従来、本来、左派の本流は「科学的共産主義」「科学的社会主義」であったわけである。
マルクス流から批判されようが、ともあれ理想主義的でありかつその理想を現実に実現しようとする点で、たとえばオーウェンは偉い左翼であっただろう。
ところが近年は―どうも左派・左翼を自認したり、そうと呼ばれる勢力が、非科学的であることを自らに課するような惨状に至ったらしく思われる。
恐らく、いまの「左派」なるものは、科学的社会主義から遊離してしまったのだ。はっきりとそうと宣言したり、理論的に考察してそうなったりと言うわけでは必ずしもなく、
―楽なほうに逃げてしまった、その結果だろうなあ、と…。
とまあ、あの、その、お祭りのように騒いで、熱狂のうちにまきこんで運動をつくりあげる―というのも闘争の一側面なのだと思うのですが。その運動形成に、もっぱら力を使いすぎてませんか、理論的闘争をする係はどこにいますか、と問われているのだと思われる。
でまあ、その手の大暴れする人たちが、そりゃあ目立つために、独立系のひとたちはえらいこと生きづらくなったなあと、そのように思うのである。
うーん、工学系でも伝統的な意味での左派は珍しくないと思う。僕も政治思想的には左派寄りだ。でも現代日本の「いわゆる左派」ってのは伝統的な左派とは対極の思想だと思う。ちなみに僕が日本共産党に批判的な一番の理由は「ちっとも共産主義者じゃないから」だ。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年9月7日
本来左派ってのは「慣習的な価値観や個人史観にとらわれず、唯物的な視野と論理的な思考によって最善の未来を創造する」政治志向であって、科学と同じ原理を政治に展開したものだ。非科学的な左派など僕は左派とは認めない。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年9月7日
マルクス流から批判されようが、ともあれ理想主義的でありかつその理想を現実に実現しようとする点で、たとえばオーウェンは偉い左翼であっただろう。
ところが近年は―どうも左派・左翼を自認したり、そうと呼ばれる勢力が、非科学的であることを自らに課するような惨状に至ったらしく思われる。
恐らく、いまの「左派」なるものは、科学的社会主義から遊離してしまったのだ。はっきりとそうと宣言したり、理論的に考察してそうなったりと言うわけでは必ずしもなく、
左派は楽な方に逃げてますよね。世の中が複雑・多極化したせいで「弱者に寄り添う」ための勉強が難しくなった。地味にマクロ経済学や個別の企業を分析して労働者の賃金を上げる方法を考えるよりも「○○反対」「○○打倒」の方が簡単だし楽しいから、そっちへ逃げた。要するに左派は怠慢なんですよ。
— 3pF (@3pF) 2019年5月3日
昔の世の中はシンプルで良かった。権力者と反権力、金持ちと貧乏人、健常者と病人、どっちを叩けば良いのか誰の目にも明らかだった。今はそれらが全部ミルフィーユ状態。権力も富も、我々の中の誰かの手の中にある。利害の調整も地味で面倒な上に丁寧な作業を求められる、そんな時代だからね。
— 3pF (@3pF) 2019年5月3日
―楽なほうに逃げてしまった、その結果だろうなあ、と…。
↓ 今の自称左派はデモで騒ぐ事しか取り柄ないですね。https://t.co/gtemzxBKNJ
— neologcutter (@neologcut_er) 2018年9月3日
とまあ、あの、その、お祭りのように騒いで、熱狂のうちにまきこんで運動をつくりあげる―というのも闘争の一側面なのだと思うのですが。その運動形成に、もっぱら力を使いすぎてませんか、理論的闘争をする係はどこにいますか、と問われているのだと思われる。
でまあ、その手の大暴れする人たちが、そりゃあ目立つために、独立系のひとたちはえらいこと生きづらくなったなあと、そのように思うのである。
僕は安倍も自民党も嫌いだし思想的にはやや左なんだけど、差別発言したり平気で嘘をつくようになったら左として失格だと思うし、「堕落した左翼」と相容れないのはそういう理由。対立軸として雑な分類に走るならその方が余程古すぎる。
— express shirayuki (@501Dshirayuki) 2019年1月16日
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