tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

前3回の物価論議の補論:景気の現状認識

2013年05月31日 10時36分56秒 | 経済
前3回の物価論議の補論:景気の現状認識
 インフレにもいろいろな種類があり、インフレの起こり方も、お国柄によっていろいろと違うということを論じてきました。政府、日銀のインフレ・ターゲット自体が、輸入インフレをどう考えるとか、消費増税による物価動向をどう勘定するかといった点の正確な説明がないので、後から議論が混乱する可能性を残していることも気になります。

 OECDが今年の日本のインフレ率は0.5パーセントという予測を出したようですが、比較的よく日本の現状を見ているのではないかと思います。

 ところで、こうした物価論議の背景にある、日本の景気の現状というのはどういうことになるのでしょうか。その辺りを少し考えておきたいと思います。

 アベノミクスという言葉が到る所に出てきますが、今回の円安転換の手段は、エコノミクスという言葉になぞらえるような経済政策と言えるものだったのでしょうか。
 確かに3本目の矢の内容は経済政策と言ってもいいものでしょう。しかしこれらは、報道はされていますが、実施の段階には入っていません。トップの経済外交という外遊が始まった程度です。

 現状までの動きは、実体経済論から言えば、経済政策というより、いわば「安倍・黒mix」で安倍さんと黒田さんが一緒(mix)になって、国際投機資本を脅かし、画期的な円安を実現したという心理作戦が成功したというマネーゲームの問題でしょう。

 ですから、まず動いているのは株価で、それも国際投機資本の思惑次第、急上昇の後は1~2円の円高、円安に翻弄されて乱高下を繰り返すといった日々が続いているのです。

 私自身は、円安は大変結構、それによる株価上昇も大変結構で、そのおかげで発生したウィンドフォール・プロフィットを、日本の産業労使は、安易な賃上げや消費拡大などに無駄遣いして、インフレを起こして終りなどということではなく、必ずや、日本経済の将来の発展のために有効に活用する知恵を持っていると先行きを楽観しています。

 最近の専門誌紙の報道などを見ても、日本の技術革新は、基礎材料から応用技術まで、急速に元気づいて活動が活発化し、その成果も着々現れる兆候を示しているように思われます。徐々ながら、雇用の改善もみられます。円安、株価上昇によって発生した企業の資金的余裕が、それを経済的にも心理的にも支えているのは明らかでしょう。

 アベノミクスはそうした企業の自主的な動きを一層活発化するように環境を整備し、活動を支援するものであってほしいと思っています。


物価論議は実証分析をベースに その3

2013年05月30日 11時26分40秒 | 経済
物価論議は実証分析をベースに その3
 前々回、前回の分析から今日の状態を見ると、どういうことになっているのでしょうか。先ずは金融緩和の効果です。アメリカ並みの金融緩和をしたからアメリカ並みの2パーセントのインフレ・ターゲットが現実となるとは言えないようです。

 現実の動きで見れば、金融緩和の効果はほぼ2割の円安($1=¥80→$1=¥100)に現れました。しかしまだ消費者物価(購買力平価)の動向で見れば円高解消ではなく(正確な数字はありませんが)$1=¥110ぐらいでないとデフレ圧力は消えないでしょう。

 金融が緩んだから物価が上がるのではなく、金融緩和が円安をもたらし、円安によってデフレ圧力が弱まるのです。あと10円の円安で、インフレへのスタートラインという所でしょうか。$1=¥120になれば、放っておいても、外国より安い日本の物価は上がるかもしれません。

 しかし、日本経済自体の力で毎年1~2パーセントのインフレにするためには、それだけの賃金コストプッシュが必要になります。これが実現されるためには、経済成長率(厳密には実質国民経済生産性の向上)プラス1~2パーセントの賃上げが必要です。

