改めて、フランスのlaîcitéの基準が分からなくなるな。ノートルダム・ド・パリの火災は本当に残念だけど、その再建に大統領が募金集めをするというのは、政教分離に当たらないのか。日本で、例えば靖国神社が火災にあったので修復費用を国が出したり、国が募金を呼びかけたりすれば、当然違憲だ。
— 町村泰貴 (@matimura) 2019年4月16日
まあ、うるさく言えば政教分離に抵触するにはするだろうが。
なおノートルダム大聖堂の着手は1163年、一応の竣工は1345年であるとか。
平等院鳳凰堂や上賀茂・下鴨神社のの修復に対しては当然のように国費補助が出ているわけですがそれは。https://t.co/b6OEMuxUhB https://t.co/TTrnZgUOYT
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2019年4月17日
平等院鳳凰堂は9c末には貴族の住居としてつくられ、1052年に寺院として模様替え。
公務員が隠然とやることはあるかもしれないし、政治家としては寄付集めに奔走するかもしれないが、総理大臣がその地位を利用して寄付集めをすれば、それは相当にグレーではないか。
— 町村泰貴 (@matimura) 2019年4月16日
ノートルダム・ド・パリの建物の所有権が国にあるという話も聞くが、これも日本法の立場からすれば全く理解できない、政教一致かという感じで、laîcitéって良くわからない。ところでモスクがテロで爆破されたときにもフランス大統領は再建のための寄付を呼びかけたんだろうか?
— 町村泰貴 (@matimura) 2019年4月16日
共時的観点・通時的観点といえばわかるだろうか。
今現在の観点からいえば、たしかにノートルダム大聖堂はキリスト教徒がキリスト教の価値を認めるキリスト教的な建築物であり、これに世俗たるべき大統領が肩入れするのはアウト!と言いたくなるかもしれない。
だが、同様に宗教施設なんだから、○○テロで破壊されたイスラームのモスク(例えば1984年創建)も国が音頭をとって修復すべきだ!というのは―それこそ、国民的合意が得られるだろうか。
いや、おそらく、そのモスクがフランス最初の本格的アラブ様式モスクであって、相当数のムスリムを我らが国民として認め合った新生フランス共和国:他民族他宗教社会の精神的価値を体現するものだ―というなら、合意を得られる率は高くなるだろう。
こうして、この「我らの価値」という納得がどこまで得られるか、これが国民国家の枠を、その限界を定めるものだろう。
そのあたりが微妙ですよね。文化財なのは間違いない、しかし日本人が平等院を宗教的存在だとあまり思っていないのと違って、確信的に宗教的価値を信じているようにも見える。まあムスリムがなんなのこれという顔になるのはわかりますわ。 https://t.co/EScqFtmmtj
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2019年4月17日
これでムスリムが「…うん、なるほど、『我らフランス』というのはこれも含むんだな」と納得するなら―納得したことにするなら―、まあ問題ない。だが、「オレは今現在、ムスリムなので、キリスト教的価値がこの世俗国家に認められること自体、許容しない」と主張する場合は―
―ざっと800年の歴史もついでに放棄しろと主張することにもなり、その分の国家的統合の正統性をどこから調達するかが問題になるわけだ。
政治的正しさだけで統合できるもんなら、まあ民族国家的な国境線なんぞ、さほど意味があるもんじゃないですわな。ところが世俗的な民主主義国家という理屈も、ヨーロッパの統合を押し切るほどの力もなく、かといって国民国家を超克する理念としてのカリフ国家はあまりにもイスラーム的でありすぎて、まあぽしゃった(現代的にも、歴史的にも)。
…とまあ、すっごいめんどくさいので、ナアナアでごまかせるならごまかしておこうよ、などと思っちゃう私。
しかし少なくとも、ノートルダム大聖堂の国家的再建の可不可を言おうと靖国神社(明治時代創建)を対比するのはあまりに政治的な問題意識を絡めすぎて・意識が絡まりすぎて、うまくない。
だってそれ、「ノー」という返答を予定してるだろ。卑劣な対比というべきだ。できるだけ創建年や成立事情が近い例をもってくるべきだ。
建長寺(創建1253年の由)なんかどうだ。
…現在の首都にはない、という難があるが、だいたい同じ頃に創立し、首都の最高級寺院としての社会的位置付けも同様だっただろうし。建長寺が火災で焼失したなら、文化庁なり文科省なりが出張るのは当然と思えはしないか。まあ1416年までには創建当初の建物をおおむね失ったのだそうだが、ならば首相ではなく省庁が出てくるくらいに「格下げ」になるのさえ納得できはしないか。
ノートルダムの修復に、大金持ちたちが次々と10億ユーロ(milliard)単位で寄付を申し出ているらしい。あるところにはあるもんだな、と思うが、教会の修復にカネは出せても、毎週デモを繰り返してる黄色ヴェストどもにはおこぼれは回せないってことか、と鼻白む。
— spartacus (@accentdeverite) 2019年4月16日
文化遺産としてのノートルダムの価値にも、再建を願う気持ちにも何の異論もないけど、大富豪たちが次々と巨額の寄付を差し出す話を聞いていると、白々しさを感じてしまう。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2019年4月17日
カネがあるなら、どうして生きてる人間に使わなかったんだ?
で。
国民的遺産であるノートルダムの再建等々に口をだすのは、マクロン氏の直近の人気とり、政策の不人気の糊塗と感じてもにょるというのもあろうかな。
まあねー。
死蔵されていたカネ、ということでもあろうし。
生きてる人間たちの救済に―いや、これ、ただ金をくれてやれというのではなく、仕事をつくってやるという意味で―使えてたら、「株」もあがろうにねー、とは。
どうだろう、韓国の、空き教室の電気を消す係りなんてのは結構斜め下にえぐいけど、どうせ宗教施設に出すならワクフみたいにしてそこからお掃除の仕事を作るとか、なんとか。
フランス人「誰だおめえ」
鶏と卵、みたいな因果関係ではありますけど