備中国(岡山県総社市)に生まれ、10歳で京都相国寺で禅の修行を積みながら、当時最高と言われた『天章周文』に絵を学び、後に遣明船に同乗して明国に渡り、李在より中国の画法を学んだと伝えられる『雪舟』。岡山県出身の私が初めて『雪舟』に触れたのは、小学校の校長室前の廊下に並んでいた『和気清麻呂』『緒方洪庵』『犬養毅』諸氏の肖像画の中だと記憶しています。
益田市乙吉町にある「雪舟山水郷」は、雪舟の郷記念館を中心とした雪舟終焉の地一帯で、雪舟の死没地「東光寺跡」には冒頭の「雪舟禅師銅像」や「雪舟禅師終焉地碑」などが建立されています。
「石州山地 雪舟廟」
「晩年、益田を再訪した雪舟は東光寺の本尊観音菩薩の前にぬかずき、酒をくみ、尺八を奏でた後で、水墨画を描いていたが、ついにこの地において文亀2年(1502)に83歳の生涯を終えたと言い伝えられる。 雪舟の遺骨は東光寺の丘に埋葬され宝篋印塔が置かれていたが、宝永のころ摩滅して退廃したので土地の人によって再建された。墓は高さ160cm、台石2段の上に扉を設けた石室を置き、その内部に「石州山地雪舟廟」と記され、石室内には雪舟の旧墓の相輪の部分が納められている。」雪舟の郷記念館HPより
「雪舟禅師追褒塔(せっしゅうぜんしついほうとう)」
「雪舟禅師面影石と大喜庵の雪舟お手植椿」
東光寺の後方に設けられた「多根兼政公顕彰碑」。益田兼時の命により、蒙古襲来の防備の為に濠を築き、川をせき止め濠を築く大土木工事を成し遂げた人物だそうです。
「多根兼政公御廟所」
「雪舟の郷:記念館」・・・何故か休館日でした(-_-;)
訪問日:2019年4月19日
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