 今年、連合の要求は「定昇維持」でしたが、ボーナスは満額回答も多く、その分平均賃金は上がるでしょう。しかし3月時点ではまだ賃金は前年同期比マイナスですから、今すぐインフレ到来とはいきそうにありません。
 経済成長は多分プラスになるでしょうから、2パーセントのインフレ・ターゲット達成は今年度はおそらく困難で、今年の最低賃金審議や来年の春闘の結果待ちでしょう。

 問題は、来年度以降です。連合も、今期の最低賃金の大幅アップを厚労省に働きかけたようです。来年は、それなりの賃上げ要求をしてくるものと思われます。
 企業としても、雇用増、非正規労働者の正規化などの労働条件改善は考えるでしょう。従業員の教育訓練の再建も必要で、これらは人件費としてトスとアップになります。

 そうした結果として、経済成長を上回る賃金(厳密には人件費総額)上昇があれば、継続的なインフレが起きることになります。
 現状でも、主要国は大体1~3パーセントのインフレですから、その時日本は「普通の国」になるということでしょう。
 
 その時点で初めて、日本独自の問題、例えば、巨大な国債発行残高などへの具体的な処方箋の検討といった問題が論議可能になるのではないでしょうか。


物価論議は実証分析をベースに その2

2013年05月29日 08時52分29秒 | 経済
物価論議は実証分析をベースに その2
 ヘリコプターマネーなどと本気で言う学者もいます。ヘリコプターからカネをばらまけばインフレになるという考え方です。通貨を増やせば物価が上がる、まさに単純な貨幣数量説そのものを極端な形で強調したという事でしょう。

 今回もそうした主張が結構されているように思います。日銀が国債などをどんどん買い上げて、市中にカネを流せば物価が上がって、世界に公約した2パーセントのインフレ・ターゲットが実現するといった主張です。

 ところが、今の状態を見れば、日経平均は確かに上がりました、デパートで高級品も売れているようです。地価が下げ止まった所もあるようです。しかし消費者物価は下がり続けています。

 かつて、前川レポートで内需拡大、金融緩和が提唱され、その結果、日本経済がバブルになった時も、株価は勿論、土地・住宅、書画骨董、ゴルフ会員権などは大変な値上がりでしたが、消費者物価上昇率は年平均僅か1.5パーセント です(その間マネーサプライ[M2+CD]は年率9.2%増加)。
 いくらカネをバラ撒いても、消費者物価は殆ど上がっていないのですから貨幣数量説は成り立たなかったのです。現場を知らないと、経済理論は無意味です。

 ではなぜ日本の物価は上がらなかったのでしょうか。理由は簡単で、賃金上昇率が低かったからです。当時、労働組合は第一次オイルショック後の狂乱物価に懲りて、経済成長(生産性向上)に整合した賃金上昇 経済成長(生産性向上)に整合した賃金上昇を良しとしていたのです。
 その結果、賃金コストプッシュは僅少です。その賃金で暮らす国民は企業の物価引上げを許しません。

 前回、物価変動の理由として、内外格差を挙げました。もう1つの理由、つまり2つ目の理由、インフレの原因は、賃金コストプッシュです。賃金コストプッシュですから賃金の上がった分だけ、名目の購買力は上がっています、ですから、物価が上がっても暮らしていけます。企業は物価を上げることが出来ます。

 先進国では賃金コストは国内総コストの7割程度が普通ですから、賃金上昇を物価に転嫁し、物価上昇率を賃上げ要求に加えるというインフレ・スパイラルは容易に起こります。
 そういう意味では、賃金は高いほどいいという労働組合のところでは、金融緩和が忽ち賃上げに反映し、インフレになるということでしょうか。
 そうした欧米の労使関係のもとでは貨幣数量説が正しく見えるのでしょう。(以下次回)


物価論議は実証分析をベースに その1

2013年05月27日 23時31分51秒 | 経済
物価論議は実証分析をベースに その1
 最近の消費者物価指数の動向をご覧になっておられるでしょうか。全国の先行指標と言われる東京都区部の数字は全国よりひと月早く25年の4月まで出ていますが、デフレ傾向はまだ止まっていません。

