…いやもう,ばっちり“a low-budget, amateurish production ”と呼ばれるようなフィルムで,えらい大騒ぎになったものです。
BBC Film protests: US orders Tunisia and Sudan withdrawal 16 September 2012
また,両国内にいる米国市民については帰国するよう促す。なにしろ大使館が攻撃されたうえ,死者まででましたからねえ。なおスーダンは米国が海兵隊を派遣しようとしたことについて許可しない方針。自国の治安組織は大使館の安全を保障する能力があるのだというわけである。
スーダン政府のそうした努力を,一応評価しながらも,米国としてはそれなりの対応をする必要はあるわけだ。なにしろKhartoumでは三人死んでるし。Tunisでは二名死んでるし。
基本的には,エジプトの首相Hisham Qandil氏がBBCとのインタビューで言うよう,預言者への侮辱は受け入れられないものではあれ,しかし平和的なデモを暴力の巷に変える権利はありはしない,のである。
彼がいわく,「Egyptians, Arabs, Muslims - we need to reflect the true identity of Muslims, how peaceful they are, and talk to the Western media about the true heart of the Muslims, that they condemn violence」。
…事ここに至った原因については:
BBC Film protests: What explains the anger? 15 September 2012 By Shashank Joshi
を参照してみる。
まずは「アラブの春」の経験を挙げることができる。少なくとも民衆がその手でモノを変えることができるのだという実例は人々を力づけたことはそうだろう―そしてイスラミスト運動をも。同時にそれは,法の支配を緩めることにもなった。意志を通すには民衆を動かしてデモをするがよい,はじめるに易く,扇動して利用するに易く,しかし混乱した治安組織がそれを何とかするには困難に過ぎる。
しかしその説明は,スーダンや,たとえばカタールのような,アラブの春の影響のない・薄い土地での動きを説明しない。そこで2006年のデンマークの戯画事件を思い出すべきであるし―また,深刻な反アメリカ主義の存在も思うべきである。このInnocence of Muslimsは単にきっかけに過ぎない。
とある調査によれば,イスラム圏で2009年には25%の親米層が存在したのに,2012年には15%におちているとか。その理由は様々で,イスラエル・パレスチナ問題への関わり様だったり,中東での米国主導の戦争にあったり,独裁者に肩入れしてきた歴史だったりする。
Obama大統領が,寧ろ素朴に革命を支持したにも関わらず,その革命派はObamaの行動は遅すぎ小さ過ぎたと評価し―これもまた,反米の理由ともなる。
(いやなあ,いくらあの米国とはいえ,無限に介入しまくるほど兵力にも予算にも余裕はなかろうが)
但し,反米主義と宗教的極端主義とを区別して我々は考えるべきだとここに言われる。年配層はより宗教的であるかもしれないが,35歳以下―アラブの春の駆動の源―は寧ろ政治に動機付けされるようだという。ジェネレーションギャップがあるのである。
そんなこんなで,反米主義ってどこまで動機付けになっているのかというと,危うい点があるのだ―という論調。何しろ,エジプトでは35%が,米国とエジプトとの関係は革命以前と同様,強くあるべきだとし―20%は,さらに宜しくなるべきであるとする由。
Tunisiaでは,60%までの人々が,民主主義についての米国的観念を好ましく思っている由。リビアでは54%までが米国の指導に賛成する―この地域の数字としては異例に高い。親米的デモがある土地でもあるが,しかしベンガジの米国公使館は攻撃された。
そんなわけで,大使館に突入してなんとかしちゃうようなのは,相当少数の声のでかい種類の人たちであろうと推論されるのである。
(そうした認識は「上の方」では持っているものではあろう。だからスーダンでも’terrorists’の鎮圧が課題になっているのだろう)
そうして,行動の主力の―見かけ上の強力さに対して―弱体さが推測できようところ,この動きを機会として利用する一群がある。自分の影響力を強め,混乱を助長しようとする,地方的な指導者(希望者)である。
(…んなわけで,まーどこでも見られる傾向だよね,というところか)
あとObama大統領の政治についての言葉が見られるが,私はそこに詳しくないし,置いておく。
BBC Film protests: US orders Tunisia and Sudan withdrawal 16 September 2012
