tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

企業の目的

2007年08月28日 10時30分40秒 | 経営

企業の目的

 このブログを見ていただく方も、ほとんどは企業で仕事をしておられる方だと思います。そんなわけで、改めて、企業の目的は何か、などといった古くて新しい問題を持ち出してみました。

 企業の経営管理者のいる席で、この問題を持ち出すと、たいてい7~8割の方は「利益」と答えます。そのほか顧客満足とか、日本人の場合には社会貢献といった答えも聞かれますが、アジアも含め外国人経営管理者の場合は「利益」という答えが圧倒的に多いような気がしています。

 これは最近のアメリカ流(昔はアメリカでも違っていたようです)の経営のあり方やアメリカ流経営学の影響が強いせいでしょう。一方日本では、昔から多くの社是社訓の中に見られるように「広く社会のために役立つ」ことを目的とする考え方が基本的にあります。

 よく考えてみれば、「利益が目的」といっても、利益を出せば会社が発展できるし、配当を増やせば株主がより良い生活を出来るわけで、「なぜ利益が目的なの」「なぜ会社を発展させるの」「なぜ増配するの」・・・、と「なぜ」を5回繰り返せば、利益を出すことの先にさらに本当の目的がある事が見えてきます。

 現実の世界では、企業は、顧客に満足や便利さを提供したり、雇用を創出したり、雇用した人に所得を配分したり、技術を開発したり、投資によって途上国の経済を発展させたり、関連する企業と協力して共に発展したり、税金や社会保険料を支払って国や地方自治体を支えたり、いろいろなことをしています。

 企業というものは人間が考え出した大変優れたシステムで、人間と同じように、いろいろなことが出来るのです。良いことも悪いことも出来ます。悪いことも出来るというのは別にしても、「企業は多目的な存在」「多様な目的を果たすことが出来る存在」ということが出来るでしょう。

 そうした優れた機能を持つ企業の目的を、単純に「利益の追求」などとひとつの目的だけ絞って矮小化して考えてしまうのはあまりに勿体ない事だと思います。


地価問題再び

2007年08月25日 14時06分37秒 | 経済

地価問題再び

 東京都北多摩郡国分寺町に住み始めたのが昭和38年ですが、その頃は近所は空き地ばかりでした。翌39年には国分寺市になり、その頃から急速に家が建ち人口が増えましたが、それから40余年、平成19年の今、わが町は世代交代の時期にあります。

 この十年来空き家が増え、住む人も替わる家が増えました。古い家は取り壊され、更地になるところもよくあります。旧農家などの広さのあるところでは、瀟洒な新築住宅が何軒も建ち、子供が道路で遊ぶ町に変身するところもあります。少子化の中で、なんとなく明るい感じがします。

 そうした中で、今年は地価が下げ止まりから上昇へ転じたことが報道され、新聞の折り込み広告の土地住宅価格も、一時よりなんとなく高くなり、近所でもぽつぽつ更地のままのところが見られるようになりました。そうしたところは聞いてみると、不動産業者が買ったところが多いようです。

 杞憂であれば結構ですが、最近の地価動向、REITについての報道などもあわせてみると、何かかつての地価神話のはしりの時期に似た感じを受けます。

 戦後日本の地価神話は、昭和30年代の後半あたりから始まり、平成3年のバブル崩壊で終わったのですが、その中で、日本人は、土地のような人間の基本的な生活基盤であるものを「投機」の対象にすることの愚かさを思い知ったはずでした。

 もし今また、土地は買っておけば値上がりして儲かるものといった土地神話が復活するようなことがあれば、日本人は、経験からあまりにも学ばなかったということになりましょう。改めて、土地を投機の対象にしないような政策(かつて十分論議されています)の明確化が必要でしょう。


