珠洲市(すずし)は石川県の北東部、能登半島の先端に位置する市です。出雲風土記の国引き神話にもこの地の名が見られ、古来より、出雲、佐渡、「えぞ」を繋ぐ海洋交通の関門として発展してきました。市域には、文治3年に奥州に向かう義経一行が武運を祈願した「三崎権現」や、日本の灯台50選「禄剛崎灯台」、珠洲岬の海辺に建つ「ランプの宿」など、数多くの観光資源を有しています。「市の木:赤松」「市の花:椿」「市の鳥:鶯」を制定。
紀元前:第10代崇神天皇の時代に創建したと伝えられる「須須神社」の社伝縁起 第一に「高倉宮・金分宮の2社からなることが出ており、高倉宮主神ニニギノミコトが来臨した折、鈴を以てこの地を鎮める、とある」。鈴の万葉仮名は須須・須受で、その佳名(かめい)が珠洲であり、 スズの地名はそこからと云います。
キャッチフレーズは「きらり珠洲 人が輝くまちづくり」
明治22年(1889)、町村制の施行により、珠洲郡飯田町・鵜島村・黒峰村・見付村・上戸村・東若山村・西若山村・直村・正院村・三崎村・ 鉢崎村・大谷村・大崎村・日置村・蛸島村が発足。
1907年、日置村・大谷村・大崎村が合併、珠洲郡西海村が発足。
1908年、鵜島村・黒峰村・見付村が合併、珠洲郡宝立村が発足。 東若山村・西若山村が合併、珠洲郡若山村が発足。 鉢崎村・三崎村が合併、改めて珠洲郡三崎村が発足。
1940年、宝立村が町制を施行、珠洲郡宝立町となる。
1941年、正院村が町制を施行、珠洲郡正院町となる。
1954年、飯田町・宝立町・正院町・上戸村・若山村・直村・三崎村・西海村・蛸島村が合併、市制を施行し珠洲市となりました。
マンホールには、「市の木:赤松」と「見附島」「禄剛埼灯台」がデザインされています。
「見附島」
「禄剛埼灯台」
プラ枡蓋、中央に「市の花:ツバキ」。
昭和29年9月16日制定の市章は「片仮名の「ス」の字を組合わせて珠洲を現わして図案化し、和合を意味する「丸」で囲んだものです。」公式HPより
「禄剛埼灯台」へといたる途中に設置されていた「三角点基準点」。
撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日
式典での西郷さんの参列、知りませんでした。
直後の辞任から西南の役・・・
時代のうねりが大きく変貌した時期なんですね
竣工式典に皇族が参列したことで、日本の灯台で唯一菊の紋章が飾られています。
また式典には陸軍大将として西郷も参列しており直後に辞任して鹿児島に帰還、そのまま西南の役へと時代が流れてゆきます。