また,両国内にいる米国市民については帰国するよう促す。なにしろ大使館が攻撃されたうえ,死者まででましたからねえ。なおスーダンは米国が海兵隊を派遣しようとしたことについて許可しない方針。自国の治安組織は大使館の安全を保障する能力があるのだというわけである。
スーダン政府のそうした努力を,一応評価しながらも,米国としてはそれなりの対応をする必要はあるわけだ。なにしろKhartoumでは三人死んでるし。Tunisでは二名死んでるし。
基本的には,エジプトの首相Hisham Qandil氏がBBCとのインタビューで言うよう,預言者への侮辱は受け入れられないものではあれ,しかし平和的なデモを暴力の巷に変える権利はありはしない,のである。
彼がいわく,「Egyptians, Arabs, Muslims - we need to reflect the true identity of Muslims, how peaceful they are, and talk to the Western media about the true heart of the Muslims, that they condemn violence」。
…事ここに至った原因については:
BBC Film protests: What explains the anger? 15 September 2012 By Shashank Joshi
を参照してみる。
まずは「アラブの春」の経験を挙げることができる。少なくとも民衆がその手でモノを変えることができるのだという実例は人々を力づけたことはそうだろう―そしてイスラミスト運動をも。同時にそれは,法の支配を緩めることにもなった。意志を通すには民衆を動かしてデモをするがよい,はじめるに易く,扇動して利用するに易く,しかし混乱した治安組織がそれを何とかするには困難に過ぎる。
しかしその説明は,スーダンや,たとえばカタールのような,アラブの春の影響のない・薄い土地での動きを説明しない。そこで2006年のデンマークの戯画事件を思い出すべきであるし―また,深刻な反アメリカ主義の存在も思うべきである。このInnocence of Muslimsは単にきっかけに過ぎない。
とある調査によれば,イスラム圏で2009年には25%の親米層が存在したのに,2012年には15%におちているとか。その理由は様々で,イスラエル・パレスチナ問題への関わり様だったり,中東での米国主導の戦争にあったり,独裁者に肩入れしてきた歴史だったりする。
Obama大統領が,寧ろ素朴に革命を支持したにも関わらず,その革命派はObamaの行動は遅すぎ小さ過ぎたと評価し―これもまた,反米の理由ともなる。
(いやなあ,いくらあの米国とはいえ,無限に介入しまくるほど兵力にも予算にも余裕はなかろうが)
但し,反米主義と宗教的極端主義とを区別して我々は考えるべきだとここに言われる。年配層はより宗教的であるかもしれないが,35歳以下―アラブの春の駆動の源―は寧ろ政治に動機付けされるようだという。ジェネレーションギャップがあるのである。
そんなこんなで,反米主義ってどこまで動機付けになっているのかというと,危うい点があるのだ―という論調。何しろ,エジプトでは35%が,米国とエジプトとの関係は革命以前と同様,強くあるべきだとし―20%は,さらに宜しくなるべきであるとする由。
Tunisiaでは,60%までの人々が,民主主義についての米国的観念を好ましく思っている由。リビアでは54%までが米国の指導に賛成する―この地域の数字としては異例に高い。親米的デモがある土地でもあるが,しかしベンガジの米国公使館は攻撃された。
そんなわけで,大使館に突入してなんとかしちゃうようなのは,相当少数の声のでかい種類の人たちであろうと推論されるのである。
(そうした認識は「上の方」では持っているものではあろう。だからスーダンでも’terrorists’の鎮圧が課題になっているのだろう)
そうして,行動の主力の―見かけ上の強力さに対して―弱体さが推測できようところ,この動きを機会として利用する一群がある。自分の影響力を強め,混乱を助長しようとする,地方的な指導者(希望者)である。
(…んなわけで,まーどこでも見られる傾向だよね,というところか)
あとObama大統領の政治についての言葉が見られるが,私はそこに詳しくないし,置いておく。
そうなると,今度はいろいろな―政治とは別個であろうと思いなされる―領域まで政治化しかねない。
ラーメン屋さんでTVを流し見していて思ったが,TVでは能天気に芸能人の誰それが誰それと数年の愛を実らせて結婚だとかというておる。
他方,今も中国ではデモという建前の行動があったりする。『あれは流石に頂けないねえ』という風に流しながら,我々はラーメンを頂いたりするのである。
―それが自由・民主主義ということだろう。
ところが中国は,中東の多くの国はまだ,そこまで細分化されていないわけなのだろう。
いちいち,いち芸能人に竹島問題をつきつけてみたり。まあそれは質問する側が品がない,ということで済ますとしても,どーもその(やや落ち目の?)芸能人自身が領土問題に真正面から飛び込んでみたり。