朝鮮日報 韓国映像制作会社社長、文大統領のツイートを批判し炎上 2019/05/28 10:31
「今月26日、フランスのカンヌ映画祭でポン・ジュノ監督の映画「寄生虫(パラサイト)」がパルムドールを受賞したことを受け、文大統領はツイッターで「受賞作の『寄生虫』がここ1年の間に世界で製作された全ての映画の中で最も優れた作品として認められた」から始まる祝いの言葉を書き込んだ」
これに対して突っ込みを入れるのは無粋では、まあ、あるだろう:「「(文大統領の)コメントは映画芸術の相対性に考えが及ばない残念な部分」と書き込んだ。パルムドールは世界一を意味するわけではなく、映画の作品性は序列化できないという趣旨だ。この会社は「国際競争映画祭は記録スポーツ競技ではない」とも主張」
そしたら文主義者が「これに対してネットではこの会社への非難が相次いだ。与党・共に民主党の支持者とみられるグループの掲示板には「無礼だ」という趣旨の数百件の書き込みがあった。「(この会社の商品は)絶対に買ってはならない」「滅んでしまえ」として同社商品の不買運動を呼び掛ける書き込みもあった」
映像会社は「「形式と方法、文章のニュアンスなどいずれも慎重さに欠けていた」「うれしいニュースが伝わったことで、誰もが共に祝おうとした大統領府の配慮に考えが及ばなかった点、韓国からの祝電を自然に受け入れ喜んでいた映画のスタッフにも不快な思いをさせたかもしれない不注意さを謝罪する」という内容の謝罪文を掲載」するハメに。
流石にあからさまに不見識な大統領のコメントをその分野の価値観でもってたしなめるのが無礼となるのなら、もう専門家なんかいらねえじゃん、とかいう気になりもする。
うん、韓国、やばげかな。
日本でも類例あったかなあと思うと、最近、有名映画賞を授賞した監督さんの話があった。
以前のメモをそのまま:
すくなくとも「潔く」ではないという点、当然、突っ込み対象だろう。カンヌ映画祭はフランス政府肝いりとの話もあり、その点にも突込みが入る。
とまあ、できるだけ某監督側に寄り添おうとすれば、カンヌはファシスト政権の傘下に陥ったヴェネツィア映画祭に対抗するためにフランス政府の手によって作られたのだから、反ファシストとしては名誉な賞なのだ、といういいわけもありえよう。ものすごく観念的だが。
ともあれ、この理屈によって、日本政府からの顕彰はうけない、ということの理屈をなんとか立てることもできる。現在の日本政府はかつてのファシズム時代を反省して出来上がって反省を重ねてきたわけではあり、70年の反省の積み上げなど無価値である、当然ファシスト政府の責任を負うのである、という理屈をつけないとまずいが。
―となると、当然、現在の日本政府もファシスト扱いとなり、その助成金というのは、ファシスト政権の影響を被るようになったヴェネツィア賞を受けるわけには行かないのと同様に受けるわけには行かなくなる。
…のではないかなあ。
やっぱり、「潔く」は無理だ。某監督側に寄り添って考えれば、日本政府由来の穢れたカネを受け取って作らざるをえなかった己の無能非才を嘆きつつ、そのような汚辱にくわえて、さらに顕彰まではどうしても受け取るわけにはいかない、という程度が精々だろう。
さて、この際、せめて文化庁の補助金は無原罪のカネとして受け入れて構わないとなれば、この場合は戦後日本政府の謝罪を評価・許容することになり、例のラノベ作家の反省もそれなりに受け入れるべきということになろう。
と周辺のみを見て書いたあと件の
KORE-EDA.com 『祝意』に関して 2018年6月7日
を見ると、相当辛辣である。
「しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」
どうしても「潔く」は比較級的とかなんとか、ご都合の謗りを逃れきらんとは思うが。
「最後に一言だけ。今回の『万引き家族』は文化庁の助成金を頂いております。ありがとうございます。助かりました。しかし、日本の映画産業の規模を考えるとまだまだ映画文化振興の為の予算は少ないです。映画製作の「現場を鼓舞する」方法はこのような「祝意」以外の形で野党のみなさんも一緒にご検討頂ければ幸いです。以上」
