2010年4月18日に参拝した「五所・諏訪神社」。2016年、御朱印を頂くために再度の参拝。
浜松市中区利町に鎮座される「五社神社」。御祭神は『太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神』。「諏訪神社」。御祭神は『建御名方命、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、事代主命』。ともに『徳川秀忠』の産土神とされた事で、子守りの神として人々の崇敬を集めています。
五所神社由緒に「曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後、徳川家康公、浜松城主となり天正7年(西暦1579年)4月7日、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座す。元々は祭祀を司どる神である『太玉命』を祀る神社でしたが、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となりました。
相殿に『応神天皇、徳川家康、菅原道真、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命』を合祀。」
広い参道の石段をあがると、1989年生まれの、青銅製の狛犬さんが出迎えてくれます。護国タイプに似ていますが、相当のガチムチ系。特に下半身の安定感が半端ない。
諏訪神社由緒に【延暦10年(西暦791年)、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎と伝えられる。弘治2年(西暦1556年)に曳馬城下、大手前に遷座される】
もとは隣接して鎮座されていましたが、昭和35年に法人格を一つとして合祀、新たに「五社神社・諏訪神社」としてこの地に鎮座されました。
諏訪上社の御神紋「諏訪梶の葉」、春日大社の「下がり藤」は、五所神社の御神紋のようです。
かって「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われた旧社殿。 旧国宝に指定されていた権現造の社殿・透塀・唐門・楼門は、昭和28年の戦災により全て焼失。現在の社殿は、昭和57年(1982)に竣工されたもので、一社殿内に両社の御祭神を奉斎しています。
この豪華絢爛な彫刻は本殿のほんの一部分ですが、まさに王朝絵巻を思わせる艶やかさ。
本殿の横にある「神輿庫」の扉には、「諏訪・五所」両社の御神紋。
参道石段を上がって直ぐの左手に鎮座される、朱も鮮やかな「稲荷社」。
その後方に「獅子頭岩」。 昔からこの神社に伝わる自然石ですが、こうして横から見るとまさに獅子の頭です。
二度目の参拝で見かけた絵馬は「家康公出世手形」。鷹を腕に、束ねた長い黒髪を風になびかせた美少年。 大きく染め抜かれた葵の紋からしても確かに家康がモデルなのでしょうが、流石にこれは無いわ😅
朱塗りの手水舎の「手水鉢」は、寛永十五年に浜松城主『高力摂津守』の寄進。
最期は、鳥居の右手後方に、明和四年に建立された「光海霊神(うなてりのみたま)碑」。 江戸時代中期の国学者で歌人でもあった『賀茂真渕』が、幼少の頃、師と仰いだ五社神社・神主『森暉昌』の功績を記した顕彰碑だそうです。
参拝日:2010年4月18日&2016年12月16日
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