鳥取県境港市竹内町に鎮座される「餘子(あまりこ)神社」、主祭神『第7代孝霊天皇』。『稲田姫命、脚摩乳命、手摩乳命、大日孁貴命、素盞鳴命、倉稲魂命』を合祀します。
一の鳥居の内より神域を守護されるのは、昭和13年(1938)10月15日建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは前足の間に仔狛を抱いています。
「創立年月不詳。明応9年庚申11月再建の棟札によれば、当社は境、上道、中野、福定,竹内、高松の六村の大産土神として崇敬せしが、特に旧藩主より厚く崇敬せら幕提灯等寄附せらる。明治元年神社改正の際郷社に列す。現今は境町及び餘子村の産土神として崇敬す。明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。大正4年6月17日、境町字宮ノ西鎮座無格社:岡畑神社(祭神 素盞鳴命、倉稲魂命)を合併す。」鳥取県神社誌より
橋の向こうは島根県という地理的な要素の所為か、拝殿には石見地域で生産される石州瓦が鮮やか。
拝殿前左右より神域を守護されるのは明治13年(1880)9月吉日建立の、尾を逆立てて低く姿勢をとる出雲構えの狛犬さん一対。長い時の流れが体のあちこちを削り落としてしまいましたが、力強く参拝者を迎えます。
末社
御神馬腹掛けの御神紋は「三つ巴紋」
社殿が鎮座される一帯は古来より「余子(あまりこ)村」と呼ばれ、その地名も「餘子神社」に由来すると言われています。神代の昔、『奇稲田姫』が「八岐大蛇」から逃げた折、この地に「餘戸里」の名が付いたという伝説が残されているそうですが・・・。本来であれば、七人の姉たちと同様に大蛇に食われる筈だった八番目の末娘『奇稲田姫』。余子とは文字通り「食われずに余った子」という意味であったとも考えられます。
参拝日:2011年5月20日
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