―『カネも出さずに日々の瞬間的な政争の具にするために他人の仕事を消費だけする連中は相手にしたくないんだ』というふうにも翻訳できそうだ。
つまり、これを安倍政権への攻撃のタネくらいにしか使えないひとたちにも、この刃は突きつけられているわけなのだ。
およそ革新を志すもの、少数派であることは明らかなのだ。せめて並以上に脳髄を絞らねば、その革新たる自覚に悖ることだろう。
そう思ってあえて客寄せパンダの役割を引き受ける人も立派だし、どうしてもその一点だけはゆずれない、というのもそれはそれで立派だなと思っておくと楽。
純粋性をどこまで問うか、と言う問題がついてまわる。
私はそこそこ清濁をあわせのむ、ということにしたが。
「今月26日、フランスのカンヌ映画祭でポン・ジュノ監督の映画「寄生虫(パラサイト)」がパルムドールを受賞したことを受け、文大統領はツイッターで「受賞作の『寄生虫』がここ1年の間に世界で製作された全ての映画の中で最も優れた作品として認められた」から始まる祝いの言葉を書き込んだ」
これに対して突っ込みを入れるのは無粋では、まあ、あるだろう:「「(文大統領の)コメントは映画芸術の相対性に考えが及ばない残念な部分」と書き込んだ。パルムドールは世界一を意味するわけではなく、映画の作品性は序列化できないという趣旨だ。この会社は「国際競争映画祭は記録スポーツ競技ではない」とも主張」
そしたら文主義者が「これに対してネットではこの会社への非難が相次いだ。与党・共に民主党の支持者とみられるグループの掲示板には「無礼だ」という趣旨の数百件の書き込みがあった。「(この会社の商品は)絶対に買ってはならない」「滅んでしまえ」として同社商品の不買運動を呼び掛ける書き込みもあった」
映像会社は「「形式と方法、文章のニュアンスなどいずれも慎重さに欠けていた」「うれしいニュースが伝わったことで、誰もが共に祝おうとした大統領府の配慮に考えが及ばなかった点、韓国からの祝電を自然に受け入れ喜んでいた映画のスタッフにも不快な思いをさせたかもしれない不注意さを謝罪する」という内容の謝罪文を掲載」するハメに。
流石にあからさまに不見識な大統領のコメントをその分野の価値観でもってたしなめるのが無礼となるのなら、もう専門家なんかいらねえじゃん、とかいう気になりもする。
うん、韓国、やばげかな。
日本でも類例あったかなあと思うと、最近、有名映画賞を授賞した監督さんの話があった。
以前のメモをそのまま:
ニュースを見たとき感じた違和感がそのままトゥギャられていた。 https://t.co/G973idjxEk @togetter_jpさんから
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2018年6月9日
すくなくとも「潔く」ではないという点、当然、突っ込み対象だろう。カンヌ映画祭はフランス政府肝いりとの話もあり、その点にも突込みが入る。
皆さん是枝氏の書いた言葉を選んである文章を、もっとちゃんと読むべきです。下のツイート参照し、是枝氏メッセージを再読して下さい。そんな0か100しかない理解力だから、トラブル起きたとき企業がやたら謝ったり、過剰に損切りするような圧力社会が生まれてるんですよ。https://t.co/oLiQtxqWGs
— アリシア(音色) (@AliciaDeLa6cha) 2018年6月9日
「顕彰」は政治的だから受けん、「助成」は非政治的だから受ける。それをご都合主義だと取る人には、いくら「注意深く」読んでみたって、文意が変わるようには見えないよね。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2018年6月9日
とまあ、できるだけ某監督側に寄り添おうとすれば、カンヌはファシスト政権の傘下に陥ったヴェネツィア映画祭に対抗するためにフランス政府の手によって作られたのだから、反ファシストとしては名誉な賞なのだ、といういいわけもありえよう。ものすごく観念的だが。
