始点は「野党支持者とフェミニスト」というので、ちょっと視覚が違っているけれども―「SEALDsは徹底して個人に定位した社会運動だった」というのは、これは落としてはいけない論点だなと。いや、既成の政治団体・政治運動に相当浸透されてしまっただろうというのは、それはそれで事実としても、個々人の動機・運動の一定部分については事実、個人的視座が基底にあっただろう。
…徹底しとおしたかと言われたら弱いかな。
僕の認識では、つい数年前までは、ここまで野党支持者とフェミニストが一体化していなかった気がするんだよな。SEALDsは徹底して個人に定位した社会運動だった訳だけど、フェミニストによる集団バッシングを受けたこと、そこできちんと対決姿勢を見せなかったことが、分水嶺になってるように感じる。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
知らない人のために経緯を箇条書きにすると。・「SEALDsが若い綺麗な女の子を前面に立たせて客寄せしてる」とツイフェミたちが事実無根の集団バッシングを展開。・PAPSJPがSEALDsに潜入し、「男女差別の実態はなかった」と報告したところフェミ界隈からハブられる。(続
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
この点については「なかった」は危うい回答だったとでも批判されるかも。なにしろ「権力勾配」等々の概念を使えば、微細な意思決定・実際の行動のあれこれにある任意の女性参加者をやや低める行動が観察されないはずがない。観察されたら、それは構造的な問題として描写できる。
そりゃそうだ、だってその問題としうる行動と言うのは、その行動をした個人のこれまでの人生に蓄積されてきた諸情報からでてくるものであり、その背景の人生を支えてきた社会の構造的な問題だと、そりゃあすぐさま作文できる。
・SEALDsの女子学生が、「帰省時に自分のお母さんが作ってくれたご飯がある日常を平和と呼びたい」と個人的経験を語ったところ、北村紗衣(武蔵大学専任講師)が安倍的家族観だ、SEALDsはセクシスト集団だと言われても仕方ないと批判。フェミとリベラル系知識人の大部分がバッシングを繰り広げた。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
…まあ、このように。
もっとも、「帰省時に自分のお母さんが作ってくれたご飯がある日常」の存在について、セクシスト概念で押し切れるとは限らないが。大勢としては持久力と体力に優れる男性個体の労働力を可能な限り絞り出すため、その生物的生活を支える資源を企業から外部化したすがた、「家庭」に家事担当者を配置せしめる―というのは資本の論理がつよく、是非ともセクシズムで区切らねばならないわけじゃなかろう。そうした近現代資本主義勃興時の理屈で形成された社会慣行を批判するというのは、それこそマルクス主義流の理論の得意とするところだろう。
・音楽評論家の高橋健太郎が、北村紗衣に公然と反論し、北村は被害者意識を剥き出しに、アカウントに鍵をかけて閉じこもる(お母さんご飯論争)・上野千鶴子が「運動の中にある性差別批判に対して違和感を表明した女性が、性差別を守りたい男によって叩かれた」と事実誤認に基づいたSEALDs批判を行う。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
・翌年になって、上野千鶴子とSEALDsが対談を行い、SEALDs側は上野に忖度したことを言う。https://t.co/qgdV6N8Gpj
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
もうこれね、全然ダメ。上野千鶴子とはきちんと対決しないといけなかった。対談は断るか、対談するなら全面的謝罪を要求するのが筋だったと個人的に思う。家族に関して個人的な記憶を語ってはいけないというのは、大学教員による女子学生へのハラスメント以外の何者でもない。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
「家族に関して個人的な記憶を語ってはいけないというのは、大学教員による女子学生へのハラスメント以外の何者でもない」これは重い批判だ。
山岳ベース事件みたい。永田洋子が母から譲られた指輪をしていた同士の女性に対して『ブルジョワ的だ』って批判して集団リンチしたのと似てるな…って思った。 https://t.co/eWiJQ7dE8o
