「日本三大美林」の一つといわれ、町の木にも制定された「魚梁瀬(やなせ)杉」。その杉を運搬することを目的として、昭和4年(1929)に起工され、昭和17年(1942)に完成した総延長250kmの森林鉄道網「魚梁瀬森林鉄道」。
命の保証無しという条件付きで人々の足にもなった森林鉄道。昭和30年代から陸上交通網が整備されはじめ、昭和38年に最後の区間の代替道路が完成したことに寄り、森林鉄道はその役目を終えました。
近代化産業遺産群に認定された「立岡二号桟道」。のどかな田畑の中に見える桟道は、それと知って訪ねなければ気付く事も無かったでしょう。
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田野町田野の奈半利川河川敷きに「二十三士公園」と名づけられた桜の名所があります。
元治元年(1864)7月、田野の郷士『清岡道之助』を首領として、安芸郡下の尊王攘夷派23人が北川村野根山に集結し、藩に対し「藩政改革、攘夷、瑞山の釈放」の嘆願書を提出。しかし藩は内容を考慮することも無く追っ手を差し向け、一度の吟味も成されず奈半利川川原で斬首。首領格であった二人の首は鏡川の雁切河原に3日間晒されるという・・仕打ちでした。
二十三士が処刑された三年後に明治維新が成り、明治十年(1877)に遺族に族禄が復活。明治二十四年(1891)に徳旨をもって彼らに贈位の沙汰が届けられました。
「二十三士殉節之地」碑は、昭和5年(1931)の天皇御大典記念として、田野町青年団によって建立されたものです。
公園の近く、某施設の一画に彼らを悼み讃える碑が建立。【至誠はならず野根山よ 我風むせぶ奈半利川 死して護国の神たらむ 嗚呼忠魂は二十三 】
空の青さを写す奈半利川の流れは静かに・・・たださやさやと静かに・・
【身は国に 心は阿波にとどまりて 霊の真柱 たわむべきかわ】清岡道之助辞世の句
【よしやこの 土にかばねは埋むとも 名をば千歳の 松にとどめん】妻:静子
訪問日:2014年3月22日
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2013年、2018年の車中泊の旅では、「道の駅:田野駅屋」にて車泊をさせていただきました。 お土産用には新鮮な野菜やユズを使った製品、それからとても美味しいお弁当も購入でき、とても充実した思い出になりました。特にゆずの皮を天日干しにしたものは、何年も風味が変わらず、随分と重宝しました。
車で旅をする私達にとってこうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。
改めて、その折は有難うございました🙏🙏
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