車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

医王山:薬王寺(やくおうじ) in 徳島県美波町

2020年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

美波町奥河内に境内を構える「薬王寺(やくおうじ)」。高野山真言宗の寺院で、四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。「医王山(いおうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)」『薬師如来』を本尊とし、厄除けの寺として知られています。

これまで何度も四国八十八箇所の側まで行きながら、きちんと参拝した霊場が足摺岬の一ヶ寺のみと言うのは如何なものかと・・😔 そろそろ何かと不調を抱えるお年頃になった我々二人と友人j🐣さん、厄除の霊験あらたかな薬王寺にお参りする事にしました。

サクラの季節にはまだ少し早いけれど、ピンクの提灯がずっと奥まで誘ってくれる参道をひたすら歩く、歩く。こういうのって、進む先を見ながら歩くのは、先が長いって実感してしまうから余計疲れるんだそうです。😅

「聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされる。弘仁6年(815)、弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とし、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされた。 文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失。このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに後嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。」公式HPより

山の上だからね、階段が多いのは仕方ないんだよ・・・・病が癒える前に足が壊れそうな気もするけど😭  さぁ、この女厄坂を登り切ったら目指す本堂はもうすぐ!!

でもこれでも男厄坂に比べたらずっとマシ!上から見下ろした石段の恐怖と言ったら・・・😱 ご亭主殿!!頑張って!

本堂の前で神妙に手を合わせ、願うのはご亭主殿の息災、愛する我が子の息災、わが身の息災・・・おのれの厄も、心寄せる大切な人たちの厄も、お祓いくださいますように🙏🙏。

さて、無事にお参りも済ませることが出来ました😊。此処から先は恒例の「寺社建築に見る彫刻の美」。なんて大層に言ってますが、単に趣味に走ってるだけ。さすがに歴史ある薬王寺の本堂、手挟みの鳳凰の優雅で美しいことと言ったら!🌸!

手挟みも良いけど、この貫の龍なんてどうよ。クイッと曲がった爪の鋭さ、見返る体の柔らかさ、さすがは龍神様に祀られるのも頷ける貫禄だね🍀

それを言うんなら、木鼻の獅子だって、流石に定番だけあって安定のかっこ良さじゃないの!🐣!・・・と三者それぞれ、自分の一押し彫刻の自慢に余念がありません。

ひとしきり騒いだ後は最後にもう一度、厄災消除を願いつつ、真言を唱えながら数え年の数だけ「随求の鐘」を叩きます。

【おん ばらばら さんばら さんばら いんじりや びしゅだに うんうん ろろしゃれい そわか】

 
 ご詠歌【皆人の  病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ】

参拝日:2014年3月23日


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