「この分野なら〇〇さんだな」の〇〇さんになれれば、研究費も職も得られるのかアカデミアではあると思う。いや、アカデミアに限った話でもないかもしれんが。
— pkm (@tkmpkm1) 2017年11月16日
…まあ、そういうポジションを得つつあるかなあ、私。
日本社会は「専門家」と言う言葉を「その分野に詳しい人」と理解する。確かに専門医などはそれで当たっている。翻って現在の研究大学では「専門家」とは「その分野で基本的な貢献のある独創的なパイオニア」を指す言葉である。前者とは門弟と家元ほどに違いがあるのだが、およそこの点が理解されない。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年10月29日
パイオニアは、しかし、上の世代には受けが良くないかもしれないな。いや、相互にパイオニアたるような水準なら問題ないわけか。しかし「あがっちゃった」ひとにはなあ…と思って…。
文系研究者(ガチ)でもちゃんとアップデートを怠らず技術分野に興味を持ってたりすると、彼らならではの分析力観察力が凄く生きてて参考になるんですよねえ。
— KGN (@KGN_works) 2017年10月23日
個人的には『文理の別ではなく、個人の資質の問題』であろうかと思います。 https://t.co/ksVLFXQPiH
マジ個々人による、と思うのです。
確かにパイオニアを専門家と見なすね。
— pkm (@tkmpkm1) 2017年10月29日
だからたまたま他人の分野にあがりこんで、それなりの発見とかしちゃうと、その分野の総説とか解説を書いてくれって依頼が来るから、一生懸命基礎的なことを勉強しなきゃいけなくなったりする。発見に関係する知識以外は学生レベルしかない場合もあって大変。
…うんまあ。
英語で書けば世界中で読んでもらえるけど、日本語で書くと日本でしか読まれないっていう悲しい現実を考えると国内誌ではレビュー論文のような形で広く読んでもらえるものを書くっていうのが避けられない流れなんだと思う。結局論文は出版することが目的じゃなく読んでもらうことが目的なわけだし…
— T?? A??? (@TKM_aoyama) 2017年11月14日
国内で受けそうな話と、アメリカで受けそうな話と、ちょっと前のヨーロッパなら受けただろう話と…まあその、場所場所に応じた発表も必要かな。とりあえず先日、普段は英語で書く領域について日本語で一本書いておいたものがあり、需要があった模様。もう日本語でばりばりやっちゃったほうがいいかもしれない、それ。
一法人で複数大学持って出来のいい教育大学の学生を研究大学に移籍できるようにしたり成績の悪い研究大学の学生を《突然の騒音》たりするんだってマックの隣の席でアメリカ人が言ってた。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2017年10月29日
教員もかなあ? https://t.co/NCS8xQMsGJ
— Masahiro Yamada (@myamadakg) 2017年10月29日
節子、今も大方のところは実質そうなっとるんと違うか。でもって、互いに自分が一番タイヘン&忙しい&損しとる、とにらみ合うて潰し合うとるやろ(´ω`) https://t.co/VlKFQ2xVXJ
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2017年10月17日
割と近い危機になったので、不安に思う人は努めるとよいのです。しかしまあ、それなりにはバランスのとれたスキルが要請されるだろうところ、教育に関する講習会が閑古鳥ってのは教育を中核とする学校としてどうかとか。
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