『船員予備自衛官化:「事実上の徴用」海員組合が反発』
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2017年10月24日
防衛省は「強制はしない」と言ってるけどサービス残業だって特攻だって「強制じゃなかった」のがこの日本ていう国なんだよなあ。そして帝国海軍が日本の商船にした仕打ちを知ってたらこんな制度とても作れないよねhttps://t.co/tDqfQovljV
なんで2年近く前の記事を引用してるんだ、という気はするが:
毎日新聞 船員予備自衛官化 「事実上の徴用」海員組合が反発 毎日新聞2016年1月29日 21時01分(最終更新 1月30日 09時22分)
現実は極めて厳しいからなあ:
この問題で知っていてほしいこと。神戸三宮に「戦没した船と海員の資料館」ってのがある。無料だし是非見に行ってほしい。第二次世界大戦で帝国海軍は民間船を次々と徴用。その数7240隻、6万人。これは総数ではなく、沈没した船と戦死者の数。日本の商船の88%、つまり殆ど全てを徴用した。 https://t.co/6BLfA1lNNW
— 稲葉渉 (@inabawataru) 2017年10月25日
なお、インパール戦の戦記ものをみて気付いた・気付けることだが、『なぜか、著者たちがみな同じ船に乗っていた』。
いまどきの陰謀論者にみせれば、これは証言の捏造っぷりが甘かったからだ、とか言いそうだが、これは僚船が沈んでしまっただけのこと。たまたま生き残って南方に到達し、行かされた先がインパール。単なる地獄の二段階選抜を潜り抜けた豪運の持ち主たちであるというだけのこと、というのが事実のようである。
珍しいところでは、「私たちが乗船したのは次の日の夕方です。帝立丸という一万トン級の貨客船でした。総員千三百名。汽笛を聞きながら門司港を離れましたが」(菅原利男『パゴダの祈り―八十二歳追憶のビルマ戦記―』p.16)。
この船は、荒木進『ビルマ敗戦行記』(岩波新書)にも言及があるようだ。同じ便だろう。
この帝立丸、門司港を10隻ほどで出て行って、途中で潜水艦の浮上攻撃を受け、マニラを出るときには2隻だけになっていたとか。
メモ:「帝立丸の船歴」
Cinii 「帝立丸救助作業に就て」小田 勝治 飯野産業株式會社サルベージ事業所、関西造船協会会誌 (65), 20-27, 1949-08-10、公益社団法人日本船舶海洋工学会
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