ちょっと前に話題になった「相思相愛の木」を紹介します。
この木は、轟の瀧をさらに上流に登った銀鈴渓の近くにあります。
地元の湯江山林会が、強い愛で結ばれた木ということでこの名前を付けたそうです。
幹は別々の木ですが、一本の枝でつながっている不思議な木です。
一般には「連理」(れんり)と呼ぶそうです。
道ばたにある小さな山茶花の木ですが、最初に見つけた人は、よく気づいたなと感心します。
今は、案内の看板が出ています。また、両方の幹をしめ縄(写真をよく見ると確認できます)で繋いでいます。
木にしてみたら大きなお世話かも知れませんね(^o^)
「連理」について調べてみました。
辞書には、「一本の木の枝と他の木に枝とがくっついて木理(木目)が通じ合っていること」とあります。また、夫婦・男女の契りの深いことのたとえとして使うともあります。(明鏡国語辞典)
唐時代の詩人白居易は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が楊貴妃に永遠の愛を誓ったときの言葉として「連理枝」(れんりのえだ)という言葉を使っています。
七月七日長生殿 七月七日の長生殿で
夜半無人私語時 誰もいない真夜中に私に言ってくださったお言葉でした
在天願作比翼鳥 天にあっては願わくは比翼の鳥となり
在地願爲連理枝 地にあっては願わくは連理の枝となりましょう
なんと強烈な愛のメッセージでしょう。
余談になりますが、玄宗皇帝はなぜ楊貴妃を最後まで幸せにしてやれなかったのでしょうか。息子のお嫁さんを奪い取ってまで后にしたというのに。
これについて調べる前は、楊貴妃は「傾国の美女」などと悪いイメージがあったのですが、調べた範囲ではそうではないようです。
問題は旦那である玄宗皇帝にあるようです。
そもそも楊貴妃は、息子のお嫁さんだったではありませんか。
楊貴妃に夢中になりすぎ、政治を顧みなかったのが原因で楊貴妃は殺される羽目になりました。
白居易の「長恨歌」の中には、楊貴妃を責めるようなことは一切出てきません。
(「長恨歌」は漢詩としては長文ですが、とても美しい詩です。興味を持たれた方はぜひご一読を)
「長恨歌」の「恨」は、玄宗皇帝が自らのだらしなさを悔いた悔恨の情の「恨」と、「願わくは連理の枝」と、永遠の愛を誓いながらもそうならなかった楊貴妃の恨みの「恨」と諸説あるようです。いずれにしても、楊貴妃が美人過ぎたが故の悲しいお話です。
連理木の語源を調べる中で話が横道にそれてしまいました。
せっかくの美しい「相思相愛の木」にケチを付けてしまう形になって申し訳ないです。
ここまで調べたからには、「連理木」は、その睦まじい形のように男女の情愛、特に夫婦の情愛がきわめて深く、仲むつまじいことのたとえで、 二人の愛を終生全うしましょうという意味で使いましょう。
あれ?長々と書きましたが、結局振り出しに戻りましたね。
この木は、轟の瀧をさらに上流に登った銀鈴渓の近くにあります。
地元の湯江山林会が、強い愛で結ばれた木ということでこの名前を付けたそうです。
幹は別々の木ですが、一本の枝でつながっている不思議な木です。
一般には「連理」(れんり)と呼ぶそうです。
道ばたにある小さな山茶花の木ですが、最初に見つけた人は、よく気づいたなと感心します。
今は、案内の看板が出ています。また、両方の幹をしめ縄(写真をよく見ると確認できます)で繋いでいます。
木にしてみたら大きなお世話かも知れませんね(^o^)
「連理」について調べてみました。
辞書には、「一本の木の枝と他の木に枝とがくっついて木理(木目)が通じ合っていること」とあります。また、夫婦・男女の契りの深いことのたとえとして使うともあります。(明鏡国語辞典)
唐時代の詩人白居易は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝が楊貴妃に永遠の愛を誓ったときの言葉として「連理枝」(れんりのえだ)という言葉を使っています。
七月七日長生殿 七月七日の長生殿で
夜半無人私語時 誰もいない真夜中に私に言ってくださったお言葉でした
在天願作比翼鳥 天にあっては願わくは比翼の鳥となり
在地願爲連理枝 地にあっては願わくは連理の枝となりましょう
なんと強烈な愛のメッセージでしょう。
余談になりますが、玄宗皇帝はなぜ楊貴妃を最後まで幸せにしてやれなかったのでしょうか。息子のお嫁さんを奪い取ってまで后にしたというのに。
これについて調べる前は、楊貴妃は「傾国の美女」などと悪いイメージがあったのですが、調べた範囲ではそうではないようです。
問題は旦那である玄宗皇帝にあるようです。
そもそも楊貴妃は、息子のお嫁さんだったではありませんか。
楊貴妃に夢中になりすぎ、政治を顧みなかったのが原因で楊貴妃は殺される羽目になりました。
白居易の「長恨歌」の中には、楊貴妃を責めるようなことは一切出てきません。
(「長恨歌」は漢詩としては長文ですが、とても美しい詩です。興味を持たれた方はぜひご一読を)
「長恨歌」の「恨」は、玄宗皇帝が自らのだらしなさを悔いた悔恨の情の「恨」と、「願わくは連理の枝」と、永遠の愛を誓いながらもそうならなかった楊貴妃の恨みの「恨」と諸説あるようです。いずれにしても、楊貴妃が美人過ぎたが故の悲しいお話です。
連理木の語源を調べる中で話が横道にそれてしまいました。
せっかくの美しい「相思相愛の木」にケチを付けてしまう形になって申し訳ないです。
ここまで調べたからには、「連理木」は、その睦まじい形のように男女の情愛、特に夫婦の情愛がきわめて深く、仲むつまじいことのたとえで、 二人の愛を終生全うしましょうという意味で使いましょう。
あれ?長々と書きましたが、結局振り出しに戻りましたね。
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