「昔もイジメはあったが今と違い陽気でカラッとしていたし限度を超えるとガキ大将が収めていた」といった類の言辞は全てイジメていた側から発せられている。「私はイジメられていたがみんな陽気だったし楽しかった」「自殺する陰湿さはなかった」とイジメられていた側からの述懐は聞いたことがない。
— ナスカの痴情ェ (@synfunk) 2015, 8月 5
なお、「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」で有名な「中野富士見中学いじめ自殺事件(日本語版Wikipedia)」の発生は1986年(昭和61年)。この「カラッと」していない事象が起きて、後追い自殺がレッツゴーn人というザマになったことから、この時期には既に日本全国でイジメは一般的にカラッとしていなかったといってまあ間違いないのではないか。
で、当時中学生(14歳前後)だったひとは、いまは43前後(単純計算)。
ならば現在50歳くらいのひとなら「カラッとしていた」虐めの時代だったのだろうか。
ところで「上福岡第三中学校いじめ自殺事件(日本語版Wikipedia)」の発生は1979年(昭和54年)。単純計算で36年前。自殺者は中一で、12歳。この場合、在日朝鮮半島出身者三世で多少ほかの事例と異なる色合いがあるが、彼が自殺した直後、別の(第二位の)いじめられっこが”今度はお前の番だ、死ね”と言われていたりということで(赤坂憲雄『排除の現象学』)、要するにイジメのネタになりそうな何かの属性があればいいだけのことである。別に最近所謂ヘイト云々と絡める必要もあるまい。
で、当時中学生(14歳前後)だったひとは、いまは50歳前後。
…うんまあ。
いまも昔も、ガキ大将というか、多少の権力者・権威者による監視や監督、介入行為は存在した・しているのであり、そうした管理監督介入の宜しきを得て「イジリ」程度に収まっていれば、まあそれなりに昔のやんちゃな思い出なりなんなりの範囲に収まるだろうさ、というだけのことだろう。
あとまあ。いじめられた側がそれなりに収まるのは、「そんなふぅ」に形作られたりするから、というのはあるかなあと思われる。
私も、どうも気弱で人が怖くて、どうも下手に出る癖がついた。
それも良くないのだよね。
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