『高峰秀子 暮らしの流儀』を読んで、我が暮らしを見つめ直して忸怩たる思いだ
今日からはGW後半戦がスタートした。この連休中は晴れるようだ。しかし、昨日は終日雨だった。まさに晴耕雨読、ダラダラと過ごしたが、それでも少しは本も読んだ。図書館から借りた本は全く一貫性がなく、我が思考回路のように支離滅裂だ。
そんな中で、このところ何冊か読んだのが、高峰秀子関連の本だ。高峰秀子はそんなに好きな女優ではなかったが、その生き方は素晴らしい。高峰秀子に関わる本は何冊か読んだ。そして、最近読んだのが、『高峰秀子 暮らしの流儀』(新潮社刊)だ。
本の扉裏には、「『人はその時の身丈に合った生活をするのが一番』と女優を引退すると、自宅を壊し、小さく“新築”した。小さくていいから、亀の子束子ひとつでも自分の気に入った物ばかり置いた家にする」と書かれている。
女優を引退してそれまで住んでいた、まだびくともしていなかった「三階建ての教会建築の豪邸」を、躊躇せず取り壊したとのことだ。小さく“新築”するにあたって、家具や長年集めた書画骨董、何百セットという食器、衣類、そして人間関係……、あらゆるものを捨てた」とのことだ。
例えば映画で受賞した「夫婦合わせて優に100を超える映画賞のトロフィーを全て捨てた。たった一本だけ残したのが、高さわずか19㎝の『二十四の瞳』のトロフィー」。「あれだけで充分よ。気持ちの中だけにあればいいの」。「私の洋服ダンスは昔から一間の押入れ一つでふえもしないし、減りもしない。一着つくれば前の一着を処分するという新陳代謝法をとっているから、衣装がタンスのコヤシになることはないし、流行遅れの服を着なくてすむし、虫干しするほど数もない。私の整理は簡単である」と書かれてもいる。
このとんぼの本『高峰秀子 暮らしの流儀』には、高峰秀子が暮らしの中で愛した品々が、写真入りでエピソードや高峰秀子の言葉も紹介されて掲載されている。その確かな暮らしぶりには圧倒される。まねようと思ってもまねられる物ではない。「いいかどうかはわからないけれど、趣味は、あるね」と語る高峰秀子、まさに「本物の暮らしがそこにある」感じだ。
養女となっている斎藤明美さんは、「どんな名作のスクリーン上よりも、家の中で生きることを選んだ人。信条は、整理整頓、身の丈に合った生活、台所に精を出し、おいしいごはんをつくること。“にんげん高峰秀子”のその潔い暮らし方、静かな日々の営みに、本当の幸せ、人間の喜びがある」と書いている。私にはとてもまねできない暮らしだが、とても感銘を受けた。
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