下関市の中心地、中之町に鎮座される「亀山八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仁徳天皇』。
由緒「関の氏神さま・亀山さまと親しまれている亀山八幡宮がある地は古くは島で、貞観元年(859)、京の都の守護のため宇佐神宮から石清水八幡宮に勧請される途中、この島の麓に停泊。その夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」との神託があり、仮殿を造営させてお祀りしたと伝えられる(享保年間「防長社寺由来」)「亀山」の名は、島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡様がお祀りされる亀山からとも云われる。戦国時代に荒廃するが、永正3年(1506)大内義興により、社殿・楼門等を修築。明治7年に郷社、同34年県社。昭和43年に別表神社に列し、下関60ヶ町の氏神様として尊崇される」公式HPより
2012年・2017年、二度に渡る参拝。画像取り混ぜてのスタートは昭和8年建立の日本一の御影石の大鳥居(高12.7m、幅15.15m、柱の直径1.2m)
「亀山宮」と書かれた額は縦3m ・ 横1.5m、約畳三畳分の大きさ
参道石段半ばより神域を守護されるのは建立年不明。ひしゃげた様な容貌に似合わず精悍な面構えの狛犬さん一対。特に吽形さんの噛み締めた口元や見開いたギョロ目にタジタジ・・。
石段参道を上がり切った正面に拝殿
拝殿右手の脇参道より神域を守護されるのは三体の仔狛を連れた狛犬さん一対。「文久3年(1861)12月吉日 発起人黒崎屋善文」の刻。
吽形さんの胸にしがみ付き、一杯に開いた両の前足を親狛の体にまわす。しっかりと仔狛を抱きかかえる親狛の手。その背には能天気な笑顔の仔狛さん。さり気ない技法ですが、仔狛も阿吽の一対になっています。
三体目は阿形さんの左前脚に隠れるようにしがみ付いています。体の大きさから見るにこの子が最年長に見えるのですが、臆病なのか単に人見知りなのか(笑)
脇参道と向かい合うように鎮座される「お亀明神社」。御祭神は『お亀明神』。
由緒「江戸時代の始、毛利藩によって街の発展のために社地を陸続きにする工事が起こされます。しかし海峡は急潮で工事は多大の工費と、人の命を犠牲にするのみで進展は見られず、遂に人柱募集の高札を立てる事に。時に、疱瘡を病み顔に「アバタ」のある稲荷町のお亀という遊女が、「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち、月夜の海に白衣に身をつつみ、海に身を投じて埋立の礎石となりました。その後急潮に悩まされる事もなく難工事は無事終了。人々は境内に銀杏の木を植えお亀さんの功績を讃えました。お亀銀杏は先の戦禍にあい焼失しましたが、やがて新芽が成長し、今なお母なる木の面影を偲ばせています」公式HPより
亀池
お亀明神を守護されるのは、御大典記念:昭和3年(1928)11月10日建立の一体だけの狛犬さん。
手水舎の吐水亀
拝殿左手の脇参道
脇参道石段下左右より神域を守護されるのは、文化11年(1814)甲戌6月建立の狛犬さん一対。表情の読めない吽形さんと、頑丈そうな歯をちらつかせて不敵に笑う阿形さん。
拝殿左手の一段下に鎮座される「恵比須神」。御祭神は『社事代主神・大国主命』
「宮地嶽神社」。御祭神は『息長足比売命(神功皇后)・勝村大神・勝頼大神』。福岡県宗像の宮地嶽神社よりの勧請。
「熊鷹(くまたか)稲荷神社」、御祭神は『倉稲魂命』。伏見稲荷の熊鷹社から勧請。“人助け稲荷”とも称されます。
境内には昭和天皇の御製碑を始め、文学碑や旧所跡の碑などが沢山あります。という事でこの続きは明日のブログで(^-^)
参拝日:2012年11月15日&2017年12月3日
今日の狛犬さん。
格好いい顔していますね。
狛犬は足ががっちりして
力強く仁王立ちですね!!
こんな時、日本って本当に広い
郷土に根付く職人って凄いなって思います。