亡くなった父はパーキンソン病で、とても達筆だった字がどんどん小さくなって最後は何て書いてあるのかわからないくらいになってた。それでも、動けるうちは、前の日に字を書く練習をして投票に行ってました。ひとりひとりに事情があり、確かめもせず憶測でSNSに晒す権利はないはずです。 https://t.co/PAjcjJAGUO
— shironyan (@NekoAndPeace) 2017年10月24日
それこそ、「排除の論理」そのものがいつでも起動可能であるという現場の証拠である。
「(僕の考えた)普通の日本の社会人水準ならありえるはずがない」で「セーギ」のこぶしをふりまくる。そうして、そうした人に対する支持も結構ある。まあ、歴史上、しばしば見られたようなお話よね。
敬虔な修道士が天国へ行くため、厳しい聖務を通じて自分自身を痛めつけるように、リベラルたちは「マイノリティ」を輸入してまで増やし、ポリコレの戒律を際限なく厳しくしていくことで「レイシストでない私」を確認しようとする。この「息苦しさ」こそが、実は彼らにとっては「救いの証」でもある。
— irr (@IrrTenko) 2017年10月7日
そしてもちろん、この求道者は真理の道を他者にも広めるのである:
一橋に蔓延る某エセ人権団体、活動内容がかなりグレーでそれを批判した教授に対し、録音したまま肩パン(暴行罪に当たらない)をしに行って相手の暴行を誘発した挙句、結局その教授がやり返さなかったから虚偽の内容をハラスメント相談室に持ち込んでそれが受理されたらしく、手口が卑劣極まりない。
— ゾブっちー (@yn_8941971) 2017年10月8日
かつて見た道、だなあ。
そうして犠牲になるのは、本来”守られるべきもの”だった人たちだった―という例もでてくる:
白だと思って買ったシャツが他人からピンクだと言われた時の絶望感がわかりますか。色覚検査で異常が発見されて自覚があればまだいい。検査を奪われ自覚なしに次々とそういうことが起きて人生に絶望するのが「色覚異常は異常じゃない差別だから検査をやめよう」って言った連中の成果ですよ
— いりじうむ192 (@irid192) 2017年10月4日
”特徴”を自覚できなきゃ、対応もできませんからねー…。
「日本人であること以外に誇れるものが何もない」極端な差別主義者と「反差別活動家であること以外に誇れるものが何もない」しばき隊のメンタリティは全く同じ。誰かを蔑んでしかプライドを保つ事の出来ない哀しい人達です。しばき隊の中でも極端な輩が元レイシストが多い事で説明がつきます。 https://t.co/PvbbJz3C6B
— 合田夏樹 (@729ng) 2017年8月8日
「転向」にまつわる現象の説明にもなる。
面白いひとの面白い発言があったようだが:
私は共産党員ではないが、共産党の正論には頷くことが多い、というと、また私を非国民だとののしるのかな。赤狩り時代のアメリカの不寛容な人々みたいに。
— 島田雅彦 (@SdaMhiko) 2017年10月24日
他人をののしり続けてきた不寛容の典型みたいな人の発言なのが面白い。 https://t.co/paetf6gxri
— Merc (@Mercivb) 2017年10月27日
『自分は正しく言葉を用いる正しい人格者なので、正しく言葉を用いる正当な権利がある。しかし私のような正しい人格者を非難するような非人格者・人格破綻者には、当然間違った言葉を間違って用いる権利など、あるはずがない』という思想であるだけのことで、まあ時々見ますかね。
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