株価急落

2007年08月18日 14時09分57秒 | 経済

株価急落

 アメリカの住宅金融会社の低所得者向けの住宅ローン、いわゆるサブプライムローンについての危機感から世界の株式市況が急落しました。アメリカの住宅ローン10兆ドルのうち、サブプライムローンは13パーセント、1.3兆ドルほどで、その十数パーセントが不良債権化しているといわれているようで、アメリカの金融全体の規模からいえば、そんなに大きな規模ではないともいわれます。それなのに、何でこの問題が世界的な株の暴落をもたらすのでしょうか。株式市況は群集心理のようなものなどといわれますが、どうもそれだけではなさそうです。

 8月17日には欧米市場は反発しているようですが、日本はもう18日の土曜日なっていて取引はありません。さて月曜日にはどう動くだろうかといった状態です。それはそうとして、株価の下落はもちろん金融界だけの問題ではありません。一部には実体経済にも深刻な影響が出る可能性もあるという意見もあります。

 ところで、アメリカのサブプライムローン問題が世界的な株価急落を引き起こした原因を考えていきますと、ヨーロッパの金融機関も日本の金融機関も実損をこうむるなど、たんなんる心理的な影響は別として、世界の金融機関に損害が波及しています。この問題をたどっていきますと、金融のテクニックの問題として2つの問題に行き当たります。そのひとつは「債権の証券化」、そしてもう1つは「レバレッジの活用」です。

 アメリカの住宅金融機関は、サブプライムローンという債権を証券化して世界の金融機関や投資家に売りさばいています。当然あまり優良な債権ではありませんから、いわゆるハイリスク・ハイリターン型の証券になります。証券化して売りさばき、それを世界中の金融機関や投資家が買えば、アメリカの住宅金融機関のリスクは世界に分散されます。そしてこれは、さらに種々のファンドなどに組み入れられるのでしょう。リスクの分散という面からいえば、それはよいのかもしれませんが、リスクの拡散でもあります。

 そして、正確にはわかりませんが、こうした取引には、いろいろな場でレバレッジがかかるでしょう。レバレッジとは、現物取引をベースしてその上に載る信用取引部分です。単純化すれば、現物取引に対する信用取引の割合がレバレッジ(梃子)といえるでしょう。ヘッジファンドなどは、このレバレッジを活用して、出資者に大きな配当をしようとするものです。信用取引部分が大きくなればなるほど、儲かるときは儲けにも梃子の原理が働いて大きくなり結構ですが、損失の時はレバレッジの倍率に比例して損失が巨大になります。

 アメリカ国内におけるサブプライムローンの残高が、証券化され、(多分)レバレッジをかけられて、世界中に拡大され拡散している中で、そのベースになっている部分で焦げ付きが起こったわけです。当然そのマイナスの影響は世界の金融機関や投資家に及びます。

 証券化という技術は最近REIT(不動産の証券化)などでも活用されていますし、信用取引などは昔は政府による規制もありましたが、今は多く民間に任されているようです。金融手法はどんどん進化しているようですが、金融というのはあくまで潤滑油です。潤滑油がなければ機械(実体経済)は動きませんが、潤滑油だけでは何も出来ませんし、潤滑油の使い方や使用量を間違うと機械の運転に支障が生じます。機械の効率を最大限に発揮させるような潤滑油の使い方(金融制度・金融政策)はなかなかに難しいようです。


夏季休暇考

2007年08月13日 11時32分44秒 | 労働

夏季休暇考

 お盆の週より一足早く、涼しいところで何日か過ごしてきました。おかげさまで高速道路も渋滞に巻き込まれることもなく、快適に走れて楽しい旅行でした。

 行った先は志賀高原の石の湯というところで、この時期、毎年源氏ボタルが乱舞するというので是非見ておこうと思ったからです。このプランは大成功で、涼しくさわやかな宵闇の中で、たくさんの蛍が乱舞し、時に手元まで飛んでくる様子に、思わず「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ、ほー、ほー蛍来い」などと口ずさんでいました。

 さらに蛍におまけがついて、牽牛、織女、天の川、白鳥座、さそり座、いて座などが綺麗に見える夜空に、ペルセウス座流星群のはしりで流星が飛び、火球と言えるほど大きな流星が光の尾を引いて流れた一発もありました。

