恐らく結論的には、日本の全般的な地盤沈下の一局面なので、個々の研究者をしばいてどうにかするという筋は早晩限界に達する(ほぼ達した)。現状より以上の成果を求めるならインプットの増加を要する、と言うことなんじゃないですかね:
他方で、どこかで見かけたが、一人当たりの生産性(や、恐らくは質も)過去の”ご自由”な時期より改善しているとか―まあそりゃそうか、20年業績なしのひとなんてのは、基本的には淘汰されてきている・自然減している。そしたら、まあなあ…ということもある。
とまあ、水準は上がっているだろう!と主張がある。
にも関わらず―換言すれば、改革には一定のプラス効果が認められた(らしい)にも関わらず、日本の研究業界の相対的低下が見られるとしたら、そりゃ他の国々の成長が著しいからじゃないか。これも少なくとも真実の一面ではあるはずで、その証拠としては中国を見ればいい。所謂”カネが儲かる”ような分野だけでなく、ほかの分野にも進出しつつあるでしょう、個々の領域でひしひしと感じているはずだ。
しかし改革は、このとおり現場で不評である。なにしろダメな点としては、研究者の研究リソースが様々なほかの業務で潰されているからであり―
きめ細かな教育を、とかなんとか。旗印としてはまあ納得するし、そう言わなければならない・言われるべき者もあろうとは思うのだが、こっちも人間なんだし限度があるよねえ。「僕は一対一でないと教育効果が上がらないんです!」と主張する学生が、講義中は自分の手元のスマホだかを延々みていたり。教科書を読んでもわからない、勉強方法なんかあるんですか、とかいうので、例えば音読でもしてみたら、というと「そういう努力はしたくないです」。
…泣きながら主張されても、マス講義はそれなりにやらざるを得ないし(なにしろ教員の数が足りない)、音読書き取り級友との討議など、試みて価値あるだろう手法がわりとたくさんあるのに努力したくない、講義を聴かないのはお前の授業が面白くないからださあ配慮しろと来ましても、どうすればいいんだい。しかしこういう学生にも「きめ細かな」対応をしなければならない…とか。
ならもう、増員してくれ、というのが現場の切実な声の一部だろう、と思うのだ。書類書きは大事だろう、教育も大事だ。一般講義も当然すべきだし、FDで教育法の改善・研究におさおさ怠りないように! 個々の教育困難学生への対応も大事だね。心理講習会には参加するのが当然だ。部活だってもちろん重要な教育の手段の一つであるし、学生生活指導ももちろん。ああ地域貢献も…っていいかげんにしてくれ、と言いたいわけだ。
…これでも領域最前線のはずなんだ、私は…しかし業務に割くべき時間をみるに、研究が許されないような状況である。にしては私頑張ったよなあとか思う今日この頃。
データが示す日本の研究力低下 根底に大学の環境悪化:日本経済新聞 https://t.co/ScYCKgOXkY
— 山形方人(nihonGO) (@yamagatm3) 2017年12月2日
「学術論文の国際シェア低下という紛れもない数値そのものを「実態を反映していない」と見向きもしない大学関係者もいる。」
研究時間を増やすためには、任期制をやめ、運営費を増やして、スーパーグローバルとかしょうもない改革をやめることです。要するに、この20年ほどの『改革』を全部巻き戻せばよい。ほとんど全部改悪なんだから。
— buvery (@buvery) 2017年12月3日
他方で、どこかで見かけたが、一人当たりの生産性(や、恐らくは質も)過去の”ご自由”な時期より改善しているとか―まあそりゃそうか、20年業績なしのひとなんてのは、基本的には淘汰されてきている・自然減している。そしたら、まあなあ…ということもある。
日本人はアメリカを本当に理解しているのか。私も多くの米書を読み研究しているが、難しい。日々の出来事を追うジャーナリストには期待薄。学者の出番だが、昨今は冴えない。ゴルフではなく、本格的なアメリカ研究が必要だ。アメリカが思わぬ行動に出たとき、米文明に対する無知を後悔しても遅すぎる。
— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) 2017年11月5日
「昨今は冴えない」って昔はもっとひどかっただろ。自分や同世代の学者がどの程度の本を書いて何を発言してきたか思い出したほうがいい。 https://t.co/tTkW38CQSt
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2017年11月5日
とまあ、水準は上がっているだろう!と主張がある。
にも関わらず―換言すれば、改革には一定のプラス効果が認められた(らしい)にも関わらず、日本の研究業界の相対的低下が見られるとしたら、そりゃ他の国々の成長が著しいからじゃないか。これも少なくとも真実の一面ではあるはずで、その証拠としては中国を見ればいい。所謂”カネが儲かる”ような分野だけでなく、ほかの分野にも進出しつつあるでしょう、個々の領域でひしひしと感じているはずだ。
しかし改革は、このとおり現場で不評である。なにしろダメな点としては、研究者の研究リソースが様々なほかの業務で潰されているからであり―
「大学の環境悪化」とあるけど、大学における教育や社会貢献などの充実を目指して実現した結果ではないのかな。当然、研究にしわ寄せがくる(はず)。https://t.co/DNBqitLl8J
— ATSUSHI TOYODA (@atsushitoyoda) 2017年12月4日
きめ細かな教育を、とかなんとか。旗印としてはまあ納得するし、そう言わなければならない・言われるべき者もあろうとは思うのだが、こっちも人間なんだし限度があるよねえ。「僕は一対一でないと教育効果が上がらないんです!」と主張する学生が、講義中は自分の手元のスマホだかを延々みていたり。教科書を読んでもわからない、勉強方法なんかあるんですか、とかいうので、例えば音読でもしてみたら、というと「そういう努力はしたくないです」。
…泣きながら主張されても、マス講義はそれなりにやらざるを得ないし(なにしろ教員の数が足りない)、音読書き取り級友との討議など、試みて価値あるだろう手法がわりとたくさんあるのに努力したくない、講義を聴かないのはお前の授業が面白くないからださあ配慮しろと来ましても、どうすればいいんだい。しかしこういう学生にも「きめ細かな」対応をしなければならない…とか。
ならもう、増員してくれ、というのが現場の切実な声の一部だろう、と思うのだ。書類書きは大事だろう、教育も大事だ。一般講義も当然すべきだし、FDで教育法の改善・研究におさおさ怠りないように! 個々の教育困難学生への対応も大事だね。心理講習会には参加するのが当然だ。部活だってもちろん重要な教育の手段の一つであるし、学生生活指導ももちろん。ああ地域貢献も…っていいかげんにしてくれ、と言いたいわけだ。
…これでも領域最前線のはずなんだ、私は…しかし業務に割くべき時間をみるに、研究が許されないような状況である。にしては私頑張ったよなあとか思う今日この頃。
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