が「問題」になってしまうのは「利権が?」というようなことじゃなく(それはすでに過去の話)、メディアなどが萎縮して過剰に自主規制し、が関係した案件などをあえて報じなくなってしまうことだと思っています。タブー化してしまうことは、逆に差別構造を維持してしまう力学を生む。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2019年10月4日
もちろんそこで新たな差別につながるような報道になってはいけませんが、まったく報じないと変に憶測が広がってしまうという逆効果もあるわけで、かつてのようにマスコミだけで情報空間が閉じていた時代はともかく、その外側のネットにおける情報伝播によるハレーションも考慮しないと。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2019年10月4日
もし元助役がを悪用していたようなことがあるのだとすれば、メディアはそれを書いた上で「これは本来の同和問題とは無縁であり、団体も関係を否定しており、これは元助役個人(と関電)の問題に帰する案件である」ときちんと指摘すればいいと思うのです。触れないのは逆効果だと思いますよ。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2019年10月4日
ということで、犯罪は単に犯罪として裁けるようであるとよいなあという話かと。
何故なら、全国結成後100年にもなろうとしているのに、差別は、相当程度“沈静化“(無くなったと言ってもいいですが)されたとは言え、根絶はされていません。不用意な取り上げ方をすると、その“落ち着いた”差別環境がまた、惹起する恐れが無いとは言えません。
— 村上 聖治 (@celiwengler) 2019年10月3日
差別心が我々の心の中にあるものなら、まあいまさら差別でもねーべ?というのが一般常識になっちゃった世代が育っているなら、ならば惹起は、少なくともこうした世代には起きない。
私は東北人だから(とざっくり言っておこう)、被差別・特殊をどう差別していいか、そもそもわからないのだ。
西のほう、関東等々でも同様の感覚の若い世代が育ってやしないか。そんな人びとが堂々と発言し、行動できる(というか、もはや差別の仕方もしらんようなひとたちが自然に行動できる)ようであるなら、結構なことではないか。
勿論、差別が許されないという社会的な気持ちと環境をダシにして、それを己の私利私欲などに利用することは許されて良いものではありません。でも、それが罷り通ってしまうのは何故か、そこには長きに亘って差別して来たことの“転倒”現象があるのではという視点を忘れてはならないと思います。
— 村上 聖治 (@celiwengler) 2019年10月3日
じゃけん、単に犯罪は犯罪として裁きましょうねーという話なのである。
「高浜の件は絡みで闇が深い」→そうみたいだね
— ystk (@lawkus) 2019年10月3日
「だから関電は悪くない。むしろ被害者」→頭おかしいのかお前
権力の二次的利用は禁忌とされると、そーゆー常識的な話なのである。
同意します。
— kenkenken (@gogotomatoto) 2019年10月6日
SNSを見ていたら関電が同和問題を怖がるのは根底にある差別意識が裏返ったものだから同じ差別とか言う人もいまして。。。
…理論武装としてはあまりに旧来的で、捨て去るには惜しいほどには効力があるのよねえ。それは解るんだ。
差別的な風評拡散で通報しました。佐々木俊尚はもうジャーナリストを名乗ってはいけないと思います。https://t.co/W0AlLwGWrl
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2019年10月3日
真面目な話、こういうクズが「反差別」の名分のもと報道の自由を圧殺してきたから、現に高浜天皇と呼ばれるようなインフォーマルな権力者の跳梁を許してきたんだろう。本当にこいつは表現の自由の敵であり、報道の自由の敵。 https://t.co/H4HsBcBMSU
— TruKz (@_TruKz) 2019年10月4日
まあ、まだ「生き血」が流れるような話題である地域もあるんだろう、とはまあ想像できはする。
同和問題を国民の大多数に、一から理解してもらうには、ゴールデン枠で、何日くらい特番組めばいいもんだろうねぇ。そうそう簡単では無いよ。とくに、首都圏でのほほんと暮らしている人たちには、理解しがたい歴史と実態だと思う。
— 中田大悟 Daigo Nakata (@dig_nkt_v2) 2019年10月3日
とか在日とかヤクザの話で、警察や行政に駆け込んでも力になってくれるか分からない、なんなら警察や行政が相手に通じていて、自分の情報を相手に売り渡すかもしれないという恐怖感を前提にしないと、関電の話は語れないんじゃないかな。。。
— 事務課リー(二酸化炭素が見える人) (@zimkalee) 2019年10月3日
…むこうではまだまだ生々しい話なのだとは、まあ、知識ではわかるんだ。
しかし私にとっては、「あwwwもう年号、何回変わったと思ってンすかwwwいまさら差別なんて、やりかた知ってるヤツのほうが少数派じゃねぇっすかwww」みたいな感覚ではあってなあ。「お前は差別問題を知らないから!」とか言われそうだが、いやあ、勉強した上で、「あーこれ、うちら(ざっくり東北)には関係ないわ」と確信したわけではあってなあ…。
多分この問題を利用している、あるいこの問題に振り回されている人は少数で、問題をタブー化せず、客観的に分析すれば、案外簡単に解決しそうな感じは受ける。
できるだけタブー少なく、差別少なく出来るといいですよねえ。
私に見合い話を持ってきた職場の同僚(はるか年長)は「で、〇〇先生、ちゃんとした日本人ですよね」とかなんとか言ってきたことがあった。
どういうことだ、こちとら先祖代々、由緒正しい馬の骨だ、と言い放ってやったけど。
しかし国籍を日本に編入したなら、それはちゃんとした日本国民であるわけなのだ。
...己と己の先祖に誇りをもつことと他者への差別心との境目は、まあ大変微妙なものだなあとも思ったことでありました。