松本市内田、鉢伏山(1,929メートル)の西側中腹に位置する真言宗智山派寺院。「金峯山:牛臥寺(ごふくじ)」。『十一面観世音菩薩』を本尊とします。
「信濃三十三観音霊場二十七番札所」「信州筑摩三十三カ所観音霊場九番札所」
「寺伝によると、天平勝宝七年(756)唐の玄宗皇帝が善光寺へ大般若経六百巻を納経の途中、経巻を積んだ赤・黒二頭の牛が、この地で同時に斃れ、その使者たちが本尊十一面観世音菩薩の霊力を知り、その経巻を当山に納め、二頭の霊を祀って帰京しました。この不思議な因縁により寺号を牛伏寺と改め、参道途中の牛堂に阿弥陀仏を中心に、赤黒二頭の牛像をまつっています。」公式HPより
大正12年(1923)再建の「山門」。左右に長屋が付く、規模の大きな四脚門で、表側は柱を後退させ頭貫を出梁のように見せるという新しい形式。
山門をくぐって左手に「本坊(旧庫裡)」。江戸中期 寛政9年(1797)の建築で、間口8間、奥行16間半。本棟造では最大の規模で、正面に雄大な妻梁。
本坊の隣に「如意輪堂」。江戸中期 寛政10年(1798)の建築で、間口54尺、奥行54尺、寄棟造、茅葺。 方丈形式の内陣両脇には10畳の客座敷があり、客殿の趣を思わせます。
石段上から見る「如意輪堂」
二頭の奉納牛に守護される石段の先には楼門形式の朱塗りの「仁王門」。江戸中期 享保11年(1726)の建築で、三間一戸、入母屋造、銅板葺。
門内より仏域を守護される阿吽の仁王像。
仁王門潜って左手に、入母屋造銅板葺で江戸中期 正徳3年(1713)の建築とされる「観音堂」。間口五間、奥行四間のいわゆる五間堂で、現存する長野県内の五間堂としては3番目に古いもの。
仁王門右手には江戸・幕末の築とされる「鐘楼」。方10尺の入母屋造りで、柱を四方転びとします。天井に松本出身の赤羽雪邦が大正時代に描いた龍の絵がありますが、下からでは見る事はできません。
境内後方、石段の先に江戸後期 嘉永7年(1854)再建の「聖徳太子殿」。正面に軒唐破風の向拝を付けた柱間方9尺の宝形造。左手に「弁天堂」。
弘法大師修行像
参道入り口、黒門の手前に建つ間口10尺、奥行2間半の「牛堂」。江戸後期の建築で 昭和49年(1974)に改築。 内部に阿弥陀如来、その両脇に赤黒2頭の牛の像を安置。
地蔵菩薩立像
参道
境内の建物は「山門」を除くすべての建造物が、松本市指定重要文化財となっています。細かく紹介すれば際限なくなるのが私の悪い癖なのですが・・でももう少し、お付き合い頂けると嬉しいです😊
参拝日:2016年4月24日