東京新聞,10月13日のコラムがちょっと,大分変だった(「筆洗」10月13日)。というか,突っ込みどころ満載で,思わずメモを残しておきたくなったほど。
周知のように,「たかだか十八歳の“悪ガキ”が、三十三歳の“苦労人”世界チャンピオンを“ゴキブリ”呼ばわりし、「負けたら切腹や」と大言壮語して、大差で判定負けした」わけです。
普通なら順当な結果で,まぁ反則のデパート状態の亀田君があまりに見苦しいということはあったくらいなものといえるかもしれません。…投げは拙いし,2Rですか,レフェリーが亀田に近付いた後,没収して(?)リング外に投げ捨てたモノは一体なんだとか,「あまりに見苦しい」を超越してる気はするけど。
東京新聞さんの変な判断,ひとつめ。「興行的には大成功で、瞬間視聴率で40%以上(関西地区)を稼いだTBSは、ほくそ笑んだことだろう」ってそんなわけないじゃない。今回よかったところで,次に繋がらない。10年ぐらいかけてですか,育ててきたネタをたった一晩の40%でペイできるかと。大損でしょう,常識的に。
…まあ,ないよりましですけど。
掌返したかのようなこの数日の状況を見るに,『負ければなにもかも終わり』というのは,亀田家の共通認識だったかとも思われます。
そう考えると,亀田君のあのプロレス行為は,何もかもをぶち壊しにしてしまいたいという,絶望からくる行為だったかもしれません。
もしそうなら,可哀想だな,次男。
というか,最終ラウンド・KO以外に勝利がありえない状況であんなパフォーマンスする意味がわからない。「プロレス技のボディースラムをかけて投げ飛ばした。文字通り「ヒール」を演じてみせた」というのは違和感を感じる。「悔し紛れ」というより,破れかぶれといったところじゃなかろうか。
ま,このコラムでおかしいな,と思った中核はそこじゃなく。
実はこのコラムの指摘どおり,「ヒール役のすごみは実力に裏打ちされてこそ」なので,つまり亀田君はヒールたるほどではないのだな。
だから内藤さんもその限りでは「正義役」とまでは,あまりならない。だって亀田君は悪には足りない程度なのだもの。―悪は亀田君個人じゃ,だからないんだと思うのだな。
亀田君は,若く名声と栄光に溢れ,有力ジム出身。マスコミも味方について欠けたるところなきが如し―芸能人も報道陣もみんな亀田君の味方。圧倒的な資力,絶対的な権力をもってる。金色グローブトロフィーの示すとおり,あの試合,亀田君の勝利が―マスコミ的には―予定されていた。内藤さんはただ亀田君の滋養となって消費されるはずだった。
それはまるで,「富者と貧者、都市と地方の容認できないほどの格差拡大、富める一部が富み、弱者、貧者が切り捨てられる社会」のようだ(引用:東京新聞,2007年8月15日社説「終戦記念日に考える 極限からのメッセージ」)。
選ばれた人間だけが富を独占する,かのような。資本の集中が勝負を決めるような。マスコミの寵児だけが日の目を見るような―。マスコミによる/当人達による圧倒的な大声。こんな状況に対する不満と不審の声は,誰が伝えてくれるんだろう?
33歳,高齢のチャンピオンだ,内藤さんは。苦労に苦労を重ね,貧乏暮らしに耐え,なんとか齧りついて漸く手にした栄光も碌に見向きもされず,若き天才の咬ませ犬扱いさえされて。
そんな彼に,ひとは希望を見出すんじゃないかな。
私がこの試合前の状況に,非論理的に格差社会を投影したように,人は自分が不満に思っている自分の/社会の状況を投影するんじゃないかな。
「若いからって!」
「金持ちはいいよなぁ」
「権力があればなにやってもいいっての?」
「金と権力かさに着てっ!」
「勝てば官軍ってわけか?」
上役の理不尽な言動や,取引先の無体な要求や,ええまぁそんなようなものを。
相手は権力資力に優れとても真っ当に対抗なんかできない。「フェアな勝負」さえ買い取りかねないと思われるほど。芸能人にかこまれ有名人に称賛され一挙手ごとにマスコミは栄光を讃え―
そんな強者に対するのは33歳のさえないおっさん。自分の仕事に愛情をもってただそれしかもち合せのない,権力も財力も情報力もない,元いじめられっこ。
そんな彼が勝ったから,人は喜んだんじゃないかな。不当な支配を打ち破った,正義の味方として。ただ自分に降りかかってきた暗雲を振り払える程度の,「ちっちゃな町の英雄」だけど。でもかれがそぅだってことは,もしかしたら,私たちの町々にも,「彼」がいるかもしれないじゃないか。
私たちはチャンピオンなんかじゃない,とりえもない一般人だ。「彼」にはなれない。彼ほど貫き通すことはできないだろう。それでも―もしかしたら,さえない自分でも,真面目に仕事をやることで「彼」の万分の一ほどは何かが出来るかもしれないじゃないか…!
