空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

SEALDs評価関係のメモ

2021-03-23 13:23:20 | ノート
 見かけたのでメモ。

 始点は「野党支持者とフェミニスト」というので、ちょっと視覚が違っているけれども―「SEALDsは徹底して個人に定位した社会運動だった」というのは、これは落としてはいけない論点だなと。いや、既成の政治団体・政治運動に相当浸透されてしまっただろうというのは、それはそれで事実としても、個々人の動機・運動の一定部分については事実、個人的視座が基底にあっただろう。

 …徹底しとおしたかと言われたら弱いかな。





 この点については「なかった」は危うい回答だったとでも批判されるかも。なにしろ「権力勾配」等々の概念を使えば、微細な意思決定・実際の行動のあれこれにある任意の女性参加者をやや低める行動が観察されないはずがない。観察されたら、それは構造的な問題として描写できる。

 そりゃそうだ、だってその問題としうる行動と言うのは、その行動をした個人のこれまでの人生に蓄積されてきた諸情報からでてくるものであり、その背景の人生を支えてきた社会の構造的な問題だと、そりゃあすぐさま作文できる。



 …まあ、このように。
 もっとも、「帰省時に自分のお母さんが作ってくれたご飯がある日常」の存在について、セクシスト概念で押し切れるとは限らないが。大勢としては持久力と体力に優れる男性個体の労働力を可能な限り絞り出すため、その生物的生活を支える資源を企業から外部化したすがた、「家庭」に家事担当者を配置せしめる―というのは資本の論理がつよく、是非ともセクシズムで区切らねばならないわけじゃなかろう。そうした近現代資本主義勃興時の理屈で形成された社会慣行を批判するというのは、それこそマルクス主義流の理論の得意とするところだろう。







家族に関して個人的な記憶を語ってはいけないというのは、大学教員による女子学生へのハラスメント以外の何者でもない」これは重い批判だ。




 …この絶望的な重さよ。山岳ベース事件のあれ。あの指輪は、いざとなったら質屋にでも持ち込んで生き延びるタネを手に入れろ、というものだったろうに、それを持っていたことを理由として虐殺された。

 …たしかこれは、美人だったから永田から恨まれたんだろう、と言われたという話を付されることもあったはず。これは邪推として絶対的に却下するのも、まあ、一案だが。まあいずれにせよ、家族愛等々の相当部分を非革命的で人間本来のありかたではない、と否定し去る、全面的な人間革命論を提出することを要求される道に至るだろうと思われる。辛いからやめといたほうがいいと思う。



だからこそ、個人の視点から生命の尊さを語り、生活の大切さを語り、平和について日常用語で、一人称で語り続けた」この点は運動のなかに通底していたと言うべきだろう。「それこそ、国家の大義のための個人を犠牲にしようとする安倍政権に抵抗するための、最善の戦略だった」―かどうかはともかく、非常に中核的な課題だったと思う。個人の存在、尊厳を守ろうという。

 が。安倍政権に対抗するため、安倍政権を倒すモーメントを一致させようというのだろうか、そこらのパンピーやそこらのガキどものちっぽけな個々人の思い如きを低水準のものと判定して高度な理論に「指導」しようとした人々がおり―



 ―残念ながら、SEALDsはそうした知的圧力に抵抗できるだけの力を持てなかった、と。そういう評価になるかな。



「ご飯を作ってくれるお母さん」という表象を守りたい訳じゃない。個人の尊厳を踏みにじって、バッシングに加担したことが許せない」、こういう個人の尊厳をまもろうという個人が発生していること。これは私は、はっきりと戦後民主主義の勝利の一側面だと信じる。私は多分、このひととは政治的立ち位置を違えるのじゃないかなとも思う。けれどこの基本原則を共有することについては、ちょいと一席、呑んで語り合ってもよさそうだ、と思う。中国茶の趣味があるならそっちでもいい。



 …まあ、そうでしょうね。

【授業用メモ】【講義用意】

 ともあれSEALDsについては、老人層が若者を消費したという面は否定できず、その点には注意を払わねばなるまい。



【グレタ問題】とも多少関わる。
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