子供のころ「小学生新聞」というのがあって、親がとってくれて兄弟で読んでいました。太平洋戦争が始まって、小学校が「国民学校」になり、新聞の名も「少国民新聞」になったことを覚えています。
そのころから新聞は身近なもので、毎日読むものだと思っていたからでしょうか、卒寿を過ぎた今でも、毎朝、新聞を読まないと(見ないと)1日が始まらないような癖がついています。
最近新聞を取らない家が多くなったと言いますし、情報はネットでみんな入って来るから必要ないという人も多いようですが、やっぱり新聞はやめられません。
強いて理由を考えれば、新聞というのは、情報の収集、整理、伝達のプロ集団が、プロの誇りをかけて、重要なものだけを凝縮して、一目で見やすくデザインして提供してくれるので、こんな便利なものはないと思っているからでしょうか。
これは、毎日先ず新聞を読まないと落ち着かないのが癖になってしまった人間の言い訳かもしれません。
そんなわけで、現役のころは当然ですが、今でも、新聞は1面から順番に見ていくことになっています
国際、国内の主要な動きトップ記事で見る、政治の動向は知っておかないと困るし、経済は最も関係が深いから確り見ておかなければならないと思いながら、何枚かめくるとスポーツ欄になります。スポーツ欄になると、もう斜め読みでいいという感じで、社会面も、帰りがけに一杯やった時の話の種です。
こんなブログを書いているせいで、今でも、こうした読み方は変わっていませんが、最近特にですが、ページを繰っていって、スポーツ欄になると、何か爽やかな気分になることがあるのです。
確かに、大谷選手や大の里関、女子やり投げの北口選手、パラテニスの小田選手、スケートボードの堀米選手、さらには次々と新星出現のフィギュアスケートのスターなど、日本の選手の世界での活躍はまさに目を見張るものがあります。
しかし、毎日そうした人たちの記事があるわけではなく、サッカーのリーグ、バスケットやバレーのリーグ、その他いろいろなチームの勝敗、個人の記録といった記事ですから興味のあるものもないものもあります。
ページを繰って、この頃スポーツ欄のページ数が多いかな、などというだけのことですが、社会面に行くまでは気分が爽やかです。
さてこれも何故だろうかと考えてみました。気が付いたのは、スポーツは勝った。負けたの世界ですが、負ければ悔しいが、ますます頑張るぞという気が出る爽やかさ、ポイントはこれのようです。「競いの文化」の典型です。
政治も社会もドロドロなものが多い、経済はカネに絡む権謀術策、戦争に至ってはは破壊と殺戮、読みたくなくても読まなければならない記事でしょう。
その中で、やっぱりスポーツは、いつも爽やかなのです。