昨日・6日、岡山市役所を定年退職し今は再任用職員として働いている友人が、仕事で能登半島地震の支援に出発。1週間の予定とのこと。ある町の支援だがそこには宿がなく、仙台市に宿泊し同じく市役所から派遣されているメンバーとともに、レンタカーで毎朝6時30分に出発し、2時間かけて通うという。大変だが、頑張って欲しい。
今回で自治体からの短期での派遣は終了し、今後は中長期への派遣は全国で360人が派遣されるとの報道もある。被災された方々が早く避難所生活から解放されるとともに、復興・再建に大きく前進することを願わずにはいられない。
私はお正月・元旦、重傷者病棟(個室)のテレビで、その能登半島地震の様子を見た。あれからもう3ヶ月以上の時間が流れた。私はともあれは日常生活に復帰できているが、その一方で今なお自宅が損壊などして避難されている方々が、体育館で雑魚寝での生活を余儀なくされている現実がある。
一方、過日テレビで見たが、先頃大規模な地震に見舞われた台湾では、地震発生翌日は、避難所に避難者用のテントが設置され、避難した人のプライバシーに配慮したものになっている様子が紹介されていた。お医者さん達による救護班も避難所の隣に開設されていた。
日本は被災者に用意されるのは体育館の雑魚寝、食料すら数日経たないと届けられない。まさに「難民キャンプのよう」。
私はこれまで、避難者用の段ボールペッドの用意を言ってきたが、今それを恥じている。台湾の避難所の様子をみて、プライバシーにも配慮したテントを用意すべきと。そして、それはやる気にさえなれば可能だと。
日本は災害大国であるだけに、政府と自治体は真剣にそのことを考えて欲しいと願う。何時誰が被災するか分からない中では、私も、そしてあなたも明日には被災者として避難所暮らしを余儀なくされているかも知れない。それ故、みんなで声を上げようではないか。
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