ともあれ、この理屈によって、日本政府からの顕彰はうけない、ということの理屈をなんとか立てることもできる。現在の日本政府はかつてのファシズム時代を反省して出来上がって反省を重ねてきたわけではあり、70年の反省の積み上げなど無価値である、当然ファシスト政府の責任を負うのである、という理屈をつけないとまずいが。
―となると、当然、現在の日本政府もファシスト扱いとなり、その助成金というのは、ファシスト政権の影響を被るようになったヴェネツィア賞を受けるわけには行かないのと同様に受けるわけには行かなくなる。
…のではないかなあ。
やっぱり、「潔く」は無理だ。某監督側に寄り添って考えれば、日本政府由来の穢れたカネを受け取って作らざるをえなかった己の無能非才を嘆きつつ、そのような汚辱にくわえて、さらに顕彰まではどうしても受け取るわけにはいかない、という程度が精々だろう。
さて、この際、せめて文化庁の補助金は無原罪のカネとして受け入れて構わないとなれば、この場合は戦後日本政府の謝罪を評価・許容することになり、例のラノベ作家の反省もそれなりに受け入れるべきということになろう。
と周辺のみを見て書いたあと件の
KORE-EDA.com 『祝意』に関して 2018年6月7日
を見ると、相当辛辣である。
「しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」
どうしても「潔く」は比較級的とかなんとか、ご都合の謗りを逃れきらんとは思うが。
「最後に一言だけ。今回の『万引き家族』は文化庁の助成金を頂いております。ありがとうございます。助かりました。しかし、日本の映画産業の規模を考えるとまだまだ映画文化振興の為の予算は少ないです。映画製作の「現場を鼓舞する」方法はこのような「祝意」以外の形で野党のみなさんも一緒にご検討頂ければ幸いです。以上」
―『カネも出さずに日々の瞬間的な政争の具にするために他人の仕事を消費だけする連中は相手にしたくないんだ』というふうにも翻訳できそうだ。
つまり、これを安倍政権への攻撃のタネくらいにしか使えないひとたちにも、この刃は突きつけられているわけなのだ。
およそ革新を志すもの、少数派であることは明らかなのだ。せめて並以上に脳髄を絞らねば、その革新たる自覚に悖ることだろう。
大臣だろうが野党だろうが自民だろうが民進だろうが、賞をもらったらお約束で「監督」と言って擦り寄るんだよ。それやるために賞出してるんだから、監督も大臣も役割演じろよ。それやるから後進が映画作れるんだよ。 https://t.co/KhdnN5tvuh
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2018年6月26日
そう思ってあえて客寄せパンダの役割を引き受ける人も立派だし、どうしてもその一点だけはゆずれない、というのもそれはそれで立派だなと思っておくと楽。
で、芸術文化振興会の財源は芸術文化振興基金の運用益。その基金は国だけじゃなく民間企業や個人からの資金で成り立ってる。確かに税金が注がれてはいるものの、それは半世紀以上も前のことであって、しかも全額政府出資ではない。よって、是枝監督への非難は、筋違いも甚だしい。
— 新川貴詩 (@shinkawa_takash) 2018年6月10日
純粋性をどこまで問うか、と言う問題がついてまわる。
私はそこそこ清濁をあわせのむ、ということにしたが。
(確か)「味の素」のスターターには豚由来の物質を使ったことがあり、これを理由にムスリムが怒ったことが昔あったと記憶する。発酵なりなんなりがあって、結局、製品には豚由来の物質なんか入っていない…とはいえるが、この見解はムスリムは受け入れるべきかどうか(受け入れない・訂正するという方向になったはず)。
とまあ、至純を求めれば、「今は国の金なんかはいっていません」とか、そんなんはご都合主義だと切って捨てることは可能であろう。
そういうところにカネを寄付すれば税金が安くなるとか、勲章が来るとか、そういった方向で「ご褒美」はくることになろう。そうしたものを国から「買い取った」カネである、と。