周知のように,「たかだか十八歳の“悪ガキ”が、三十三歳の“苦労人”世界チャンピオンを“ゴキブリ”呼ばわりし、「負けたら切腹や」と大言壮語して、大差で判定負けした」わけです。
普通なら順当な結果で,まぁ反則のデパート状態の亀田君があまりに見苦しいということはあったくらいなものといえるかもしれません。…投げは拙いし,2Rですか,レフェリーが亀田に近付いた後,没収して(?)リング外に投げ捨てたモノは一体なんだとか,「あまりに見苦しい」を超越してる気はするけど。
東京新聞さんの変な判断,ひとつめ。「興行的には大成功で、瞬間視聴率で40%以上(関西地区)を稼いだTBSは、ほくそ笑んだことだろう」ってそんなわけないじゃない。今回よかったところで,次に繋がらない。10年ぐらいかけてですか,育ててきたネタをたった一晩の40%でペイできるかと。大損でしょう,常識的に。
…まあ,ないよりましですけど。
掌返したかのようなこの数日の状況を見るに,『負ければなにもかも終わり』というのは,亀田家の共通認識だったかとも思われます。
そう考えると,亀田君のあのプロレス行為は,何もかもをぶち壊しにしてしまいたいという,絶望からくる行為だったかもしれません。
もしそうなら,可哀想だな,次男。
というか,最終ラウンド・KO以外に勝利がありえない状況であんなパフォーマンスする意味がわからない。「プロレス技のボディースラムをかけて投げ飛ばした。文字通り「ヒール」を演じてみせた」というのは違和感を感じる。「悔し紛れ」というより,破れかぶれといったところじゃなかろうか。
ま,このコラムでおかしいな,と思った中核はそこじゃなく。
実はこのコラムの指摘どおり,「ヒール役のすごみは実力に裏打ちされてこそ」なので,つまり亀田君はヒールたるほどではないのだな。
だから内藤さんもその限りでは「正義役」とまでは,あまりならない。だって亀田君は悪には足りない程度なのだもの。―悪は亀田君個人じゃ,だからないんだと思うのだな。
亀田君は,若く名声と栄光に溢れ,有力ジム出身。マスコミも味方について欠けたるところなきが如し―芸能人も報道陣もみんな亀田君の味方。圧倒的な資力,絶対的な権力をもってる。金色グローブトロフィーの示すとおり,あの試合,亀田君の勝利が―マスコミ的には―予定されていた。内藤さんはただ亀田君の滋養となって消費されるはずだった。
それはまるで,「富者と貧者、都市と地方の容認できないほどの格差拡大、富める一部が富み、弱者、貧者が切り捨てられる社会」のようだ(引用:東京新聞,2007年8月15日社説「終戦記念日に考える 極限からのメッセージ」)。
選ばれた人間だけが富を独占する,かのような。資本の集中が勝負を決めるような。マスコミの寵児だけが日の目を見るような―。マスコミによる/当人達による圧倒的な大声。こんな状況に対する不満と不審の声は,誰が伝えてくれるんだろう?
33歳,高齢のチャンピオンだ,内藤さんは。苦労に苦労を重ね,貧乏暮らしに耐え,なんとか齧りついて漸く手にした栄光も碌に見向きもされず,若き天才の咬ませ犬扱いさえされて。
そんな彼に,ひとは希望を見出すんじゃないかな。
私がこの試合前の状況に,非論理的に格差社会を投影したように,人は自分が不満に思っている自分の/社会の状況を投影するんじゃないかな。
「若いからって!」
「金持ちはいいよなぁ」
「権力があればなにやってもいいっての?」
「金と権力かさに着てっ!」
「勝てば官軍ってわけか?」
上役の理不尽な言動や,取引先の無体な要求や,ええまぁそんなようなものを。
相手は権力資力に優れとても真っ当に対抗なんかできない。「フェアな勝負」さえ買い取りかねないと思われるほど。芸能人にかこまれ有名人に称賛され一挙手ごとにマスコミは栄光を讃え―
そんな強者に対するのは33歳のさえないおっさん。自分の仕事に愛情をもってただそれしかもち合せのない,権力も財力も情報力もない,元いじめられっこ。
そんな彼が勝ったから,人は喜んだんじゃないかな。不当な支配を打ち破った,正義の味方として。ただ自分に降りかかってきた暗雲を振り払える程度の,「ちっちゃな町の英雄」だけど。でもかれがそぅだってことは,もしかしたら,私たちの町々にも,「彼」がいるかもしれないじゃないか。
私たちはチャンピオンなんかじゃない,とりえもない一般人だ。「彼」にはなれない。彼ほど貫き通すことはできないだろう。それでも―もしかしたら,さえない自分でも,真面目に仕事をやることで「彼」の万分の一ほどは何かが出来るかもしれないじゃないか…!
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