tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

連合、賃金より雇用優先-2010年春討-

2009年10月31日 16時54分27秒 | 労働
連合、賃金より雇用優先-2010年春討-
 連合は、10月29日の中央執行委員会で、来年、2010年の春の労使交渉に向けて、賃金より雇用優先の方針を打ち出したと報道されています。
 ベースアップの要求はせず(5年ぶり?)、賃金については賃金カーブの維持にとどめて雇用の安定に全力を挙げるとの姿勢とのことのようです。

 本来、経済整合性を重視し、日本経済の発展の中でこそ働く人たちの生活も改善されるという合理的な考え方を持ち、しかも政権与党になった民主党に極めて近い連合ですから、主要国ですら一般的である、労働者の権利ばかりを主張するといった伝統的な労働組合の態度と一線を画するというのは、日本的労使関係らしい、日本の労働組合らしい特徴でしょう。

 さらに報道によれば、連合は、従来ややもすれば批判されてきた正規従業員の立場を中心的に考える組織からの脱皮も考えているようで、非正規従業員を含めた働く人たち全体のことを考える組織を目指した活動も展開を始めるとのことのようです。

 折角長期不況から立ち直りかけた日本経済ですが、サブプライムローンを証券化して世界中に売るなどという大変迷惑なアメリカの思いつきのために世界経済が混乱し、そのとばっちりをまともに受けてしまった病み上がりの日本経済です。
 しかも、今まで頼りにしてきたアメリカ経済が、これからは頼りにならないということになると、日本の企業も労働組合も、本気で、アメリカを当てにせずに経済の再建を考えることが必要になってきます。
 
 考えてみれば、プラザ合意で世界一物価高、コスト高になった日本経済ですが、物価は輸入品のおかげで国際並みなったといっても、生産性と賃金コストのバランスはそこまで回復していません。
 非正規従業員の多用で賃金コストを下げてきましたが、今回の不況で派遣切りのようなことになると、残った正規従業員だけの賃金水準 では、矢張りコスト高のようです。

 連合も非正規従業員問題を取り上げるというのであれば、経営側も、この際、本格的、総合的に日本経済構造の中での「雇用・賃金構造」を取り上げ、今後の健全な経済・社会の発展のために、何をどう変えていけばいいのか考え、労使で、この難しい問題解決のために成すべきことを真剣に論議する春討をやったらどうでしょうか。


矢張り深刻なアメリカ経済の回復

2009年10月29日 12時28分26秒 | 経済
矢張り深刻なアメリカ経済の回復
 アメリカ経済の回復は一進一退のようです。まだまだ長く厳しいプロセスが必要のように思われます。

 投資銀行の業績が回復して、公的資金を返済の意向などといわれますが、おそらく相変わらず別途の資金調達やキャピタルゲインによる収入が中心でしょう。これは経済回復ではなく、借金やギャンブルで当てて国からの借金を返済するだけです。

 ですから、リテイルを中心に、実体経済への金融業務を中心にしている地方中小金融機関は大変苦しく、倒産が100件を超えたとのことです。かつてS&Lは500件も倒産したのだから、それに比べれば・・・、などという政府関係者もいるようですが、まともな神経とは思えません。

 アメリカ経済が回復するということは、アメリカがキャピタルゲインや借金で世界から再び巨額の資金を調達して、国としての資金繰りをつけるということではなく、アメリカの実体経済が、生産力を回復し、国として経常赤字を減らす方向、政府として赤字財政を改善する方向に向かうという事でしょう。おそらく何十年もかかるのでは。

 これには、アメリカ国民が本気になって実体経済の中で財やサービスの生産に、しかも国際競争力のある財やサービスの生産のために本気になって働くことが必要でしょう。
 当のアメリカ人は多少その気になっているのかもしれません。しかし、経済学者、経済評論家、特に金融関係の人たちが、アメリカ経済の回復をそうした目で見ているのでしょうか。

 金融さえ回って、アメリカの株価が回復すれば、それでアメリカ経済の回復であるような意見が、多く聞かれるような気がしてなりません。

 実体経済が健全に回復しなければ、ダウ平均も上がらないといった形にならなければ、かつての世界で最も健全な経済を誇ったアメリカ、 証券の価値が実体経済の価値基準として機能したアメリカへの復帰は本物にはならないでしょう。

