貝塚市水間にある天台宗別格本山寺院「龍谷山 観音院 水間寺(みずまでら)」。『聖観世音菩薩』を本尊とし、「水間観音」の通称で知られます。
「新西国三十三箇所第4番札所」「和泉西国三十三箇所札所」「第26番神仏霊場巡拝の道」「第53番(大阪第12番)南海沿線七福神(弁財天)」。境内一帯は周辺とともに大阪みどりの百選に選定されています。
「寺伝によれば、天平年間(729~749)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。行基は、病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、白鳥に南西の方向に導かれたが、その白鳥は和泉国で羽根だけを残し何処へともなく消え去った。彷徨いながら北東の方向へ進んで行くと、観音菩薩の化身である16人の童子が現れた。童子に案内されるままに進み、2つの川が合流する「水間」の地に着き、誘われて滝に向かうと竜神が現れ、聖観音像を授けられたと伝わる。」公式HPより
降臨の瀧は本堂の裏を流れる秬谷川にあったと伝えられており、岸辺に「聖観音菩薩出現の滝」の絵図が設置されています。
中世より武家による手厚い保護を受けていましたが、羽柴秀吉による紀州征伐の際に根来寺に与したため、天正13年(1585)に堀秀政の軍勢に攻められて焼失。一時衰退したものの、岸和田藩主岡部氏 の帰依を受け、元禄年間(1688~1704)に堂宇を再建。その後、天明4年(1784)の火災で再び焼失するも、文化8年(1811)に岸和田藩主岡部長慎により本堂が再建。文政10年(1827)には他の堂宇も再建されましたた。
本堂に奉納された沢山の絵馬の中から木彫りの蓮を納めた一枚
寺院の大小を問わず、参拝者の前に座しておられる『賓頭盧尊者』。一般的に「なで仏」と呼ばれ、参拝者はおびんずる様の体をさすり、我が身の病や痛みの平癒を願います。
本堂左手前に建つ三重塔、開基当時は多宝塔で多宝如来を安置したといいます。さらに古い記録によれば、『孝謙天皇』が舎利塔を安置したとも伝えられ、本堂同様、天正の兵乱に焼失。萬治年間に改めて三層の塔を建て、釈迦仏の像を安置しました。天保5年(1834)の再建で、明治以前に建てられた三重塔としては大阪府内唯一の建造物。本堂と共に貝塚市指定有形文化財とされています。
三重塔の第一層部分、軒下のかえる股には、極彩色の十二支の彫刻があり、それも見どころの一つとなっています。
本堂の後方に鎮座される「三所権現」。御祭神は『熊野権現、蔵王権現』
「本堂」の正面に相対して建つのは、白漆喰の壁が独特の存在感を放「経堂」。大般若波羅密多経600巻と大蔵経等、それに『傅(ふ)大師』とその二子の尊像が安置されています。
大切な経典を護るのは、屋根の上でしなやかに体をくねらす龍。飛翔するその瞬間のために、全ての力を内に溜めてその時を待っています。
鐘楼の屋根からその様子をうかがうのは、留め蓋の獅子たち。
迫力のある表情に、ご亭主殿、大満足(笑)
見所一杯の「水間寺」、この続きは明日のブログで。
参拝日:2015年10月9日
今日もありがたい記事ですね。
龍や唐獅子がとてもカッコいいです😊
昨日の返信、とても素敵でした。
>「道の草にも神宿る」
なんて素敵な言葉なのでしょう。
>それを「良し」と捉えてくれる主人の感性がとっても好きです💗。
本当に、そういう感性の旦那さまと出逢えて、
素晴らしいですね。読んでて私もほっこりしました😊
自分の感性がとどく相手に出逢えるのは、
本当に幸せなことですね。
私もtibinekoさん(や、最近優しいコメントをくださる皆さま)とお話しして、ほんとにそう思います。
11年ほど創作活動をしていますが、こんな出会いは初めてです。🙏
>まかろんさんの紡ぎ出す言葉には、いつもふくよかな笑顔の神様が宿っています。
うわー、tibinekoさん・・。
なんて物書き殺しなことを仰るのでしょう。😄
言葉を使う、ということをどう捉えるかは
物書きでも人それぞれのように見受けられますが、
私は言葉一つひとつを大切な宝物に思うタチです。
でもこちらがどう思ってるかなんて、
人に言ったこともないし、伝わってるとも思ってなかったのですが・・
tibinekoさんはすごく繊細な感受性をお持ちなのですね。👏
感激しました🙏✨
そうなんです、出来てるかはともかく、
あたたかな笑顔😊を振りまける、おめでたい🎌㊗️
作品をこれからもお届けしたいんです。
心からtibinekoさんの言葉に感激しました。
旦那さまともほんとにお似合いのご夫婦ですね。
ついつい長文になってしまいましたが、
このお寺の話の続きも楽しみにしています😊
何よりも「尊い」ものです。
改めて「ありがとうございます」(*^^*)
寺社のブログでは、狛犬さんに代表される神獣をカメラに収めるのは主人の担当。
私は社殿やそれらにまつわる諸々。
境内の碑とか、咲いている草花とか、出会った猫さんとか(笑)を担当していました。
車泊旅を始めた時の約束は
同じものを見て一緒に楽しもう。
どちらかに無理に合わせるのは、絶対にしないように。
二人がその時々を振り返った時
「楽しかったね」「綺麗だったね」「感動したね」と思い出せるように。
そんな思いが、小さな車で十年間の車泊旅を続けさせてくれたのだと思います。
小学生の頃、我が家はあまり裕福でなく
洋服はいつも姉のお下がり
それを指さして「汚い」と囃し立て、他の子にも同意させるのです。
人一倍小さかったからか、格好の虐め対象だったんでしょうね。
子供って残酷ですよね。
私ね、昔は乗り物酔いが酷くて、学校のバス旅行はいつも自習。
修学旅行くらいはと教師に説得されて、
でも結局医者の世話になって一人だけ別行動。
教師が付き添って最終日に合流するのだけど
男性教師と二人で宿に残ったという事実を、殊更に脚色するクラスの女子がいてね(^^;)
あの時は本当に辛かったです。
交際中だった主人といろんな話をした時にそんな話も出て
「言葉はときに刃物よりも残酷に人を傷つける」と言った私に
「言葉は言霊」だからね、
だから、綺麗な言葉を使おうねって約束しました。
それをずっと守れたとは口が裂けても言えませんが(笑)
でも、この年まで共に歩んでこれたのは
その約束を少なからず守れたからかなと思っています。
こんな話・・なんでしちゃってるんでしょうね(^^;)
言葉の話から何だか脱線してしまいました。
この頃、ちょっと夜更かしが続いています(笑)