 都区部の4月は前月比こそ0.3パーセントのプラス(上昇)ですが、前年同月比では0.7パーセントのマイナスです。価格変動の大きい生鮮食品を除いた数字でも0.3パーセントの下落、1年前の昨年4月以降の各月とも一貫して0.5パーセント前後の下落です。

 つまりこうした動きは、未だに日本の物価水準は国際比較で見て高いから、グローバル化が進んでいる今日、国際的に見て高い国の物価は下がり続けるということなのでしょう。
 円安になりましたが、消費者物価で見る限りまだ相対的に円高のようです。

 日銀がインフレ・ターゲットとして言っている年2パーセントのインフレの達成について、日銀の内部でも、達成可能・不可能の論議があるように報道されていました。
 そうした論議がされるのも、物価というものが、金融政策でどうにでもなるといった「単純な貨幣数量説」のような考え方が未だどこかに残っているということの表れでしょうか。

 物価といってもいろいろあります。株価を物価だという人はあまりいないと思いますが、宝石や高級アクセサリー、骨董品などや、地価、マンション価格といったものも、言葉の定義上は物価でしょう。これらは、貨幣数量説で割合説明がつきやすいようです。

 以前このブログで「2種類の物価 」を書きましたが、物価には、主として値上がり待ちで買う物価と自分で日常生活に使うための物価の2種類があるのでしょう。
 日銀がインフレターゲットで言っている物価は、常識的に言えば、後者でしょう。つまり統計でいえば、「消費者物価指数」と言っていいのではないでしょうか。

 消費者物価の変動要因は大きく分けて2つあります。一つは、国際価格と国内価格の差(内外価格差)によるもので、よくあるのは原油その他の資源価格の高騰などで起きる、いわゆる輸入インフレです。その他、例は少ないですが、為替レートの設定が不自然なために、一国に物価が、国際価格にさや寄せする過程で起きる物価の変動、為替レートが低すぎればインフレ、高すぎればデフレです。

 プラザ合意後の日本のデフレはこれです。円高で日本の物価が上がり、それが国際価格に向けて下がるからです。この動きは国内物価が海外と同じになるまで続きます。
 国際化時代です、この物価変動は、貨幣数量説では必ずしも説明が付きません。(以下次回)


日本経済再建を確実なものにするために

2013年05月24日 12時10分04秒 | 経済
日本経済再建を確実なものにするために
 株価は経済の先行指標という事になっています。いま日本の株式市況は活況です。乱高下もありますが、圧倒的に強気優勢でしょう。

 大変結構な話ですが、本当の問題は、この株式市況の活況が企業活動の活発化につながって、日本経済が着実なプラス成長に転じ、着実に増加した付加価値(GDP)が企業の利益と従業員の賃金に確りと分配されるというサイクルが、キチンと回り出したとき、初めて、景気は回復し始めたな、日本経済は再建の緒に就いたな、と言えるのでしょう。

 それを実行するのは他ならぬ企業(労使)です。このブログで、これからが、企業の出番 と言っているのはそのことです。
 
 この何か月かで円は対ドルで約2割下落しました。2割の円安は、日本の国内コストの2割低下を意味します。円で生活していれば、殆ど何も変わりません。変わるのは輸入品の値上がりぐらいです。輸入依存度は10~15パーセントですから影響は限られています。
 あとの85パーセントの分野では円安はコスト低下→「経営の余裕」となっています。

 この「余裕」が、日本企業の経営活動を活発にし、日本経済を本来の成長体質に回復させるだろうと予見し、企業、経済の将来を買っているのが今の株価高騰ということではないでしょうか。

 ならば、日本経済、それを構成する日本企業はそれに応えなければなりません。
 この余裕は飲み食いで楽しく使ってしまう事も出来ます。「賃上げ、インフレ」で円安を調整というのはその類でしょう。あとには何も残りません。

