篠山城跡の西、外壕側の道沿いに面した丹波篠山市西新町の一画。この一帯にはかって藩主の警備にあたった御徒士衆の家屋が数多く現存し「伝統的建造物群保存地区:御徒士町武家屋敷群」として、また「美しい日本の歴史的風土100選」の一つにも選ばれています。
武家屋敷群の中で一際目立つ、茅葺屋根の「小林家長屋門」。文化年間(1804~1818)に、篠山藩第12代藩主青山忠裕がその老女のために修築した屋敷の長屋門で、篠山城下の武家屋敷門を代表する建物です。
時折聞こえてくるのは、名も知らぬ鳥の声と堀を渡る風の音・・他に観光客の姿もない静かな佇まいの中に立っていると、ふいと髷を結ったお侍さんが出てくるような錯覚を覚え、思わずもらす感嘆の声もヒソヒソ(^^;)
時代劇の舞台そのままの景色は、昔見た映画のワンシーンと重なって懐かしいような不思議な感動を呼び覚ましていきます。時代劇が大好きだった父の影響だったのか、子供の頃から「眠狂四郎」に憧れ、長じて収入を得るようになって初めて買い揃えたのが「柴田錬三郎:大全集」(笑)
と、ついつい脱線してしまうのはいつものお約束(笑)。江戸時代末期築の武家屋敷「安間家」。1994年10月から翌年3月にかけて全面的な改修を行い、現在は「安間家史料館」として一般公開されています。
安間家は篠山藩主:青山家の家臣で、「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士。天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、茅葺:曲屋形式の母屋と瓦葺の土蔵が現存し、当時の武家の暮らしを伝えています。
屋内には、安間家に伝来した古文書や日常に用いられた食器類・家具をはじめ、 のちに寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や史料等が展示されており、いずれも興味深い物ばかり。
この日は七月七日の七夕の日。裏口に設けられたふち縁に笹飾りが揺れ、密やかな青笹の匂いと相まって何とも言えない優しい時間を紡ぎだしています。
御徒士町武家屋敷群からほど近く、丹波篠山市北新町にある「丹波篠山市立:青山歴史村」。出迎えてくれるのは「旧澤井家長屋門」
青山歴史村は、篠山藩主青山家の別邸「桂園舎」を中心に、全国的にも珍しい漢学書関係の版木1200余枚、 篠山藩政文書等、江戸時代の歴史文化を物語る史料の数々を収蔵した3棟の土蔵から成っています。
一見井戸のように見えたものは、篠山藩政時代に使用していた石製の金庫で、市指定文化財「石造金櫃(せきぞうかねびつ)」。篠山城大手馬出の北側には、 篠山藩貨幣司が藩関係の金融取引を行っていた掛所があり、その土蔵床下の土中に埋められていたものです。 花崗岩製の板石を組み合わせた櫃で、上蓋は6枚の板石が並ぶようになっています。
青山氏の家紋「青山銭」入りの瓦
「桂園舎」
「桂園舎」を管理してきた「財団法人青山会」の由書碑
訪問日:2007年7月7日
東京青山と言えば高級ブランドショップが立ち並ぶ東京一のおしゃれな街。
実は社会人1年目の初任地が赤坂支店。
お客様の多くが青山通り沿いにあり毎日赤坂から坂を上って青山へ、さらにその先の谷底の渋谷まで行ったり来たりの日々。
都市化して本来の地形がわかりづらい東京都心ですが緩やかな台地の上なので青山か、などと勝手に納得しておりましたが…
ある時年配のビルオーナさんに青山の地名は家康江戸入府時に重臣だった青山氏がここに居を構えたことがその由来と教えていただきました。
その青山氏こそが丹波篠山の青山さん。
ところで青山と言えば想起するのが「番町皿屋敷」や「播州皿屋敷」に登場する青山さん。
江戸初期の青山宗家青山忠成が播磨守に任じられたこと物語の舞台となった当時の牛込五番町が青山に近接してることからもしやこの青山氏がモデル??と思いきや、こちら室町時代の話が由来で特に関係はないとのこと。
ありし日のtibinekoさんと旦那さまが。
こんにちはぁ〜〜👋
人の姿が入るといっそう、写真がイキイキするように感じます😊
臨場感というか、
こんなふうに各所を巡ってらしたのだな、と。
人はやはり、人を介して世界を知覚するのだなと思いました。
下級武士のお宅ですか。
下級であってもきっと、武士の心根は厳しく教えられていたのでしょうね。
裏千家のご当主のインタビューを最近読んだのですが、
千家は戦前までは武士の家系だったらしく、
ご当主も大変厳しく武士の家の子として育てられたのだとか。
上級武士や千家のような高名なお家なら、
そうした縛りも報われるというものでしょうが、
下級武士のお家だと、ただただ誇りがあるだけだったかもしれない、
なんて思います。
それでも幕末に外国人が来るようになって、
入管手続きの役人(つまり下級武士・・ではないかと)に外国人が賄賂を渡そうとしたところ、
日本男児と胸をたたいて一切受け取ろうとしなかった・・
なんて記事を読んだことがあります。
(手元にその記事がなくてうろ覚えですみません)
まあ、我々の大方は農民の子孫だと思いますが😅
そんなこんなの気配を、安間家のたたずまいに思いました。
誇りというものは、大切だと思うのですよ。
それは人を追い詰めもするけど、堕ちることから踏みとどまらせもすると思います。
今の日本社会はどんどんそういうのをかなぐり捨てて、笑いものにして悲しいことだと思います。
って盛大に横道ですね。
かつての生活が伺える武家屋敷に、笹飾りはよく合いますね。
面倒ごとはもう収まりましたか?
七夕の良い夢をご覧になれますように。
もうね、鬼のような暑さでネジが一つぶっ飛んでしまった感じです。
でもまっちさんの若かりし頃のビジネスマン姿がふいっと浮かんで、一服の涼風のように感じられました(*^^*)
そうか・・・江戸の青山さんは丹波篠山のお武家様だったんですね。
でもって番町皿屋敷は青山さんは室町時代・・
とすると姫路城のお菊井戸の正体は、やっぱり余人を寄せ付けない秘密の抜け穴?!
七夕の夜の夢はお菊さんか、それとも篠山のいのまる(なんでやねん)(笑)
登場人物が一緒というのが多いです。
で、画像を少なくすれば良いのですが、
基本的にウン十年先の
老後の楽しみに残すのが目的なので、
「まぁ良いか」と(((((^_^;)
ご挨拶されて、壮大に照れてます。
でもって「こんにちわ~~💗」
丹波篠山市
この先もいろんな場所に出没します。
お覚悟を(笑)
>人は人を介して世界を知覚する
素敵な言葉ですね🌸
旅先で出会う懐かしい佇まいに惹かれるのは
そこに生きた人の姿が見えるからかもしれません
面倒事と言うか・・
お向かいの家が解体工事中で
ヒットポイント削られまくってます
今日は秋海棠が一鉢犠牲に・・
ハァ~~~~~~~
~~ため息(笑)