 マネーに偏りすぎて、実体経済を忘れた、経済のあり方、経済学、経済評論などなどを世界経済の健全な発展に役立つようなものに、改めて見直し、考え直していくのでなければ、アメリカ経済の本当の回復や、世界経済の安定への視点を誤るような気がしています。


仕事と賃金

2009年10月26日 10時11分02秒 | 労働
仕事と賃金
 オバマ政権は、アメリカの公的資金注入企業の経営陣の給与を前年の5~9割カットにするべきだとしているというニュースがありました。

 日本なら、道義的に考えて、自主的に遠慮するといったところでしょうが、金の亡者に成り下がったように見えるアメリカのマネーゲームの主人公たちは、そんな所まで大統領のご厄介になるのでしょうか。
 ベンジャミン フランクリンの諺が生きていたであろう古き良きアメリカはどこへいったのでしょう。

 ところで、仕事と賃金の関係というのは、昔から多くの学説まで生んだ難しい問題のようです。賃金は企業の決めた枠(基金)の中で払うものといった賃金基金説(アダム・スミス)辺りから始まって、戦後の日本では、アメリカ流の職務給導入論、つい最近ですら、成果給 が良いの悪いのと随分論争がありました。

 日本人は、長年島国という環境で生活してきたせいか、海外から来るものをついつい珍重してしまって、いろいろ失敗をしていますが、この間は成果給の導入などという失敗もその中のひとつでしょう。
 日本には、日本人のメンタリティーに合った、合理的な賃金の基準があったのですが、舶来に惹かれる悪い癖が出たようです。

 心配なのは、アメリカなどのマネーゲームの主人公たちが、懐に入った「あぶく銭」の山分けをするような巨額報酬 を真似ることでしたが、さいわい(?)日本の投機筋は損ばかりさせられているので、そのような心配は杞憂だったようです。

 ただ、税制などは昔と違って累進度がずっと低くなり、高額所得者の手取りは増えるようになりました。これも格差社会の一因かもしれませんが、平和共存主義の日本人は本来、能力は十分認めながら、賃金は日本型の平等志向で来ており(能力は長期的に昇進などで処遇する)、それが社会の安定のベースでもあったようです。

 企業の国際化が進む今日、欧米型の「結果による賃金(Payment by result)」と日本型の「平等志向」をどう融合するのか使い分けるのか、日本企業の人事賃金担当者は、これから苦労しそうな気がします。


脱化石燃料の夢:25%削減のその先

2009年10月21日 20時40分15秒 | 科学技術
脱化石燃料の夢:25%削減のその先
 鳩山首相の「2020年までに、1990年比で25パーセントの温室効果ガス排出量削減を目指す」という発言は、世界的に大きな反響を呼んでいます。

 確かに、日本のような、世界でもトップクラスの省エネ先進国が、さらに大幅な削減を達成することは容易ではないでしょう。もちろん、主要排出国の参加を前提にという条件での発言です。
  この条件は重要で、全世界に協力を訴えることの意味は大きいと思います。日本だけでは出来ないことでも、それをやろうと、世界に働きかけるイニシアティブを「日本」がとったということは今まであまりないことでした。

 ところでこのイニシアティブには、多様な意味が与えられそうに思います。
地球温暖化の防止で地球環境を保全しようという京都議定書の発展の中でというのが最も一般的な意味でしょうが、そのほかにも重要な意味を持ちえましょう。

 化石燃料はいずれ枯渇するといわれています。可採埋蔵量はまだまだ増加するという見方もあります。石炭の有効活用も、メタンハイドレートの開発も言われます。しかし、100年単位で見れば、地球が何億年か何百万年か掛けて蓄積したものを極めて短期に使い尽くすことに変わりはありません。つまりエネルギー源確保の問題です。

 しかも、こうした資源の賦存状況は地理的に偏りがあります。これが富や国力を作り、国際関係のあり方に、国際的な力関係から戦争まで、大きな影響を与えているのが現状でしょう。

 もともと地球上のエネルギーはほとんどが太陽から無償で与えられる太陽エネルギーに由来するものです。年々与えられる巨大な太陽エネルギーのごく一部 を有効活用すれば、高度な文明を構築した人類も、本来の地球の生態系も適切に共存していけるはずです。
そしてそれを可能に出来るのは科学技術でしょう。

 2020年の80年先、22世紀までには、「人類の文明を支えるエネルギーは、脱化石燃料を目指す」といったような、更なる長期目標が人類に共有できれば、その目標を人類全体がシェアすることによって、人類の意識も、そして世界も大きく変わるのではないでしょうか。

 日本がこのイニシアティブをとって、その技術力で、着々実績を上げていく時、日本は世界で最も注目される国、世界で最も必要とされる国となるでしょう。


円高の影響は輸出入産業だけ?

