今日は「建国記念の日」で、国民の祝日です。
国民の祝日ですから,国民が揃ってお祝いをするべきなのかもしれませんが、主要新聞を探してみても、建国記念の日に関する記事はないようです。
宮中では歴史に則った行事が行われるのでしょうし、総理大臣は「公告」をだし、「建国記念の日」に国民が「我が国の歩みを振り返りつつ、先人の努力に感謝し、更なる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。」と結んでいます。
我が家では家内が「建国記念の日は、国民の祝日の中で一番静かですね」と言っています。
祝日の趣旨からいえば、日本という国が生れた日ですから、もう少し賑やかでもいいかなと思いますが、殆んど誰も関心を持たないというのが日本で、それが日本らしいと言えるのかもしれません。
記憶を辿れば一番賑やかだったのは昭和15年(1940年)の建国記念日、当時は「紀元節」でした。
この時は、日本が歴史的に箔をつけるために作った「皇紀」では2600年という事で日本中がお祝いムードで、「建国団子」という「お団子」が流行り、家族で、デパートに食べに行った記憶があります。「紀元2600年」という歌も出来ました。
そうして国民を徹底鼓舞した政府は、翌昭和16年12月8日に太平洋戦争に突入しました。結果は皆様ご承知の通りです。
話変わって、これは古事記にまつわる戦後の話です。昭和50年代だったと思います。宮崎に出張の折、ホテルを出て海岸沿いの道を散歩していました。
そこに「天皇、皇后両陛下ご用達」と看板を出した小さな菓子屋らしい家がありました。皇室ご用達はいけないはずなのに思いながら、面白いので入ってみました。お年寄りの方が店番で、短冊に切った豆餅が並んでいました。
「両陛下ご用達ですか」と聞きましたら、昔、神武天皇になられた神倭伊波礼毘古命(カンヤマトイワレヒコノミコト)が、この日向の国からご東征にお発ちになるとき、両陛下に献上した御餅だと説明してくれました。
それなら是非頂きたいと買って帰って家内と食べましたが、甘くて柔らかい豆餅でした。その後も宮崎に行きましたが、その店は見つかりませんでした。
今日はその神武天皇が大和の橿原の宮で初代天皇として即位された日という事になっているわけです。
「もしかしたら同じ餅を食べたのかもしれないよ」と家内と笑いました。
古事記の神話と、縄文、弥生の考古学がどうつながるかは別として、日本の伝統文化にはいろいろ面白く、賢く、良い面があるように思います。
嘗て日本の一部の跳ね上がった人たちが、それを使ってとんでもない誤りを犯しました。
これからの日本は、考古学も、神話も含めて、世の中が良くなるように活用する事が大事だとつくづく思うところです。