車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧木田郡役所 in 香川県三木町

2021年02月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

三木町大字池戸に残る「旧木田郡役所」。ドーマー設置による大正洋風様式の端正な郡役所は、香川県内に建てられた擬洋風建築の旧郡役所庁舎として現存する、唯一のものとされています。

木田郡林村(現:高松市林町)の 宮大工『吉峰長太郎正一』により大正8年(1919)に建築。下見板系擬洋風建築の特徴を色濃く映した構造を持ち、大正15年(1926)に郡役所としての機能を終えるまで、郡役場として使われてきました。

その後、香川県の所有となり、昭和5年(1930)から香川県蚕業試験場として運用。その際に繭を保管する切妻造りの土蔵が正門の東側に増築されました。

昭和56年(1981)、香川県農業試験場の移転を受け、跡地および建築物を三木町が買い受け、昭和58年(1983)より池戸公民館として運用を開始。以降、保全塗装や瓦の葺き替えなどによる定期的な整備改修が行われてきました。

屋根の上にドーム状の丸屋根を持つ塔状のドーマー。洋風建築の代名詞的シンボルですが、実は緻密な日本建築の粋が凝らされいるあたりに、宮大工の矜持が感じられます。

三木町重要文化財の「旧木田郡役所庁舎」・・・悔しい事にこの日は月曜日だった為、休館💦。とは言え、予期しなかった出会いだった事を思えば、こうして外部の見学が出来ただけでも僥倖と思わねば。

公民館前の道路向かいは、かって多くの物資や旅人が行き来した長尾街道。漆喰壁や虫籠窓のある家というのは、そこにあるだけで「美しい景色」になります。それゆえに、これだけで終了とは・・やっぱり勿体無いなかったなぁ😩

訪問日:2011年6月17日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県三木町

2021年02月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

木田郡三木町(みき)は香川県の東部に位置する町です。北と西と南西は高松市、東はさぬき市、南東は県を跨いで徳島県美馬市に隣接。町域は南北に長く、北部の丘陵地、中央部の平野、南部の山間地域から形成。北部から中南部にかけては高仙山に水源を発する新川水系の流域で、南部は香東川流域、一部は吉野川流域となっています。10月下旬に行われる「獅子舞フェスタ→獅子たちの里三木まんで願」が有名ですが、外にDTE酵素による希少糖の製法を確立したことから「希少糖(誕生)の町」を称しています。「町の木:クロガネモチ」「町の花:シャクヤク」「町のシンボル:メタセコイア」を制定。

キャッチフレーズは「希少糖と獅子たちの里 みき」

明治23年(1890)、町村制の施行により、三木郡氷上村・平井村・奧鹿村・田中村・下高岡村・井戸村が発足。

1899年、郡制の施行により三木郡と山田郡が合併、木田郡となる。

1919年、平井村が町制を施行、木田郡平井町が発足。

1941年、奧鹿村が改称し、木田郡神山村が発足。

1954年、木田郡平井町、神山村、田中村、氷上村、下高岡村が合併、木田郡三木町が発足。

1956年、木田郡井戸村を編入、現在に至ります。

マンホールには町章を中心に、三木町出身の植物学者、三木茂博士が化石として発見した古代樹メタセコイアに因んで「メタセコイア」「虹の滝とモミジ」がデザインされています。

もう一種には「三木まんで願」に登場する、三木町名物巨大大獅子がデザインされています。「まんでがん」は、香川県の方言で「まるっと全部」 の意味。(画像提供:義姉)

三木町庁舎内展示:まんで願獅子

昭和30年10月1日制定の町章は、「「全讃史」に記載される「三木」の由来を元に、漢字「三木」を大樹の形状に図案化したもの。町の大樹の如き発展を祈念している。」公式HPより

「三木町」の自治体名が書かれた量水器と、「三木の由来碑」

「全讃史」には「井戸高木に上古むろの大木あり、その高さ数十丈、よってその地を高木といい、平木に柊の古木あり、よってその地を平木といい、朝倉に山椒の大樹あり、朝日をさえぎってその里くらし、よって朝倉の里といい、朝倉山椒というもこれにより出づ。この三木あるを以て、三木郡といえり 」・・・・三木町の地名は三木郡に由来しています。

漢字には一文字一文字に意味が有り、地名の由来もその意味によって成立したものが多くあります。三木は漢字で表記されるからこそ「三木」であり、「みき」では意味を成しません。平成の大合併によって、やたらと目に付くようになった「ひらがな」の自治体名。平仮名なら誰でも自治体名を覚えられるからと、誰かが言ったのを記憶していますが、そんな馬鹿馬鹿しい理由で由緒ある漢字を消し去るなど、愚かの極みだと、私は思っています。
日本人であれば(日本の教育を受けていれば)、よほど特殊でない限り普通に読めますし、難読であれば、それが判った時の楽しさが、その土地への興味を引き起こすのではないでしょうか?