 ところで、夏季休暇については、せいぜい1週間か10日程度しかとらない日本に対し、「欧米では4週間も5週間もまとめてとる、そして十分リフレッシュして、秋からの仕事に備える、日本人も、もっとまとめてドンと休暇が取れるようにならなければ、有給休暇の消化率も上がらない・・・。」といったことがいわれます。確かにそうかもしれませんが、休暇はまとめてとればいいというものでもないと思うのです。

 ずっと以前、国際労働機構で労働時間や休暇の問題で会議があった時、スイスの代表が、「わが国では四季の変化が素晴らしいので、休暇のとり方も、四季それぞれに分散してとる場合が多い。このほうが、8月の仕事が滞るといった事もなく、わが国にとっては合理的だと思う。」という発言をしたのを感心しながら聞いたのを覚えています。

 日本人は、旅行にいくとこまめに動いていろいろな所を見てこないと気がすまないようです。欧米人は、プールサイドで1日泳いだり寝そべったりして過ごしていたりします。ここでも「日本人もああいう風にのんびり出来るようにならないといけない。」などということがよく言われます。

 明治以来、欧米に憧れてきた日本ですが、日本人には日本人なりの歴史や文化、思考方法や生活様式、人間関係についての考え方があります。これらは時に欧米流と異なることも多いでしょう。それはそれでいいのではないでしょうか。

 経営システムや労働に関する政府の政策やコンサルタント業の指導も、欧米スタンダードにとらわれたものが少なくありません。もう少し日本流のやり方を客観的な目でとらえられるような日本人にならなければいけないような気がしますがいかがでしょうか。

 


たまむし(玉虫)

2007年08月06日 11時02分40秒 | 環境

玉虫(タマムシ) 

法隆寺の国宝玉虫厨子でも有名な『やまとたまむし』の羽は本当に美しいですね。昔から日本人は、玉虫の羽の美しさに魅了されてきたのでしょう。私自身、子供の頃から『いつか玉虫が採れるといいな』と思っていたことを覚えています。

 戦中から戦後に疎開していた家の近くの川原のクヌギ林には、カブトムシやクワガタはたくさんいましたが、玉虫となると、一度だけ友達の広い屋敷の中で飛んでいるのを見つけて一生懸命追いかけて、結局逃げられてしまったことがあっただけで、その後は全く縁がありませんでした。

 その玉虫が、東京国分寺の我が家のベランダで見つかったのです。昨年9月の17日のことです。我が家のベランダは周囲が高さ1メートルほどの手すりつきの壁になっていて、昆虫にとっては罠になっているのかもしれません。夏、暑い日が続くと、死んで乾燥してしまったカナブンが何匹も転がっているのです。そして、その中にきらっと光る玉虫の死骸があったのです。

 「国分寺辺りでも玉虫がいるのか」というのが最初の驚きでした。死んでしまった玉虫ですが、美しさはやはり玉虫です。色素によるのではない、光の干渉による構造色、見る角度によって色が変わるから、「玉虫色」というと、時にあまり良くない意味にも使われたりしますが、やっぱり玉虫は素晴らしく美しい昆虫です。

 早速シリカゲルを入れ、その上に綿を敷いたプラスチックの箱に入れて飾り棚に飾りした。なんだか長年の念願がかなったような気がして、うきうきしていたのを思い出します。

 そして、つい先日、7月末、暑い日の午後、また、玉虫をベランダで見つけたのです。去年のより少し大きい。多分メスなのでしょうか。もちろん死んでいましたが、早速拾い上げて、昨年のプラスチックの箱に並べて入れました。

 「待ちぼうけ」の歌ではありませんが、こちらはただ待っているだけです。それでも、今年は7月末に早くも見つかったということは、また飛んできてくれるかもしれないと思っています。三多摩も自然環境が良くなってきているのでしょうか。そうであれば、それもとても嬉しいことです。

 あまりきれいなので、写真を載せておきます。