2009年10月16日 20時46分16秒 | 経済
円高の影響は輸出入産業だけ?
 株式や経済に関連した番組や記事で、為替レートの予測がよくやられています。しかし本音で言って、為替レートの予測ほど難しいものはないでしょう。

 先ごろも担当大臣の一言で円高になって、大変でしたが、今の世の中では、為替レートの変化を大きくして、それでキャピタルゲインを得ようという人たちが、世界中で、四六時中手ぐすね引いているのですから、大変です。

 為替レートが実体経済に沿って動くようなまともの世界なら別として、国家戦略レベルから、巨大資本を持ったギャンブラーまでが、為替レートを動かして「何かしよう」と鵜の目鷹の目で狙っている世の中ですから、油断も隙もありません。

 ところで、このところの円高の動きの中で、「日本の輸出企業は1円の円高で、いくらいくらの減益になる」といった解説と、「日本の輸出産業も結構このところ円高抵抗力をつけてきているので、何とか太刀打ちできるのではないか」といった解説など、入り乱れて聞こえてきます。

 多分どちらも本当なのでしょう。もちろん「こういう条件の下で」という説明が必要なのですが、聞くほうのわれわれも、条件の説明などは忘れて、結果だけ覚えているのかもしれません。

 確かに、このところ日本が輸出するような製品は、まさに日本の独自技術で、非価格競争力が強いものが増えてきているように思います。ハイブリッドカーや水処理技術などなどで典型的に見られる様ですが、これは日本企業が、本当に真面目に努力して生み出した素晴らしい成果だと思います。

 それなら、日本は円高に強くなったんだと安心できるかというと、実はそうではないようです。
 日本の産業の中には、まだまだ政府の政策如何によって存亡が決まる部分や、のど元までのコストアップで、利益の出ない産業もたくさんあります。

 そして、円高というのは、輸出入をしている産業・企業だけが影響を受けるのもではなくて、いわゆる「マルドメ(まるきりドメスティック)」産業も、あらゆる形で、まさに水が浸透するように円高による「国際的なコストアップ」の影響を受けるのです。1パーセントの円高は、日本の凡ての企業にとって、国内コストの1パーセントの上昇を意味します。

 毎日まいにち、コストダウンに必死の日本企業です。為替レートに敏感であること、特に、不用意な円高の影響の恐ろしさを熟知すること(中国の人民元切上げ要求への対応を見てください)、そしてその上で、いっそうの技術革新、体力強化が必要な日本経済です。


「失われた10年」と労使関係

2009年10月13日 15時48分08秒 | 労働
「失われた10年」と労使関係
 前回触れた世界の注目を集めた日本の労使関係はその後どうなったのでしょうか。

 プラザ合意後も、バブルの時期を通じてこの労使関係は労使の努力によって維持されたようです。バブルの時期、地価急騰で、サラリーマンが、子供の代までかからなければ返済できないような住宅ローン(二世代ローンなどいわれた)を背負わされた時期も、労使は「実体経済」に見合った賃上げを守り、土地バブルを賃金インフレに持ち込むようなことはしませんでした。

 そしてバブルが崩壊(1991年)し、プラザ合意による円高がダイレクトに日本経済を覆いつくして、国際比較での日本の物価・賃金が(国内インフレはなかったにも拘らず)世界一高いことが明らかになりました。
 この世界一高くなった日本の物価・賃金を国際水準まで下げる過程が「デフレ不況 」、つまり「失われた10年」で、日本の労使は、賃金をはじめあらゆるコストの引き下げを余儀なくされ、結果いわゆる春闘も消滅し、賃金引下げと雇用の削減、非正規社員の多用に至りました。

 日本の労働組合のリーダたちはこんな時期に無理して賃上げをしたら、結果はどうなるか(多分深刻なすタグフレーションでしょう)を熟知していました。賃下げを受け入れ、雇用構造の変化も容認しました。それでも日本経済の賃金・物価高を国際水準まで下げるのに、21世紀初頭まで10年もかかったわけです。
 
