TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

講演会「野呂邦暢」に参加して

2015年11月10日 | 諫早
今年の出版業界は、又吉直樹さんの芥川賞で大いに盛り上がっています。受賞作「火花」の200万部突破もですが、又吉さんが推薦する他の作家の本も急速に売り上げを伸ばしているということです。本離れがすすんでいた出版業界にとって又吉さんはまさに救世主であり、「火花」は大輪の打ち上げ花火となりました。

さて、諫早にこだわって執筆活動をされた野呂邦暢さんが芥川賞を受賞されたのは今から41年も前で、急逝されて35年になります。
ところが、その野呂さんについての講演が長崎県立図書館であるということだったので聴きに行ってきました。

「故郷・長崎 諫早で発光し続けた作家『野呂邦暢』」という演題で、講師は書評家の岡崎武志氏でした。

(講演があった県立長崎図書館)


(講演の様子)





1時間半という講演時間はあっという間に過ぎていきました。会場全体の時間が止まったかのようで、しわぶき一つせず聞き入っていました。野呂さんを敬愛してやまない人たちが集まっているわけですから、みなさん同じ思いだったろうと思います。その思いがぴーんと張りつめた会場の空気となって居心地のよい空間を作っていました。

あっという間に時間となり講演は終わりましたが、思わぬオマケがありました。それは講演の後の質疑応答の時間です。こういうのは往々にして形だけだったり、あらかじめサクラが用意してあってたりであまり期待していなかったのですが今回のは別物でした。
会場から次々に手が挙がり、それぞれが熱く熱く野呂氏への思いを語られるのでした。
野呂氏のお兄様である納所さんも会場にお見えでした(偶然、通路を隔てて私の横にお座りでした)。納所さんは、講師の岡崎さんが弟邦暢の作品に今なお光をあて、そのすばらしさを世に紹介し続けてくださることに対してお礼の言葉を述べられましたが、真横で聞いていてジーンときました。
その他にも、諫早から来られ熱弁をふるわれた御年90歳という紳士、季刊誌「諫早通信」で10年以上にわたって地道に野呂さんの作品の魅力を紹介され続けてこられた西村さん、TVの番組で岡崎氏が野呂さんの作品を勧めるのを見てから野呂ファンになったという一参加者等々、質疑と言うより野呂さんへの思いを熱く語る会という感じでこれまた充実した時間で、そのような場に居合わせることができたことを幸せに感じました。(実はこの日は日曜日でしたが、前日の土、日と準仕事が入っていて講演会への出席はあきらめていました。ところが日曜の午前で目途がついたものですから急きょ会場に駆けつけた次第でした。行けて良かった…)


図書館の4階では「没後35年 野呂邦暢展」があっていたので、そちらものぞいてきました。そこには芥川賞を受賞した「草のつるぎ」の生原稿等も展示してありました。









原稿には赤鉛筆で「著者校アリ、猛急!」と記してあります。

野呂さんは終生諫早で執筆活動をされましたが、あの当時、地方で執筆活動をするのは不便だったそうです。今はFAXやメールで、離れていても原稿のやりとりは瞬時にできますが、当時は長崎から東京まで汽車で27時間。速達書留で2日はかかる時代だったそうです。とにかく急いでくれのメッセージが朱書の『猛急』の字に表れています。
名前の売れた作家が東京で活動する理由の一つがそこにあるわけですが、野呂さんは「私は諫早を愛しているし、諫早の風土でないと小説を書けない」と言って、東京への誘いをすべて断り諫早で書き続けられたそうです。

講師の岡崎さんの言葉を借りると、「便利さの陰には失われるものがある。(不便だけれども)諫早の光と風、土、緑に包まれて仕事をすることで野呂さんの作品が生まれた」とのことでした。





講演会「諫早で発光し続けた作家 野呂邦暢」に参加できたことは、文化の秋にふさわしく、実に充実した時間でした。からだは疲れていたけど、脳が喜ぶ心がよろこぶそんな豊かな時間でした。
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