車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧開智(かいち)学校~Ⅰ~ in 長野県松本市開智

2022年08月02日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

車泊の予定地として信州を選んだ時、わずか二日間で何処を見て回るか・・予定を組むのにかなり苦労しました。観光案内で見る信州はあまりにも魅力的で、そこにマンホールだの狛犬だの道祖神だのを組み込もうというのですから😓
と・・言い訳は先にすませた処で、松本市観光のメインと位置付けたのが松本市開智にある「旧開智(かいち)学校」

「旧開智学校は明治6年(1873)5月6日、筑摩県学を改め学制による小学校として、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工。文明開化の時代を象徴する擬洋風建築の設計施工は地元の大工棟梁『立石清重(たていしぜいじゅう)』。現存校舎のほかに30余室の教室棟が設けられており「広大華麗・地方無比」とうたわれた大規模校でした。昭和38年(1963)3月まで90年近くも使用され、その後、なんども水害などの被害にあいましたが、児童や教員、地域の人々に大切に守られ続けました。」公式HPより

日本各地に残された歴史的建造物の中でも、黎明期における学校建築は特に私の好きな分野。信州の旅を決定したとき、何を見たいかの中で真っ先にあげた旧開智学校・・今、私の目の前にあるこの美しい姿をどれほど夢見た事か。

明治初期の小学校建築を代表する建物として全国的にも広く知られた「開智学校」。その校名は、学制発布の前日に公布された「被仰出書(おおせいだされしょ)」の文中にある「其身を修め 智を開き 才芸を長ずるは、学にあらざれば能わずに由来します。

木造2階建・寄棟造桟瓦葺の疑洋風建築。外壁はコーナーストーン及び石積みの腰壁を模した漆喰塗大壁で、中央に腰銅板張で廻縁付の八角塔屋を持ち、建物正面に中央玄関ポーチを突出させています。

二階ポーチの唐破風屋根の褄下彫刻、校名の旗を広げているのは二人のキューピッド。足の下にたなびく瑞雲が神聖かつ新しい時代を象徴し・・

瑞雲の下には日光東照宮の龍を真似て彫られたという気高き白龍が、未来を担う子供たちの学びの場所を大切に守っているのです。

車寄せの向こうの正面玄関が使われたのは、明治天皇の御巡幸などの特別な時に限られ、児童たちは反対側の入り口から出入りしていました。

更に目を上げた先に、廻縁付の八角塔屋

その中央より高く伸びた避雷針には「東・西・南・北」の風見。

当時の現物は、校舎内に展示されています。

何という斬新さ、何という美しさ、実際に目にすると本当に「凄い・・美しい・・」以外の言葉が出てきません。

建物の説明の中に「擬洋風建築」という言葉が出てきましたが、これは明治時代初期の日本において、主に近世以来の技術を身につけた大工棟梁によって、設計・施工された建物を指しています。西洋風の外観を持ちながら、洋風、和風、時には中国風の要素まで混合されており、近代日本の建築史に欠く事のできない存在です。(正規の建築教育を受けた『辰野金吾』らに代表される設計は「西洋館」と呼ばれます。)

私たちはこの美しいドアからではなく、建物横に設けられた別棟から開智学校校舎内の見学となります。が、いつもの癖で長くなるので😅 続きは明日の「旧開智学校~Ⅱ~」で。

訪問日:2010年10月16日

 

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