 この失われた10年は日本の産業に、雇用に、社会に大きな傷跡を残したことは皆様ご承知の通りですが、労使関係にも、明らかに大きく影を落としています。

 労使はコスト削減に追いまくられ、その結果である10年に亘る春闘の欠落 (労使間での真剣な論争や交渉の実質的休止)は、その間に育つべき、次代の日本の労使関係を担う後継者の育成、つまり労使関係におけるOJT機能に空白期間をもたらしました。
 経営者にとっては雇用削減問題の労使関係の中での「重さ」についての認識、労働サイドでは如何に経営者と交渉するかの戦略戦術、その他、経営の目的や働くことの意味などについての「体験して覚える」経験の希薄化、などなどです。

 折しも、欧米から怒涛のごとく流入したマネー資本主義、カネが凡ての思想、さらに経団連との合併による日経連の消滅とその労使関係のノーハウの散逸などは悔やまれます。

 連合創立20周年を迎えました。かつての優れた労使関係の時代を体験したリーダーたちの手によって、改めて世界にすぐれた日本的労使関係の再構築を望むや切です。


日本の経営者は何をしてきたか

2009年10月09日 21時59分03秒 | 経営
日本の経営者は何をしてきたか
 前回、労働運動について書いたので、経営サイドについても書いておきたいと思います。
 昨年8月、「経営者とは何か(その1:経営者革命)」 で書かせていただきましたが、経営者というのは本来、労働と資本の対立を止揚するために、企業という「生産のためのプロジェクト」のプロジェクト・マネジャーとして選任された者であるべきでしょう。

 戦後日本の経営者の多くは、その役割を立派に果たしたのではないかと思います。日本の代表的な経営者団体は「日本経営者団体連盟」通称「日経連」でした。2002年経団連と合併して日本経団連となり、経営者団体の役割を終えたようです。

 日経連の初代の会長、桜田武は「桜田武論集」の第1部の冒頭のタイトルで「公器を預かる―私の経営理念―」と述べています。企業は公器である、経営者はそれを預かって、公のために尽くす、といいう姿勢が明らかです。
 三菱グループの綱領の第1項も「所期奉公」で、企業活動は公のためと明記しています。

 日経連は、資本を代弁して労働運動の抑圧し、賃金上昇を押さえ込むための組織といったイメージが強かったのですが、どうも話を面白くするためのマスコミの演出のようで、リーダーたちは「社会正義のために」「日本経済のパフォーマンスをベストにするために」活動しているという意識が極めて強かったようです。

 戦後(1954)人権争議といわれた「近江絹糸争議」では、桜田武は「これは人権問題で労働問題ではない」といってあえて関与しなかったし、桜田武腹心で当時専務理事の1人であった鹿内信隆は近江絹糸の夏川社長に「貴方は(労働側に対して)折れるべきだ」と説得に行っているのです(ジョン・クランプ著『日経連』桜井書店2006)。

 第1次オイルショックの翌年(1974)消費者物価上昇が22パーセントになり、賃上げ率が33パーセントになった時、日経連はその歴史の中で1度だけ賃上げのガイドラインを具体的な数字で発表し「来年は15パーセント以下、再来年は1桁」と述べ、それをやらなければ、「日本経済は賃金コストプッシュインフレ で沈没する」と大キャンペーンを張っています。

 当時の経団連会長、土光敏夫は経団連の会合に桜田武を招き、会員への周知に協力しています。また当時の副総理・経済企画庁長官の福田赳夫は、政府は来年の物価上昇率を15パーセント以下に抑えるといって、全面支援を打ち出しています。

 結果的にこのキャンペーンは労働側の賢明な対応もあって(前回参照)、翌年は13パーセント翌々年は8パーセントの賃上げとなって、日本経済はインフレの抑制に成功し、世界中が日本の労使関係に注目することになっています。

 経営者は日本企業、日本経済を、いかにしてベストのパフォーマンスに持っていくかを考え、労働サイドも、目的を共有すれば互いに協力するという労使のあるべき姿を実証して見せたというのが第1次オイルショックから第2次オイルショックにかけての日本労使だったのではないでしょうか。

 その結果実現した『ジャパンアズナンバーワン』(エズラ・ボーゲル著)の時代とその後については「デフレの原因(その2 )」「 為替レートとゴルフのハンディ」などをご参照ください。


戦後日本の労働運動

2009年10月06日 11時49分10秒 | 労働
戦後日本の労働運動
 大上段に振りかぶって、何かハードカバーの本のようなタイトルですが、わずか1頁でのレビューです。