三木町庁舎近くの歩道橋にあった「町の花:芍薬(しゃくやく)」のレリーフ。

撮影日:2011年6月17日&2017年8月10日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「三木町」のマンホールカードは、「三木町役場上下水道課」でいただけます。

2006年に設置開始されたマンホールには「町章」を中心に、「メタセコイア」と「虹の滝」、「モミジ」がデザインされています。

「三木町の記念樹である「メタセコイア」と県自然記念物である「虹(こう)の滝」をデザインしたマンホール蓋です。 「メタセコイア」は三木町出身の植物学者・三木茂博士が植物の化石から発見し、昭和16年に論文で発表した新種のセコイアです。 当初は絶滅したものと考えられていましたが、昭和20年に中国湖北省の奥地で現存しているメタセコイアが見つかり、「生きている化石」として有名になりました。 「虹の滝」は三木町の小蓑地区にある滝で、水煙が日光を受けて虹を描き出すところから名づけられました。 秋は紅葉も美しく、滝とのコントラスが見事な三木町を代表する景勝地の一つです。」

訪問日:2017年8月10日

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ふらり~引田の町歩き・其の二 in 香川県東かがわ市引田町

2021年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

昨日に続く~引田の町歩きトップは、引田では珍しい洋風建築の建物で、昭和7年(1932)に建てられた「旧引田郵便局舎」。外壁はタイル貼りで、頂部には「〒」マークをあしらった半円形ペディメント。正面と側面に八角形の窓を対称に配した瀟洒な建物は、喫茶店「風の港館・カフェヌーベルポスト」として利用されています。

素敵なタイル張りの壁に設けられた小さな穴は、換気の為でしょうか?何度も雀が出入りをしているのですが、耳を澄ますと小さなヒナの鳴き声が聞こえます。見てしまったらもうダメ😣・・無事に巣立ってくれますように!

引田町中心街に立地する寄棟造:木造平屋建の「旧引田郵便局舎」は、2010年1月15日、登録有形文化財に指定されました。

旧街道東側に占める敷地の西端に位置する「松村家」。薬種商、医院を営んでいた家で、昭和の初期からは書店と文具店も併設していました。
建物は江戸時代末期に建てられたもので、2011年10月28日に国の登録有形文化財に指定されています。

こちらは昭和5年(1930)築の「長崎家住宅」。長崎家は江戸時代後期から昭和初期まで廻船業を営んでおり、 昭和55年(1980)までは、この場所で醤油の製造も行われていました。

旧阿波街道に面した寺町に境内を構える「積善坊(しゃくぜんぼう)」。この山門には、四国随一と言われる仁王像があり、その色彩の鮮やかさに目を奪われます。これまでいろんなお寺で色んな仁王様にお目にかかってきましたが、派手さで言えば五指に入ると思われます😲

積善坊の南に境内を構える「善覚寺」。山門は、引田城の門を移築したものと言われています。

屋根に目をやれば留蓋の獅子さん、蕾のボタンを傍らにおいて何か楽しそうに下界を見やっています。紹介は省きますが相方の獅子さんは満開の牡丹を持っており、ちゃんと阿吽の一対になっています。

本町と寺町の交点に建立されているのは、四国では色んな場所で見かけた古いへんろ道の道標。「左こんひらみち(琴平道)」「右へんろみち(遍路道)」の文字が刻まれています。

町歩きをしていると思いもかけない場所から声をかけられ、色んな昔話を聞かせていただけます。その度ごとに、引田の町並みはそこに暮らす人たちの「わが町を」と言う想いが作り上げたものなのだという事を、とても強く感じさせられます。文化財の建物だけで引田の町並が成り立っているわけではありません。決められたコースをマップ通りに歩くのではなく、ふらっと道を外れて見るのも良いものです。立ち止まってほんの少し体を屈めて・・素敵な何かがきっと見えてきます。