— 如月 弥生 (@KisaragiYayoiM) March 23, 2021
…この絶望的な重さよ。山岳ベース事件のあれ。あの指輪は、いざとなったら質屋にでも持ち込んで生き延びるタネを手に入れろ、というものだったろうに、それを持っていたことを理由として虐殺された。
…たしかこれは、美人だったから永田から恨まれたんだろう、と言われたという話を付されることもあったはず。これは邪推として絶対的に却下するのも、まあ、一案だが。まあいずれにせよ、家族愛等々の相当部分を非革命的で人間本来のありかたではない、と否定し去る、全面的な人間革命論を提出することを要求される道に至るだろうと思われる。辛いからやめといたほうがいいと思う。
SEALDsは、個人に徹底的に定位した社会運動だったんだよ。だからこそ、個人の視点から生命の尊さを語り、生活の大切さを語り、平和について日常用語で、一人称で語り続けた。それこそ、国家の大義のための個人を犠牲にしようとする安倍政権に抵抗するための、最善の戦略だった。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
「だからこそ、個人の視点から生命の尊さを語り、生活の大切さを語り、平和について日常用語で、一人称で語り続けた」この点は運動のなかに通底していたと言うべきだろう。「それこそ、国家の大義のための個人を犠牲にしようとする安倍政権に抵抗するための、最善の戦略だった」―かどうかはともかく、非常に中核的な課題だったと思う。個人の存在、尊厳を守ろうという。
が。安倍政権に対抗するため、安倍政権を倒すモーメントを一致させようというのだろうか、そこらのパンピーやそこらのガキどものちっぽけな個々人の思い如きを低水準のものと判定して高度な理論に「指導」しようとした人々がおり―
その徹底した個人主義・リベラリズムに立脚した社会運動を潰しにかかったのが、ラディカルフェミニズムという左側の全体主義だった。SEALDsは、自分たちがやっていることの画期性を理解せず、自分たちを守る理論装置も持っていなかった。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) February 15, 2020
―残念ながら、SEALDsはそうした知的圧力に抵抗できるだけの力を持てなかった、と。そういう評価になるかな。
いやー、いま話題のあの人の女子学生への公開パワハラの件、僕はめっちゃくちゃ怒ってるし、加害者の被害者仕草も含めて心底嫌いなんだよな。「ご飯を作ってくれるお母さん」という表象を守りたい訳じゃない。個人の尊厳を踏みにじって、バッシングに加担したことが許せない。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) March 22, 2021
「「ご飯を作ってくれるお母さん」という表象を守りたい訳じゃない。個人の尊厳を踏みにじって、バッシングに加担したことが許せない」、こういう個人の尊厳をまもろうという個人が発生していること。これは私は、はっきりと戦後民主主義の勝利の一側面だと信じる。私は多分、このひととは政治的立ち位置を違えるのじゃないかなとも思う。けれどこの基本原則を共有することについては、ちょいと一席、呑んで語り合ってもよさそうだ、と思う。中国茶の趣味があるならそっちでもいい。
おそらく加害者本人としては父権主義的な振る舞いを行なっている自覚はなくて、それが教育だと思ってるんじゃないかな。
— 馬の眼🐴@「アキエゲート」執筆中 (@ishtarist) March 23, 2021
…まあ、そうでしょうね。
【授業用メモ】【講義用意】
ともあれSEALDsについては、老人層が若者を消費したという面は否定できず、その点には注意を払わねばなるまい。
うわあ、もう完全にSEALDs化してるじゃん。市民運動家達は、こうやってまた若者達を「消費」してゆくのね。
— 木曽崇@「夜遊びの経済学」絶賛発売中! (@takashikiso) 2019年9月29日
→就職活動中に、グレタさんを知ると、就活を中断して行動を起こした。/「きっかけはグレタさん」、就活やめて気候マーチへhttps://t.co/7MaYG8bL4D
【グレタ問題】とも多少関わる。
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