三木市志染町御坂に鎮座される「御阪(みさか)神社」。御祭神は中殿に『八戸掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)』、左右殿に『大物主神・葦原志許男神(あしはらしこをのかみ)』。三神はいずれも『大国主命』の別名とされます。何故一社に同じ神がそれぞれ別の名で祀られるのか・・・由緒では、それぞれが別の神のように記されており、その辺りの事も含めて詳細不明・・謎のままです。
由緒「延喜式神名帳に「播磨国美嚢(みのう)郡一座 御坂神社」と記載された式内社で、旧社格は郷社。志染の氏神。播磨国風土記に「志染の里三坂にいます神、八戸掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)は、大物主、葦原志男命(あしはらしこをのかみ)が国堅めたまひし後に天より三坂峯に下り給ひき。」との記載がある。第17代天皇、履中天皇が参拝になったとも伝えられ、その際に「この川の流れは大変美しい」と言った事にちなみ、この地域一体を「美嚢郡」と呼ぶようになったという。また、天皇の食膳にシジミが這いあがった事から、この地をしじみ(志染)というようになったという。慶長13年(1608)に現在地へ遷座。」
この日は5月4日で例祭が執り行われるようで、二台の屋台が奉納されるらしい・・・とはいうものの、それをじっと待っていられるほどの時間的な余裕はなく、白い幟を恨めしく見送る事となりました(^^;)
拝殿前左右より神域を守護されるのは文化四年建立の尾うちわタイプの狛犬さん一対。控えめな吽形さんの角と、上唇をにゅっと上げて笑う阿形さんの笑顔がとても好印象。
拝殿の彫刻は「竹梅の虎」虎と言うよりも「鵺(ぬえ)」のような感じですが、でもこの顔は「猿」には見えないし、胴体も「狸」っぽくない・・・尾は確かに「蛇」のように見えるけれど・・・何とも興味をそそられる彫刻。
興味をそそると言えば、能舞台の近くだったと思うのですが、かっていずれかの社殿の屋根にあったと思われる「鴟尾(しび)」や鬼が大切に保存されています。ガラス越しで画像としては今ひつつですが、どれも皆、中々に良いお顔。
境内社。社名:御祭神いずれも不明
例祭日とあって「手水舎」にも、境内社同様、藍染に白抜きの紋幕が張られています。
もう少し余裕をもって参拝していれば、本殿の後方に陰陽石が祀られていた事に気が付いたのに・・・。折角の「由緒碑」も、ただ写しただけでは意味がないですね。
参拝日:2010年5月4日
ああ、それは充分に考えられる・・・
まっちさんの見解、すとんと腑に落ちました。
出雲政権と大和政権の関係を考えると、こうした例はおそらく他にも沢山あるのでしょうね。
神名から見えてくる古代史・・面白いです。
ここがそうかどうかはわかりませんが、別名を持つ神はもともとは別の神であったもの、例えば征服や侵略により強者の神が敗者の神を簒奪した結果、もっと柔らかい表現にすれば混淆していった結果が多いようです。
大国主を祀る出雲勢力が当地を勢力下に収め、当地の土地神がやがて大国主に同一化され別名として社に残った。
こんな感じでいかがでしょうか?
一方国譲りでヤマト政権に下ったとされる出雲の大国主がその後も神としてヤマトの神話にも登場するのは、以前もお話したように出雲は軍事力でヤマトに征服されたのではなく、連合政権の一つとして言わば同盟国の一つとしてヤマトに組み込まれた結果と見るのが妥当でしょう。