訪問日:2011年6月17日

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ふらり~引田の町歩き・其の一 in 香川県東かがわ市引田町

2021年02月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

中世より播磨灘における「風待ちの港」として開かれ、引田城城下の港として発展。近世には日用品の集散地および醤油の積出港として栄えた歴史をもつ「引田港」。近代においては、その当時の町並みの保存再生に力を注ぎ、「引田の町並」としての観光資源に活用されています。

昔ながらの景観を今に伝える引田の古い町並みの中に、引田御三家といわれた「旧庄屋:日下家」、「醤油業:岡田家」、「酒・醤油業:佐野家」があります。引田の町並みや東かがわの観光パンフレットに、必ず紹介される赤い醤油蔵の景色。

町中で異彩を放つのは引田御三家のひとつ「岡田家」。赤壁の醤油蔵は宝暦三年(1753)創業の老舗の醤油屋「かめびし屋」の建物。現在でも、日本で唯一のむしろ麹製法による長期熟成のこだわり醤油が製造されています。

築200年を超える醤油蔵は、鮮やかな紅殻色の漆喰壁に守られて、その歴史を培ってきました。天然長期熟成に拘り、三年の歳月をかけて熟成させた諸味で食べる「もろみうどん」は、隠れた名物として、多くのファンを呼んでいるようです。

真紅の壁沿いを歩いているだけで、何もせずとも美しい景色の中の登場人物になれる・・・

何かを足しても、何もなくとも、その空間そのものが壮大なアートのようにもなるこの一画。見つめていると目の奥までもが真紅に染まるような不思議な錯覚を覚え、かすかなたじろぎを感じます。

かめびし事務室及び展示室・赤門・かめびし蔵等々・・・18棟の建造物は2003年9月19日付けで国の登録有形文化財に登録されています。

引田の町並み散策の拠点となるのが「讃州井筒屋敷」。引田随一の豪商として江戸期から昭和まで醤油屋「井筒屋」を営んだ引田御三家のひとつ「佐野家」です。

現在は観光施設としてリニューアルされ、 住居だった当時の母屋や庭などを見学する事ができます。

また、蔵を活用したショップでは、特産品の買い物や食事などが楽しめるようになっています。手袋の生産日本一の町・東かがわ。良質の国産の手袋の付け心地は是非ともお試しあれ!絶対に欲しくなる事請合います😄

引田御三家、最後は江戸初期から明治初期まで、代々大内郡の大庄屋を務め、商店や船の取り締まりを行っていた「日下家」の長屋門。
こちらは現在、住居として人が住まわれており、当然外観のみの見学となります。

焼酎醸造の煙突を保存した「煙突広場」なんていうのもあったり・・本町通りから寺町通りへ、ふらり町歩きはもう少し続きます。

訪問日:2011年6月17日

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誉田八幡宮 in 香川県東かがわ市引田

2021年02月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

東かがわ市引田に鎮座される「誉田八幡神社」。御祭神は「誉田別尊、気長足姫尊、皇后仲姫尊」。

由緒「承和8年(841)、手置帆負命の末裔で大内郡の領主である忌部正國が誉田八幡宮に参拝した際に神託により神宝2品を授かり、1品は伊座中山、もう1品は忌部中山家の後園に祀る。延久元年(1069)、伊座中山にある神宝は引田の亀山の頂に遷座され、引田七郷の鎮守神とされる。」

一の鳥居前より神域を守護されるのは、昭和13年(1938)10月吉日建立の構え型狛犬さん。大量のあご毛が重そうな狛犬さんは、構えているというよりも、あご毛の重さで体が勝手にこんな姿勢になったのでは?

