トランス団体『偏見に、負けるな。98%のストレート男性はトランス女性を嫌悪しデートを望みません。これは変えていかなければ』…「男が悪い」へ持っていくことが女性的と考えてるなら違うよw pic.twitter.com/tVUJRWFX8M
— Blah🇺🇸 (@yousayblah) March 10, 2021
非常に個別的な課題が入るので、単純にトランスフォビアと言って済ませるわけにはいかない。
また、「デート」の意味合いもあるだろう―遊びでヤリたいというならそれに相応した器官を要する。ならばその点で機能が落ちる(外科的形成が進んでない)可能性があるトランスを避けるというのは、まあ、理屈が通る。しかしこのような―勤務時間中に書くのを憚るような表現で言えば「オナホじゃない」ことを理由に投資(デート)しないというのは、トランス差別といえる内容なのかどうか。むしろ女性差別というべきものじゃないかな。
他方で好きになったからというなら、別に相手がトランスだろうが男だろうが女だろうがフィギュアだろうが何でもいいんじゃね?というのが―うんまあ、そこまでハードルが低い向きは、多数派ではあるまいな、うん…。
“彼女“らにしてみると「トランス女性は女性です!」なので、他の女性と比べモテない=男性側に偏見があるから、トランスフォビアだから、となるんですね。「男が悪い!」に終始するあたりはフェミと親和性高いw
— Blah🇺🇸 (@yousayblah) March 11, 2021
個人的に相手さんが求める魅力の総量・質(等)に劣る、という可能性を排除するのはよくないだろう。「イカしてる」(古いな、おい)とか「イケメン!」とか、そういう感覚自体はかなり個人的なものだ―尤も、そこからして個々人の属する文化と無縁ではないのは、そりゃその通りだが。
しかし、「予めトランスフォビア的な文化に染まって生まれ育ってきたから、皮膚感覚的に、いま現に相手がトランス女性だと知って拒絶してしまった」例がでたとして。なるほどこれはトランスフォビアであり、トランスに対する差別的な現象ではあるが、とはいえこの人物に責を帰してしまいきっていいものかどうか。
…声がけしたのなら、その分の責任は取れや、という気はちょっとする。
が。逆にトランス女性側からアクションを仕掛けた場合ならどうだろう。『私はあなたを好きになりました。デートしましょう。さらに進んで××××💖 …え? 私とは嫌ですって? ああああっ?! あなたはトランスフォビアのトランス差別野郎なんですね!? 見損ないました! この差別主義者ー! 反人権思想家ー! 現代に生きていてはいけない中世的価値観の外道なんか社会的に修正してやるー!』…なんてことになりゃあしないかと。フるのも大変、なら最初から付き合わなきゃいいや…になりゃあしないかと。
…それが対女性でも起こっているらしく―例の「新入社員(女性)を飲み会に誘わない」のお話に繋がるわけだ。
…『注文の多い料理店問題』とでもいおうか、こっちの選択権ってもんだってあろうよ、という問題とも連なっていくのかもしれない。
私が結婚しない・できない理由の一つは、「いいよる」女性側の注文の多さによる。『次男(以下)で自分の親の面倒は長男に既に任せきっていて見る必要がなく、しかし親の面倒を見るべきという男性の義務感に駆られているはずなので私の親の面倒を見させてあげる!』から始まる要求の連打は、ちょっとこう、年収4~5百万程度では実現できないとみるほかなかった。
あと給料のレートを上げる一要素として、一応仮にも研究を要するんだからね? 『研究したいはずがないので止める理由として私が結婚してあげなくもない! 私という、すべてを捧げつくすべき存在が手に入るんだから、今までの人生の暇つぶしにしていた研究なんて当然止めるわけで』とかね? ちょっとね? 状況の説明、させてくれる? なぜ私が発言しようとすると即座に発話をはじめて私の発言を封じるの?
―まあ、閑話休題。
ともあれ。
こういう仮定を出してみたらどうか―ということもありえる:「トランスフォビアではありえない、親トランス運動家のなかからパートナーを選べば?」。好みじゃない、などという回答が出れば、それが答えだ、ということになってしまう。トランスを受容するかどうか だ け が理由じゃない、という解答が一つ、出てきてしまう。絶対唯一の解答ではない。しかし、解答の一つではある。複合的な問題をトランス一元論に持ち込んで、果ては断罪する。そうした側面は否定できない、そんなふうに思われて、でこんな具合になるわけだろう:
参考:「超異性愛!?新たな(?)性愛でポリコレに電流走る。」(2021年3月9日)
非常になげやりとは言えるが、偽らざる感情のひとつではあろう。
まあ、この手の話題は常に出てくるもので―メモはいくつかある。
私も含むヘテロセクシャル男性は、その存在だけで何らかの加害者性がある社会構造。原罪とも呼べる。だから、目覚めて学んだ際には、その自覚と生涯、向き合い続けなければならない。自己覚知して変わることは大変なこと。自己のセクシュアリティ、ジェンダーに向き合いたい。 https://t.co/kvsyeJUpwq
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 17, 2020
そういう風に信じる思想の自由は存在すると思う。
カルト宗教の信者っぽい発想だなぁとしか。自分自身が罪深い、加害者性がある存在と「目覚め」て、自己のセクシュアリティ、ジェンダーに「向き合う」ことで何か当人にとっていいこと(メリット)ありますか? https://t.co/3vnRE0FRkt
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) May 19, 2020
「より正しき高次の存在になることができます」
— 今井士郎 (@shiroimai) May 19, 2020
…なぜ「ヘテロセクシャル男性」と限定するのかという問題もあり―そのルートは反出生主義に陥りやすい感があり、大変注意を要すると思う。
また、LGBT問題のメモとしてはほかにもこんな論題が:
年末年始となるとふと考えてしまうのが「老いと孤独」。家族友達行事が多いからこそでしょうか……。友人が手がけた、欧州初のLGBT向けの高齢者・多世代住宅について書かせて頂きました!高齢者の一人暮らしの孤独という問題を、建築でいかに解決するか?ご興味ある方、ぜひ!https://t.co/XPXqoNiMI4
— kawachi_berlin (@berlinbau) 2018年12月28日
…足早であろうとする人々は多々いるようだが、まあその、地道な努力があってしかるべきだと思う。
学歴でここまで差が出るのか...高学歴層ではなんと緑の党がCSUを抜いてトップ一方、低学歴層ではCSUとAfDが圧倒的総じて高学歴ほどリベラル、低学歴ほど保守という結果に https://t.co/uoFGCMvOsb
— Socialiste (@cysgluala) 2018年10月14日
せやろな。
なお、「イシキタカイ」ひとたちは、もすこしこうした現状を知った上、地道に理解を広げる活動をしたほうがよい。その積み重ねこそが世界を全体的に改善していく、と思うのだが。
長年の活動の結果、女性の権利拡張・社会進出も、障害者の社会進出も、LGBTの理解・状況も、だんだんマシになってきただろう。
とんねるずの保毛尾田保毛男のネタは、30年前は通ったが、今は理解がなさすぎるということで通らなくなった。
パラリンピックの話も、ふつーにされるようになった。
女性の高級官僚も、まあ一応仮にも登場するようになった(消費者庁中心だとかいう突っ込みはあるが、以前はそれさえなかっただろ、ということで)。
長年の積み重ねの上にあるのである、こうした状況は。
それなしに、一足飛びに三足飛びに、百歩も飛んで「僕が思っている僕の正義」を実現させようと直接行動に出すぎたひとたちが「過激派」とかいわれるわけなのだ。
【LGBT問題】【gender問題】
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