛みに耐えかねる私。
こういう感覚もつ人がいるの本当に不思議。
— もへもへ (@gerogeroR) 2018年9月23日
民間がやるなら言論弾圧じゃないとかいいだしたら大企業が金と動員力で企業を告発する市民におどしをかける(実際いくらでもある)のは言論弾圧にならないことになる。
というか民間がやることは言論弾圧にならないって妙な考えどこから生まれたんだ? https://t.co/Iz17MnzqST
民間の弾圧は言論弾圧じゃないとかいいだしたら在特会の朝鮮の人にたいする行動も言論弾圧じゃなくなるしナチスだって初期は権力者側じゃなかったからOKになってしまう。
— もへもへ (@gerogeroR) 2018年9月23日
出版社への干渉を賞賛したり、リベラルがどんどんナチスドイツに近づいているのは寒気がする
— 西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ (@Lkpi8dEIKmF7bi1) 2018年9月22日
この点について言うと、ナチスのほうがまだしも政権を奪取して自分の考えるステキ政策を実際に我が手で構築していこうとしただけ、まだしも誠実といえる。選挙に勝とうと、まあそれなりに真面目に妥協でもなんでもやっていったのは、まだしも政治の現場を理解してのことだろう。
つまりイマドキのアレは心性においてはナチス同様だが、気概においてはナチス以下。
端的に言って「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集に対してはどの媒体でもいいから「こんなにおかしい『杉田水脈』論文」のような特集を組めば良いだけではないか。月刊論壇誌が元気だった頃にはそういう応酬がよく見られたと思うが「廃刊にしろ」なんて言い募るのは見たことがない。
— the_spoiler (@don_jardine) 2018年9月23日
「どの媒体でもいいから「こんなにおかしい『杉田水脈』論文」のような特集を組めば良いだけ」なのだが、それができない、やっても売れないと確信できる…というのがここ最近の経験なのだろう。
これこそが危機の本質を指し示す点であり、真にリベラルを主張する者たちはいまこそ毅然として立ち向かうべきだと信じるところである。具体的には日々の講義で真面目にカントの倫理学を教えたり事あるごとにロールズ・センに言及したり。私としては戦後民主主義者の王道を行くものと理解しており、そのように行動したい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます