空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

反女性差別の水準

2018-09-29 22:01:02 | ノート
 あからさまに、『自分は女権論者だ』と主張したがる側の水準が遅れに遅れてしまったなあという観察。



 オンナだけの集まりにのこのこ出て行く前時代的極まる愚劣な者め、という論調で話そうという態度。なんというか30年前なら先進的だったかもなあという気がするが、イマドキはなあ:





 女性閣僚なんてのが珍しくなくなってきて、「女性を閣僚に!」というのがそんなに努力の目標にならなくなってしまい、「いやレズビアンだろうがバイセクだろうが、外相は外相の仕事をするのが本旨だよな?」というおそろしく単純な解答に回帰してきたとでもいおうか。





 とまあ、世界は次のステージに行っているのに、なんで日本の女性解放主義者たちは旧世代のままに留まるのかなあと言う話かと。





 いやその、ミャンマーで起きていることについて、比較的友好国である我が国としてはそれなりの説明責任があるのであり、そりゃ当然「対外的に説明し、立場をわきまえ」た発言をせねばならず、そうしてきたわけだろう。

 ここ数年のミャンマーで起きたこと、今現に起きていることについてだけでも、わりと喫緊に、頻繁に意見交換をして意思統一をせねばならないのであり、そうしたことに「鈍感さゆえの批判」はまさしく行われなければならない―ということになろう。「逆ギレなどもってのほか」である。ノーベル平和賞受賞者が民族浄化の責任者として指弾されている状況を知らないというのは、それこそ女性の安全と権利に対する意識が低すぎる。



 外相の仕事をするときに仕事をするのは脳髄、というふうに考えれば宜しいのではないだろうか。超単純化していえば、脳髄で仕事をする場面で「おまえは男性器をもっていないから無能だ」と断じてきた慣習を馬鹿げたものだと排撃してきたのがここ最近の努力であって。





 で。
 一連のあれこれで、一方的に株を上げたのは:



 この人だなあ。

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