一の鳥居から参道を進んだ先に〆柱、その先には二の鳥居と神門が見えています。

〆柱前の左右より神域を守護されているのは、異国の香りを漂わせる狛犬さん。目一杯怖い顔で精一杯ふんぞり返っていますが、ちっとも怖くないですよ😊

拝殿へといたる急な石段・・・そう、もの凄く急な石段を登った先に二つ目の〆鳥居。そしてさらに急な石段😣と、その先に三の鳥居の境内が見えています。

もう若くも元気でもない二人😓、何とか遭難せずに拝殿まで辿り着けました😩。

石段の上、拝殿前より神域を守護されるのは、赤い前垂れがとてもよくお似合いの、安政3年(1856)3月吉日建立の浪速型狛犬さん。いろんな意味で・・秀逸な一対😅

境内には沢山の境内社が鎮座されていますが、まずは「鎮魂社」。おそらくこの地域の戦没者の方々が祀られていると思われます。

「高良神社」。御祭神は『武内宿祢』。朱塗りが美しい「亀山稲荷大明神」御祭神は『大宜津比売神(おおげつひめのかみ)』

「亀山稲荷大明神」の社殿の向背には二匹の神狐さんが仲良く追いかけっこ。このような構図はあまり見かけませんが、とても良い雰囲気。

本殿の近くに奉納されていた「魚の石」。大漁の御神徳があるそうです。

幸せを呼ぶ「福の石」と刻まれています。

最後はちょっと変り種を二点、神馬舎の木製の御神馬。位置的にアップに出来なかったのですが、目がね・・・なんか色々とすごいんです😠 

奉納の石灯籠は、下から「桶」「盥(たらい)」「提灯」「笠」。これって何かの判じ物でしょうか?いずれにしても良く出来すぎていて、撫でまわしてきました😆

    

参拝日:2011年6月17日

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ご当地マンホール in 香川県旧引田町(東かがわ市)

2021年02月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡引田町(ひけたちょう)は香川県の西端に位置した町です。白鳥町に。また県を跨いで徳島県鳴門市、板野郡板野町・上板町・土成町に隣接。播磨灘に面する港町を中心として町域が開け、世界で初めてハマチの養殖に成功した地として知られています。また、引田城下には観光パンフレットでお馴染みの、赤壁の醤油醸造所に代表される古い町並みが残されています。「町の木:梅」「町の花:コスモス」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡引田村・相生村・小海村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1909年、引田村が町制を施行、大川郡引田町(第1次)が発足。

1955年、引田町、相生村、小海村が合併、大川郡引田町(第2次)が発足。

2003年、大川郡白鳥町、大内町と合併、市制を施行し、東かがわ市となりました。

マンホールには中央に自治体名を組み込んだ「町の木:梅」の花がデザインされています。

昭和43年(1968)4月1日制定の町章は「平和の象徴のハトを横面から 表現、更に産業、文化に大きく 空間に飛躍し、住民の融和と町 勢の発展を表している。」合併協議会資料より

引田駅付近で見つけた高松市の上下水道用の越境蓋。

東かがわ市旧自治体のマンホールは、全て引田庁舎の方に教えていただきました。駅の近辺から庁舎、引田の通りと探し回ったのですが見つけられず、思い切って訪ねたのですが、引田だけではなく、他の旧自治体も合わせて調べて下さいました。大切なお時間を割いていただき、心から感謝いたします。改めて その節には本当に有難うございました🙏🙏

撮影日:2011年6月17日

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若宮八幡神社in東かがわ市白鳥

2021年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

東かがわ市東山に鎮座される「若宮八幡神社」。境内に由緒などの類は見られず詳細は不明です。

一般的には、「八幡様の若宮」という意味 を持つものと思われ、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請。八幡神・応神天皇の御子神「仁徳天皇(大鷦鷯尊)」が奉られます。また他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は「応神天皇」が奉られます。

鳥居の手前より神域を守護されるのは、昭和14年(1939)1月建立の素朴なイメージが何とも優しい狛犬さん一対。どこにいても、穏やかな眼差しで、参拝者と神域を見守ってくれているようです。

拝殿前の鳥居脇より神域を守護されるのは、昭和11年(1936)1月建立のかなり小柄な狛犬さん。

一生懸命頑張ってる顔ですが、しかめた眉と上向きの鼻の愛らしさが相まって、思わず頭を撫で撫でしたくなるお顔立ち😄

境内にあった小さな祠には、曰くありそうな丸い石。右隣には違和感満載の仙人が三猿を従えて立っています。それにしても この仙人の正体???

三猿と言えば一般的には一面六臂の青面金剛と決まっていますが、こちらは全く別の・・行者様に近い・・かといって役行者様とも違う・・???

