中国大返しのとき秀吉は数え46かといまさらながら。決して若くないやん。すごいな。人生最大のチャンスだと認識しないとあんなことできないだろう。スピーディに動けないいま、いろいろ感慨深い。
— 中村武生 (@busyo3) 2019年6月2日
リスクテイクできる器量と部下の提言を受け入れる度量と冷静な計算ができる頭脳と、といったところか。しかしやっぱり傑物よねえ、豊臣秀吉。
今日、本番はもちろん勉強になったのだけど、情報交換会でも自身の不明を拓かれたのは「相手の言い分を実現しつつ自分のフレームワークの上に乗せてしまうのが完勝でしょ」という話。そう、本質を見るってそういうことですよね。
— Makoto GOTO / 後藤真 (@mak_goto) 2017年7月27日
これと同じ話を聞いたのは今年の春ぐらい。その人も本当に優れた研究者で、いかに相手の文脈を維持しつつも本質を変えるか、それを実現する思考をしなさい、という話でした。本当に素晴らしい仕事をする人はそういう仕事の作り方をするんだなあと。学ばねば。
— Makoto GOTO / 後藤真 (@mak_goto) 2017年7月27日
先日亡くなった某先生の、私はこうした作業をすることになる。
私の研究の枠組みのほうが普遍性があるものと思う。
そして恐らく、私に求められているのはこれだ:
研究してて思うけど,該当研究者がいなくなるとかなりの知識は失われる.研究者はハードディスクじゃなくて,(電源切ったら消える)メモリに近いと思う.図書館にも知識は残るけど,それは「圧縮データ」と同じで,解凍には相当の時間がかかるし,しかも不可逆圧縮されてる...
— くずの王子様 (@kz_kiyoshi) 2017年7月24日
だから「そろそろ本を書いたら」と若手に言われたりする。
突然だけど僕が金科玉条にしてる言葉のうち2つ
— Quantum Toy (@QuantumToy) 2017年11月15日
アインシュタイン「相対論を否定するのに100人の科学者の意見など不要です。たった1つの観測事実があればいい」
ファインマン「その理論がいかに美しかろうとどこの天才が考えたのだろうと問題ではありません。実験結果を説明できなければ誤りです。」
これを「学問は民主主義じゃない」とわが師は言ったものである。今現在の学会の多くの人たちには、私の見解は受け入れがたいものと思しい。私のところに、勉強を教えてくれと来ていたおじさんは―私が指導して論文を数本書かせたものだが―繰り返し「違ってたらどうするんです」といい続けていたものだった。
その疑問を解決するためにも、私は論文を書いて教えたものだったが―英語が不得意な子だったので、私の英語論文の日本語原文(※未発表)を与えもしたが―。
今の学生さんたち、こちらが善意や責任感からアドバイスしても、やり過ぎると自分が否定されてる気がして「ディスられた」と言いはりますね。人格攻撃と(こちらはアカン)、自分の拙い意見や仕事に対する指摘は違うんですけどね。
— Mark Skywalker (@MarkWal75883043) 2019年9月30日
こうなった。あいにくこれは、50近いおっちゃんでも70近いじいさんでもかわりませんわ。
「それがなんの役に立つんですか」へはファインマンが明確な回答を遺しておる
— イントレ先生と穏やかに暮らしたい ゆべし/柚野辺思惟 (@yubeschi) 2019年10月10日
『だけど面白いだろう?』 pic.twitter.com/LveN3LHSE1
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