お花畑さんもネトウヨさんも、まあいろんな学生さんがいますから。私としては戦後民主主義の大道を行くのには、憲法前文をしっかり読むのが大事だと思ったりするのです。指導は、まず一般的には気高い我らが憲法前文に則るのが肝要と思うのです。個々の思想やなんかは、もちょっとインナーな感じの場合に出すとして。
ほぼ全世界がIS集団から孤立していく状態なので困ったことなのです。
ベストではない。当然のことだ。但し現実では、最悪と猛悪と劣悪と残虐と陋劣と愚劣と悪逆と拙劣と…のなかから何を選ぶか?という状況も起こりえる。
それがいまだ。軍事行動に訴えるのは、まあ確かに拙劣ではあろう。
が、無為でいることは愚劣というべきだろう。少なくとも警察の捜査は厳重に行われるべきだ(成果もあげている)。
無為でいることは、
『西欧由来のものはとにかく気に食わなくて神の命令に反するっぽく思えるから、気分が向いて資材的な条件が整ったときに適当に吹き飛ばす権利が自分にはあるかもなのでそのように。具体的にはAK-47とプラスチック爆弾と自爆要員』
とか、
『異教徒は神に反する存在なので何やってもいいよね、っていうか適切な教育やってやるから、若い女と男の子にはじっくり「教育」してやるよ! あ、年寄りどもはイラネ。っつーか、この不要物品を放置すれば西欧の連中が”ヲヲ、vulnerable personを解放するとは人道テキっ!”って感動するっぽいから、ぽーい』
とかゆーのを放置することになるので困ったことである。
「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
ここでは、もしや我が国しか関知しないとする視点が隠れてはいないかと疑惑をもたれるかもしれないが(「われらの安全と生存を保持しよう」)、
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」
なのである。
なので、国語的には、「国際社会」というのは「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる」ものであり、そうした中で栄誉ある地位をえようとしているらしい我が国の外交はまあ及第点と言っておくべきかなと思われるし(難民を死なさないための食料を調達するにも、先立つものが必要なのである)、フランスの今回の対応もまあ許容範囲かなあとか。とりあえず「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の防衛ではあるし。
大丈夫。
ここしばらく、毎日突きつけられてるから。剃刀付き鉄線フェンスで防衛してたりするし。
HuffPost 乙武洋匡さん、暴力ではなく対話呼びかける「犯行グループも国際社会」【パリ同時多発テロ】 The Huffington Post | 執筆者: HuffPost Newsroom 投稿日: 2015年11月15日 18時59分 JST 更新: 2015年11月15日 20時01分 JST
まあ、世間には対話のテーブルにつきたくないという種類の人が割りといるので、そういう人たちを対話の席につかせるために何が必要か、ということかと。
「国際社会は一致団結して、このテロに立ち向かうべきだ」と言うが、このテロを起こした犯行グループも含めて“国際社会”なのではないだろうか。「シリアで空爆を続けるフランスは許せない」という彼らの主張にはまったく耳を貸さずに国際社会から孤立させることが、本当に平和へと続く道なのか。
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 11月 15
ほぼ全世界がIS集団から孤立していく状態なので困ったことなのです。
先ほどのTweet、決して「テロを容認しよう」と言っているわけではありません。テロは、もちろん許されない行為。そのうえで、ああした残虐なテロ行為を行う集団に対して対話の扉を開くことなく、あくまで暴力で屈服させることが平和の実現に向けてのベストな選択肢なのか、疑問を抱いたのです。続
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 11月 15
ベストではない。当然のことだ。但し現実では、最悪と猛悪と劣悪と残虐と陋劣と愚劣と悪逆と拙劣と…のなかから何を選ぶか?という状況も起こりえる。
それがいまだ。軍事行動に訴えるのは、まあ確かに拙劣ではあろう。
が、無為でいることは愚劣というべきだろう。少なくとも警察の捜査は厳重に行われるべきだ(成果もあげている)。
無為でいることは、
『西欧由来のものはとにかく気に食わなくて神の命令に反するっぽく思えるから、気分が向いて資材的な条件が整ったときに適当に吹き飛ばす権利が自分にはあるかもなのでそのように。具体的にはAK-47とプラスチック爆弾と自爆要員』
とか、
『異教徒は神に反する存在なので何やってもいいよね、っていうか適切な教育やってやるから、若い女と男の子にはじっくり「教育」してやるよ! あ、年寄りどもはイラネ。っつーか、この不要物品を放置すれば西欧の連中が”ヲヲ、vulnerable personを解放するとは人道テキっ!”って感動するっぽいから、ぽーい』
とかゆーのを放置することになるので困ったことである。
(承前)「理想主義だ」「現実的ではない」――おっしゃる通りかもしれません。しかし、平和の希求とは、あくまで理想を追求する行為なのではないかと思うのです。それが、日本国憲法の前文(第9条ではなく)に書かれた精神なのではないかと思うのです。
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 11月 15
「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
ここでは、もしや我が国しか関知しないとする視点が隠れてはいないかと疑惑をもたれるかもしれないが(「われらの安全と生存を保持しよう」)、
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」
なのである。
なので、国語的には、「国際社会」というのは「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる」ものであり、そうした中で栄誉ある地位をえようとしているらしい我が国の外交はまあ及第点と言っておくべきかなと思われるし(難民を死なさないための食料を調達するにも、先立つものが必要なのである)、フランスの今回の対応もまあ許容範囲かなあとか。とりあえず「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の防衛ではあるし。
フランスがISへ空爆。最後は「力の強いほうが勝つ」という平和主義から最も遠い論理で解決が図られるしかないのだろうか。人類の知恵の“境界線”を突きつけられているようでもどかしい。 / フランス、シリアの...
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— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 11月 15
大丈夫。
ここしばらく、毎日突きつけられてるから。剃刀付き鉄線フェンスで防衛してたりするし。
HuffPost 乙武洋匡さん、暴力ではなく対話呼びかける「犯行グループも国際社会」【パリ同時多発テロ】 The Huffington Post | 執筆者: HuffPost Newsroom 投稿日: 2015年11月15日 18時59分 JST 更新: 2015年11月15日 20時01分 JST
まあ、世間には対話のテーブルにつきたくないという種類の人が割りといるので、そういう人たちを対話の席につかせるために何が必要か、ということかと。
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