北塩原村の紹介、スタートは「日本赤十字社 平時災害救護発祥の地」碑。日本赤十字社の前身である博愛社病院が設立されて1年半後の明治21年(1888)7月、磐梯山の噴火に際し、大正皇后陛下の思し召しを受け医師三名を猪苗代へ急派したのが始まりです。元々は、戦時救護を目的として設立されていましたが、磐梯山噴火災害の救護は、世界の赤十字で初めて「平時の災害に対する救護活動」を実践した先駆的事例として、国際的な注目を集めました。
変わったところで、毘沙門沼を回遊する鯉の中に一匹だけ、白い体の左脇腹に赤いハートマークのある鯉がいるとか。もちろん、そんなに都合よく見られるはずも無く、ゆえに「伝説」なのです。
この五色沼💗ハート鯉に巡り合うと幸せになれる!。そして若い二人は結ばれると言われています。
裏磐梯 ホテル五色荘敷地内に建立されていた「津金 松女」像 碑文「我が人生に 色濃きなり」
北塩原村桧原南黄連沢山にある「道の駅裏磐梯」
「裏磐梯ビューパーク」から見る「檜原湖と裏磐梯」。観光案内には画像と一緒にそんな記事があったけど、実際に自分の目で見ると、想像以上の感動を覚えます。
聳える木々の向こうに、荒々しい地肌を見せる裏磐梯・・この景色をしっかりと目に焼き付けておこう。
459号線の急カーブ下り坂のトンネル・・ハッキリ言って、カーブは苦手。急がついたらもっと苦手😱 なのに何故か写真が残っている?😓・・・おそるべし貧乏性の好奇心(だって次は無い)
北塩原村塩井に残る「史蹟 大塩の塩井」。右に史跡表示板。左には「大塩川火山砂防工事の移転物件に該当した為、村重要文化財の指定を解除、原形に配慮しながら史跡表示板と共に1995年8月現在地に移転」の案内板。
「人皇五二代嵯峨天皇弘仁三年 壬辰(西暦八一二年)僧空海老婆の家に止宿し塩の乏しきを憐れみ護摩を修する事十七日、忽然として岩中より塩湯湧出せると伝えられる。もと大澤と称せしも大塩の名是より起れりと、後世に至り西行法師行脚の折二種の歌を今に伝う。
海士(あま)もなく 浦ならずして陸奥の 山賊(かつ)のくむ大塩のさと 浦遠き この山里にいつよりか たえず今まで 塩やみちのく」
「若松領大塩村ノ図」によれば、現在の温泉神社の参道下付近に「潮井」があり、そこから大塩川沿いに木樋を通し、集落の広い範囲に塩泉を供給していた様子が描かれています。木樋には所々溜枡があり、塩泉を汲んで、木樋沿いの小屋で釜を焚き製塩していたと推定 。具体的な記録が残されるのは江戸時代からで、会津藩の主導で塩作りが行われ、小物成(こものなり)=(税)として納めていました。
国道459号の脇を流れる大塩川の対岸。緑に覆われた一画に見えた岩。地図には「神楽岩」とあります。
ズームにすると洞穴のように見える・・
後に調べた所、竣功年度は不明ですが、延長15.0mの「神楽岩隧道」と判明。国道459号が通る以前、この隧道がある細い道が当時の主要地方道だったそうで、現在は北塩原村の村道として管理されています。
北塩原村北山上ノ台 国道459号沿いにあるポケットパーク「会津一望の丘」。山の斜面途中にあり、喜多方市方面を一望できます。
まるでとって付けたような一本の木。カメラでの悪戯にはお誂え向きだと思いませんか😄
訪問日:2015年6月20日