参拝日:2011年6月17日

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ご当地マンホール in 香川県旧白鳥町&旧大内町(東かがわ市)

2021年02月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡白鳥町(しろとりちょう)は香川県東部、湊川の流域に位置した町です。大川郡引田町・大内町・大川町・寒川町・長尾町に。また県を跨いで徳島県土成町・市場町に隣接。湊川河口の浜堤上にある中心市街は白鳥神社の社前町として発達。明治中期に還俗した『両児舜礼(ふたごしゅんれい)』が大阪からメリヤス手袋の生産技術を伝えてより、手袋製造が発展。現在では、全国生産額の約90%を占め、欧米への輸出も盛んに行われています。瀬戸内海国立公園の一部を成す「白鳥海岸:鹿浦越(かぶらごし)」には国天然記念物「ランプロファイヤ(煌斑(こうはん)岩)」の岩脈を見る事が出来ます。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ハクチョウゲ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡白鳥村、松原村、福榮村、寒川郡五名山(ごみょうさん)村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1910年、松原村が町制を施行、改称して大川郡白鳥本町が発足。

1923年、五名山村が改称して大川郡五名村が発足。

1955年、白鳥本町、白鳥村、福栄村、五名村が合併、大川郡白鳥町が発足。

2003年、大川郡引田町、大内町と合併、東かがわ市となりました。

マンホールには、町名の由来となった「白鳥」と「町章」が美しくデザインされています。

昭和35年4月1日制定の町章は「白鳥町の頭字「シ」を片翼的 に図案化して、飛鳥の姿を形ど り、産業に文化に町勢の飛躍的 な発展を象徴し、また円形によ って町民の和を表している。」合併協議会資料より

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旧大川郡大内町(おおちちょう)は香川県の東端に位置した町です。大川郡白鳥町・津田町・大川町に隣接。町域を与田川、番屋川が流れ、三本松地区は砂糖の集散地、積出し港として発展、東讃の中心となりました。産業として紡績、製薬、窯業、手袋製造が盛ん。絹島および丸亀島の海岸に発達する柱状節理は国の天然記念物に。また与田寺、水主(みずし)神社、中世末期の虎丸(とらまる)城跡など多くの文化財を擁しています。町域には、明治~大正にかけて塩田跡地を改良して整備した水田が数多く見受けられ、特に水主(みずし)地区で採れる米は上質で、「水主米」のブランド名で販売されています。「町の花:サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡誉水(よみず)村、丹生(みぶ)村、三本松村が発足。

1898年、三本松村が町制を施行し、大内郡三本松町が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1954年、誉水村・丹生村が合併、町制を施行し大川郡大内町(第1次)が発足。

1955年、三本松町と大内町が合併、大川郡大内町(第2次)が発足。

2003年、大川郡引田町・白鳥町と合併、東かがわ市となりました。

マンホールには、全体に「町の花:サツキ」がデザインされています。

昭和33年7月1日制定の町章は「町名の「大内」を図案化、町 の平和を印象づけ、三方に伸び る鋭角は、飛躍的発展と融和、 さらに協力・友愛・誠実を表し ている。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日&2018年12月15日

讃岐三白=綿、塩、砂糖

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県東かがわ

2021年02月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

東かがわ市は香川県の東端に位置する市です。2003年4月1日、大川郡引田町、白鳥町、大内町が合併、市制を施行して発足しました。西はさぬき市、さらに県を跨いで東と南は東西に連なる阿讃山脈によって徳島県鳴門市、阿波市、板野郡板野町・上板町に隣接。瀬戸内海に注ぐ馬宿川、小海川、中川、湊川、与田川、番屋川などの流域に平野部が開け、市街地と田園地域を形成。地場産業の手袋生産は、伝統産業であり、はまち養殖の発祥地、有名な製薬や和三盆糖などの伝統を今なお受け継ぎ、国立公園瀬戸内海播磨灘に臨む自然環境豊かな市です。「市の木:桜」「市の花:コスモス」を制定。

キャッチフレーズは「21世紀に躍動する生活・文化・交流都市」

マンホールには、新市章を中心に、両横に「市の花:コスモス」が抽象的にデザインされています。

耐スリップ加工が施されたマンホール

2003年4月1日制定の市章は「「東かがわ市」の頭文字「ひ」を図案化したもので、東かがわ市が未来に向かって勢いよく飛翔し、その存在を力強く発信していく姿を表現しています。また、両翼の三本の羽根とそれを結ぶ輪は、引田町、白鳥町、大内町がひとつになって誕生した市を意味しています。」HPより