 一方、この余裕を、研究開発、優れた伝統技術技能の継承発展、人材育成、社会インフラ整備などに使うこともできます。これは、1年後、3年後、5年後、10年後、日本経済の活性化、着実な成長の実現という大きな成果となって帰って来るでしょう。

 日本人、日本社会が何を選ぼうとしているかは明らかです。後者でしょう。
 すでに日本経済は徐々に成長に動きつつあります。その成長の成果が配分されて雇用が増加し、賃金が増加するとき初めて永続する生活水準の改善が実現します。日本経済が成長体質を取り戻したということです。

 あえて付け加えれば、単なる円安による余裕発生の時点で(まだ経済成長が実現していないのに)その余裕を、賃金引き上げ 、消費拡大に使うことは、与えられた成長のチャンスを当面の享楽のために雲散霧消させることでしかないということです。


緊縮か緩和か:判断基準は「生産性」

2013年05月21日 12時06分52秒 | 経済
緊縮か緩和か:判断基準は「生産性」
財政危機の国々で、緊縮か緩和の論議がされています。政権党は責任上も、緊縮政策を取って、何とか自国経済の健全性を取り戻さなければならないと考えるようですが、野党の方は、そんな辛いことを強いるのには反対だ、経済は緩和政策を取って、もっと経済活動を活発にして、経済を元気にすることが大事だといった言い方をします。

国民はその方が楽に決まっていますから、政権交代が起き、政治が安定しないという
可能性が高くなります。

所で、アメリカやヨーロッパの多くの国々のように国民経済そのものが赤字で、借金しなければ一国経済が運営できない国が、支出を切り詰めないで、逆に景気刺激をして赤字を解消することが現実に可能なのでしょうか。経験的にそれはどうも不可能なようです。

 確かに政府が借金をして、いわゆるケインズ政策のような形で積極政策・緩和政策を取れば、その時点では経済活動は活発になるかもしれません。
 しかし結局は、財政支出増の効果で民間消費が活発になり、一時的に経済が活況を呈するというだけで、その効果が消えた時には、より大きな借金が残るだけ、ということのようです。

 もし、そうした積極策で、経済が再建されるとすれば、経済が活況化した結果、国内生産力が強化され、自力で経済発展でき、借金も返せるような経済が実現した時です。しかしこれは言うほど簡単ではありません。その分国民が働かねければならないからです。

 もともと、汗水たらして働くのが嫌だから、緊縮が嫌いで、緩和を選んだのですから、その可能性は極めて小さくて当然です。結果的に、緩和はより厳しい緊縮政策を必要とするというより悪い状態をもたらします。
 サステイナブルな経済(自分の力で持続可能な経済)というのは、それなりの経済構造 を国民が努力して作らないと成り立たないのです。

 その判断基準が「生産性」です。一国経済でいえば、緩和政策による経済活動の活発化で「国民経済生産性」を引き上げ、赤字をカバーする所まで持っていけるかどうかです。

  アメリカでもユーロ圏でも、緊縮か緩和かを論議する中で、生産性についての論議がほとんどないことが、大変気がかりです。


多様共存

2013年05月18日 16時13分10秒 | 社会
多様共存
 昔からの癖で、正月には書初めをしています。今年は「多様共存」と書きました。
 多分四文字熟語の辞典にはないと思いますが、私の造語で、「多様なものが仲良く共存するような状態が一番良い事ではないか」と考えて書いてみたわけです。

 勿論意識の中には、日本列島が、世界で最も多様なDNAが共存 する地域だといったこともありましたし、また、宗教も異教を認めないのではなく、お互いに尊敬し、尊重し合いながら仲良く共存できればいいなという気持ちもありました。
 経済・経営にしても、それぞれの国や地域の文化的背景の違いに応じて、それぞれに特徴があって、それが巧く共存できればいいな、といった気持もありました。

