菰野町竹成、県道四日市~田光線が交叉する竹成集落の中心にある、三重県指定史跡「竹成五百羅漢」。嘉永5年(1852)、竹成出身の『神瑞和尚』の建立発願により、桑名の石工『藤原長兵衛』一門の手によって慶応2年(1866)に完成。
境内の大日堂本堂は、大正6年に『鈴木又市』により田口新田の「真願寺」から移築されたもの。二体の大日如来座像が安置され、共に三重県の有形文化財(彫刻)に指定されています。
大日堂と向かい合うように小高く盛られた土山に並ぶ、数百体の石仏群。ここには羅漢像だけでなく、ありとあらゆる神仏が思い思いの形で座し、この世界を見つめています。
山上には五百羅漢の中心となる「大日如来」と「四方仏」、そのお膝元から流れるように幾体もの羅漢像が続きます。
【南に願主の神瑞和尚像、地獄の閻魔大王と十王、山上にはこの五百羅漢の中心となる大日如来と四方仏、その前に釈迦三尊として釈迦如来を真ん中に脇侍の普賢菩薩と文殊菩薩、北に面した所に七福神、役の行者、苦行の釈迦、中腹に天照大神、猿田彦等々、変化に富んだ石像の数々がある。庶民は、単に釈迦の高弟に願いを託すのではなく、民間信仰も含め、ありとあらゆる神仏に幸福や健康、豊作など多種多様の願いを託したと思われ、当時の庶民信仰に思いを巡らすことができる。】
こちらに並ぶのは「閻魔大王」と側に仕える「十王」像。閻魔の右後に建てられた、三つの首が載せられた石柱は、地獄に謂れのある「何か」? それは例えば、過去・現在・未来を見つめる首?
一転して、おだやかな笑みで参拝者を迎えてくれるのは「恵比寿・大国・弁財天」・・・、どのお顔も馴染み深い七福神の神々。
逆縁に泣く幼子を両の手に受け止める地蔵菩薩。身の丈よりも大きな「箱笈」を背負う修行僧。
唯一神以外は認めないと言う国の人には、こうした光景は信じ難いものに映るようです。ですが、こうした光景こそが、いかにも日本人の感性であり寛容さの象徴ではないかと思います。 ただ、その寛容さにつけ込む者、それに迎合する事が知識人だと勘違いする痴れ者は論外ですが。
手を合わせ真言を唱える人々。ただそこに座して空を願う人々。仏になるべく修行する羅漢さんの姿は、この世に生きる者たちの縮図。
そして、思わず小さく声を上げそうになった、大切な懐かしい存在だったお顔を持つ石仏様。「五百羅漢を訪ねくれば、必ず会いたい人の顔がある」・・ああ、それは本当の話なのです。
参拝日:2017年3月25日
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