東かがわ市高齢者等見守りネットワーク事業キャラクター『まもロールくん&. ふくロールちゃん』。地域の為にがんばっているようです。

撮影日:2011年6月17日&2018年12月15日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「東かがわ市」のマンホールカードは、「東かがわ市役所 上下水道課(市役所3階)」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「市章」と「市の花:コスモス」が抽象的にデザインされています。

「東かがわ市の市章がデザインされたマンホール蓋で、公募にて平成17年に決定しました。 その後、平成30年度の公共下水道供用開始に合わせてカラーマンホールを制作しました。 中央部のデザインは「東かがわ市」の頭文字「ひ」を図案化したもので、当市が未来に向かって勢いよく飛翔し、その存在を力強く発信していく姿を表現しています。 また、両翼の三本の羽根とそれを結ぶ輪は、引田町、白鳥町、大内町がひとつになって誕生した市を意味しています。 背景の水色は穏やかな瀬戸内海播磨灘を、市章両側のピンク色の丸は市の花であるコスモスをイメージして着色しました。」

マンホール設置場所案内地図(東かがわ市三本松浄化センター入口)

訪問日:2018年12月15日

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ご当地マンホール in 香川県旧大川町&旧寒川町(さぬき市)

2021年02月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡大川町(おおかわちょう)は香川県の東、大川郡のほぼ中央部に位置した町です。大川郡津田町・寒川町・白鳥町・大内町に隣接。おもに花崗岩からなる山地と、北流する津田川の形成した低地部からなる内陸の農業地域で、地区の中央を通る県道沿いに集落が発達。古くは難波の里とよばれ、大川町富田中には5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される前方後円墳「富田茶臼山古墳」があり、四国地方では最大規模の古墳として国史跡に指定されています。「町の木:さざんか」「町の花:さざんか」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡富田中村・松尾村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1955年、富田村・松尾村が合併し、大川郡大川村が発足。

1961年、大川村が町制を施行し、大川郡大川町が発足。

2002年、津田町、長尾町、寒川町、志度町と合併し市制を施行、さぬき市大川町となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花木:サザンカ」がデザインされています。

町章は「大川を図案化したもので、平和・明朗・堅実・融和・協力を表現し、前述の飛躍発展を象徴しています。現在では、数々の文化遺産と自然を満喫するスポットが多彩で、四季折々に趣を変え、歴史を訪ね、湯を楽しむことの出来る町として、大きく変貌を遂げていきます。」合併協議会資料より

町域にはデザイン物以外では自治体章の無いマンホールしか見当たりませんでした。

旧大川町域にある「さぬき南小学校」のキャラクター「 チャウスくん ・みなみちゃん ・はにたろう 」。さて、これを旧大川町のキャラにして良いものかどうか・・・💦

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旧大川郡寒川町(さんがわちょう)は香川県の東部に位置した町です。大川郡津田町・大川町・志度町・長尾町・白鳥町に隣接。町域は鴨部(かべ)川、津田川の支流の流域を占め、溜池灌漑による米作・タバコ・蔬菜栽培が盛ん。長尾街道に沿って主集落が開けています。「町の木:ヤブツバキ」「町の花:ヤブツバキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡神前村、石田村が発足。
1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。1955年、神前村・石田村が合併し、大川郡寒川村が発足。
1961年、寒川村が町制を施行し大川郡寒川町が発足。
2002年、津田町、長尾町、大川町、志度町と合併し市制を施行、さぬき市寒川町となりました。

昭和44年4月1日制定の町章は「明治百年を記念して昭和44年4月1日に制定「寒川町の頭文字「サ」を図案化したもので、東西を貫く県道を中心として、発展してきた町の姿を表し、まりやかな調和の中に、融和と繁栄をもって四方に伸びようとするその力強き町の発展を簡明端的に表現したものです。」合併協議会資料より

寒川町内のGSで聞いた旧町域、かなりの範囲で探してみましたが、ご当地マンホールの類は発見できず、唯一見つけた空気弁も濃業用水用の規格蓋でした。

撮影日:2011年6月17日&2018年6月19日

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2018年6月の車泊の旅では、「道の駅:みろく」にて車中泊をさせて頂きました。大山牧場のカレーパン、私は苦手で手が出ませんでしたが、ご亭主殿は気に入った様子で機嫌よく食べていました😄

車で旅をする私たちにとってこうした施設は本当に有り難く大切な場所です。改めてその節は、ありがとうございました🙏🙏

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