 占領軍の「日本民主化」の政策の中で生まれた戦後の労働組合は、左翼思想のリーダーに引きずられたものが多く、仕事の現場での生産管理から社会主義、共産主義政権樹立を目指すことがカッコイイ(国民のため)と思っていたものが結構多かったようです。
 これも日本人の島国的習性で外来文化(左翼思想)礼賛の結果だったのでしょう。本来の日本人には合わない考え方だったと思います。

 その後、東西対立の激化は、占領軍の左翼許容の政策を変えましたし、国内でも、左翼思想に疑問を持ったり、不信感を持ったりする人も増えました。
 本来争いを好まない 伝統的な日本人の体質は労働運動の基盤にも流れていて、日本経済の経済成長実現と共に、「豊かさの実現のためには何が大事か」を理解する「生産性向上のためには労使が協力する」という考え方を持つ労働組合のリーダーが主流になる時代を迎えます。

 世界政治の舞台では、共産主義国が誕生して崩壊するまでに七十余年かかりましたが、日本では1960年代に入る頃には、左翼主義的労働運動は不人気になって主流から外れ、日本の労働運動は、多少大げさに言えば、縄文時代からの日本の伝統に根ざす「争わずに、共存して共益を果たす」社会を作る方向に向かうことになったようです。

 1973年の第1次オイルショックで、日本経済が突然 マイナス成長(1974年)になったことをきっかけに、それまで「生産活動では協力し、労使の分配では対立する」といってきた労働運動の主張の中に「経済が成長しなければ分配の増加もない」という、いわゆる「経済整合性論」が生まれ、日本の労使関係は、国際的にも先進的な成熟段階に達することになりました。

 第1次オイルショックの経験を生かして第2次オイルショックを無事乗り切ることが出来たのは、政府の政策もさることながら、労使の「日本経済社会をどうするか」という真摯な話し合いの結果だったことは、当時の労使関係に関わりをもたれた方々の中にはご承知の方が多いと思います。

 その後プラザ合意とバブル崩壊での「失われた10年」を経て、労使の話し合いの風土も多少希薄化したようにも見えますが、1万年以上の伝統に根ざす日本人の形質(「和」によって共生と共益を実現する)は失われうことなく、その基底に確りと生きているのは間違いないところでしょう。
 日本の労使は、日本の再生という共通の目標に向かって、真摯に話し合えるベースを持っているように思います。


一味違う日本の労使関係

2009年10月04日 21時24分04秒 | 労働
一味違う日本の労使関係
 失われた10年以来、世界的にも異常なデフレ不況の長期継続の中で、労使間でまともな春闘論議をするようなことが少なくなってしまいました。
そのせいか、それまで世界的に最も成熟した労使関係として、世界から注目されていた日本の労使が、あまり、本格的な対話をしなくなったのは大変に残念です。

 1980年代までは日本の労使はいつも真剣に議論すると同時に、雇用の確保には、共に本当に熱心でした。1985年のプラザ合意で、二年後には円が対ドルで2倍に切り上げられ、多くの製造業が急激なコスト高に耐えられず、アジア諸国に急速に展開を始めた時期にも、企業はいろいろと頭を絞り、雇用の確保に一生懸命努力しました。

 その名残は今でも残っていますが、鉄鋼会社や電力会社が温排水を利用してウナギやアワビの養殖をやるとか、製紙会社がパルプの搾りかすの山でミミズの養殖をやるとか、アジアに移転してしまった工場のあとを利用して生け簀を作って、テラピアの養殖をするとか、それが必ずしもペイしなくても、少しでも付加価値を作り出すことが出来る以上、雇用の確保にはある程度の貢献が出来るという意味での真剣な取り組みでした。

 当時の半分真面目な笑い話に、鉄鋼会社に就職した友人に、「それで今何の担当?」と聞いたら、「ウナギの成育を早める研究です」と聞いてビックリ、などというのがありました。
 労働組合のほうも、そうした雇用確保策に極めて協力的で、円高があれほど深刻にならなければ、それで円高不況のいっ時はしのぐことが出来たかもしれません。

 現実には、円高の進行が極端に過ぎ、そうした対策では、とてもしのぎきれなかったというのが現実ですが(為替レートとゴルフのハンディ 参照)、雇用対策についての労使の息はピッタリとあっていたということだったと思います。

 そういう労使の相互理解、信頼関係が生まれたのには、それなりの理由があってのことだったと思います。
 次回以降、その辺りを少し見て行きたいと思います。