平成という時代:リーマンショックの前と後、2
「プラザ合意」でアメリカの為替政策にまんまとしてやられた日本経済ですが、その円高によるデフレ不況に必死のコストダウンで対応し、10年余を経て何とか1ドル:120~130円の円レートでも何とかやれるまでになりました。然し事はそれでは終わりませんでした。
2008年、リーマンショックが起こります。「 グリーンスパン・マジック」でも書きましたが、本来返済に問題のあるサブプライムローン(アメリカの低所得層への住宅ローン)を政府関係機関などが証券化し、アメリカの格付け機関がAAAのランクをつけて、世界中に売り捌き、挙句の果てに大量の焦げ付きで、価格は暴落、世界中の銀行のB/Sに大穴を空けることになったのです。
リーマンブラザーズの倒産はその象徴的なものでしたので「 リーマンショック」という言葉が生まれました。皆様やお身内の中にも、その証券を組み込んだ外貨建ての投信などで折角のへそくりが大きく目減りさせた経験をお持ちの方もおられると思います。
これは世界金融恐慌に発展するかもしれないと恐れたアメリカではFRB議長のバーナンキが自らの信じる理論に従って「ゼロ金利政策」を軸に超金融緩和とインフレターゲット(2%)政策を取りました。
その結果起きたのが、ドルの暴落です。円レートで見ますと$1=¥120が2011年には79円となり、日本は改めて、急激で大幅な円高に苦しむことになりました。
これが平成不況の後半、リーマンショック後の日本経済の異常な低迷をもたらしています。
プラザ合意による円高を漸く自力で乗り切った日本経済・日本企業も、アメリカのゼロ金利導入による円高には、もう対応する力はありませんでした。企業は正社員を削減、非正規に置き換え、人を育てる教育訓練費まで削って、当面のサバイバルに賭けることになりました。
1次災害からの復旧が済まないうちに2次災害が来たような状況の中で、対抗する気力も術も殆ど失い海外脱出に賭ける日本企業の状態は2013年まで続きます。
その中で、漸くこの不況に本質を理解した日銀は、従来の円高容認の姿勢を変え始め、 白川総裁の下、アメリカの金融緩和に倣って、金融緩和、インフレターゲット(1%)を打ち出しています。円高容認・デフレ容認の日銀の大きな変化でした。
そして結果は意外な展開になりました。白川総裁が任期を終え、伝統的な日銀とは全く異なるマネー資本主義を主軸に置く 黒田総裁が就任、民主党から政権をもぎ取った安倍総理とのコンビで、バーナンキ流の手法、異次元金融緩和で円レートを引き下げる政策、いわゆる「黒田バズーカ」を立て続けに二発発射、円レートを$1=¥120に戻したのです。
勿論インフレターゲットもアメリカと同じ2%に設定しました。
2013年から2014年にかけての異次元金融緩和で円レートが120円になるとともに、企業には円安の恩恵が一度に訪れることになります。
円レート80円→120円でドル換算の日本の賃金は3分の2の水準に下がり、コスト高は解消です。輸出企業には円安差益がどっと入ってきます。
日本経済は忽ちにして競争力を得て立ち直り、安倍総理は「アベノミクスの成果」と胸を張ることになります。
ところでこれで、日本経済はめでたしめでたしになったのでしょうか。
リーマンショック後の異常な不況、そしてそれからの脱出の過程は、それからの日本経済にいろいろな影響を残したように感じられます。(以下次回)
「プラザ合意」でアメリカの為替政策にまんまとしてやられた日本経済ですが、その円高によるデフレ不況に必死のコストダウンで対応し、10年余を経て何とか1ドル:120~130円の円レートでも何とかやれるまでになりました。然し事はそれでは終わりませんでした。
2008年、リーマンショックが起こります。「 グリーンスパン・マジック」でも書きましたが、本来返済に問題のあるサブプライムローン(アメリカの低所得層への住宅ローン)を政府関係機関などが証券化し、アメリカの格付け機関がAAAのランクをつけて、世界中に売り捌き、挙句の果てに大量の焦げ付きで、価格は暴落、世界中の銀行のB/Sに大穴を空けることになったのです。
リーマンブラザーズの倒産はその象徴的なものでしたので「 リーマンショック」という言葉が生まれました。皆様やお身内の中にも、その証券を組み込んだ外貨建ての投信などで折角のへそくりが大きく目減りさせた経験をお持ちの方もおられると思います。
これは世界金融恐慌に発展するかもしれないと恐れたアメリカではFRB議長のバーナンキが自らの信じる理論に従って「ゼロ金利政策」を軸に超金融緩和とインフレターゲット(2%)政策を取りました。
その結果起きたのが、ドルの暴落です。円レートで見ますと$1=¥120が2011年には79円となり、日本は改めて、急激で大幅な円高に苦しむことになりました。
これが平成不況の後半、リーマンショック後の日本経済の異常な低迷をもたらしています。
プラザ合意による円高を漸く自力で乗り切った日本経済・日本企業も、アメリカのゼロ金利導入による円高には、もう対応する力はありませんでした。企業は正社員を削減、非正規に置き換え、人を育てる教育訓練費まで削って、当面のサバイバルに賭けることになりました。
1次災害からの復旧が済まないうちに2次災害が来たような状況の中で、対抗する気力も術も殆ど失い海外脱出に賭ける日本企業の状態は2013年まで続きます。
その中で、漸くこの不況に本質を理解した日銀は、従来の円高容認の姿勢を変え始め、 白川総裁の下、アメリカの金融緩和に倣って、金融緩和、インフレターゲット(1%)を打ち出しています。円高容認・デフレ容認の日銀の大きな変化でした。
そして結果は意外な展開になりました。白川総裁が任期を終え、伝統的な日銀とは全く異なるマネー資本主義を主軸に置く 黒田総裁が就任、民主党から政権をもぎ取った安倍総理とのコンビで、バーナンキ流の手法、異次元金融緩和で円レートを引き下げる政策、いわゆる「黒田バズーカ」を立て続けに二発発射、円レートを$1=¥120に戻したのです。
勿論インフレターゲットもアメリカと同じ2%に設定しました。
2013年から2014年にかけての異次元金融緩和で円レートが120円になるとともに、企業には円安の恩恵が一度に訪れることになります。
円レート80円→120円でドル換算の日本の賃金は3分の2の水準に下がり、コスト高は解消です。輸出企業には円安差益がどっと入ってきます。
日本経済は忽ちにして競争力を得て立ち直り、安倍総理は「アベノミクスの成果」と胸を張ることになります。
ところでこれで、日本経済はめでたしめでたしになったのでしょうか。
リーマンショック後の異常な不況、そしてそれからの脱出の過程は、それからの日本経済にいろいろな影響を残したように感じられます。(以下次回)