 例えば、企業間で問題が起きても(自動車事故でもそうだそうですが)、欧米では絶対に先に謝らないと言います。あらゆる理屈をつけて「こちらは悪くない」と主張するそうです。
 労使関係でいえば、労使は対立すべきもので、協調してはいけないというのが欧米では基本的な考え方のようです。労使協調は御用組合と同義でしょう。
 ベンチャー企業で時価総額が上がれば、良い時に企業を売却して大金を得るのは当たり前の行動で、日本人はなぜ企業を売りたがらないのかとアメリカの有力ファンドの経営者が言っていました。

 自分の利益や立場もさることながら、相手も同じ人間で、お互いに人間同士、気持ちが解ってしまう(解り合おうと考える)。多くの日本人からすれば、矢張り、日本的の考え方や態度の方が「人間味」があっていいのではないかと思ってしまいます。

 企業を売りたがらないというのも、自分(自分たち)の手作りのものに愛着を持ったり、一緒に仕事をしてきた仲間との人間関係を大事に考えたりする文化が日本人にはあるからでしょう。

 経済的に見れば、そうした人間的な関心や配慮のために、得られたはずの利得を失うのは馬鹿げているのかもしれませんが、日本人は単なる目先の金銭的な利得より、生涯の中での人間関係の方が大事だと考え、それがまた長い目で見れば、経済的にもより大きな報酬をもたらすこともあるのです。

 生物多様性は欧米でも関心の的ですが、これは自然界のもたらす優れた働きを大事にしようということでしょう。人間の歴史、伝統、文化などの多様性も、出来るだけ残しつつ、それぞれの特色、長所を生かして共存できる社会を目指す方が、結果的には優れた文化のあり方のように思うのですが、どうも世界を一色に塗りつぶそうとする動きの方が強いのは残念です。


強まる円安への反感と日本の対応

2013年05月12日 10時45分31秒 | 経済
強まる円安への反感と日本の対応
 $1=¥100を超えて円安になると、G20の公式見解は別として、いろいろな所から日本の政策に対する苦情が出て来ることになるようです。
 円が120円から90円の円高になっても、それがまた75円になっても「当たり前」といった顔をしていた国々が、100円に戻ると「円安政策は怪しからん」と文句を言うのですから、理不尽と言えば理不尽です。

 しかしやっぱり日本としては、礼儀正しく、日本の目指しているところや考え方をきちんと説明し、相手のことを理解しながら、必要に応じて、適切な配慮やアドバイスをするといった真摯な態度を一貫して取っていくべきでしょう。

 もちろん、日々の円安を進めているのは、日本政府や日銀ではなく、国際投機資本が思惑を重ねてやっていることですから、政府・日銀にしてからが、円安がどこまで行くのかどこで止まるのか、解らないというのも現実でしょう。

 その意味では、責任は日本にはなくて、マーケットにある、と開き直ってしまうことも可能かもしれませんが、それでは日本が円高に呻吟しているときに、「マーケットがやっていることだ、俺には関係ない」と言っていた国々と同じレベルになってしまうので、より合理的な国際金融秩序を望む日本としては、こうした機会に日本の考え方を積極的に説明していくのはどうでしょうか。

 問題は、今回の政策変更で明らかになったように、一国の経済政策(金融政策)によって、マーケットは「動く」のです。その意味では、今の金融マーケットは、実は「マーケットは正しい」などと言えるものではなく、力のあるものによって、操作が可能なのです。

 国際投機資本は、レバレッジを掛けリスクを取って賭け事をしているのですから、主要国の政策には極めて敏感です。
 それを、どこの国も、今まで、意図的に言わなかったというのが本当の所でしょう。

 そういう立場に立てば、先ず明らかにすべきは、日本は「特定の国にばかり長期のデフレを強いるようなことは良くない」「日本は円高デフレ脱却のために為替レートの適正化を望んだだけで、円安を望んでいるのではない」という立場を明確にすべきでしょう。
 現に、日本政府も日銀も120円以上の円安にしようなどと望んでいないと思います。
 
 まずは、円安に苦情を言う国々の疑心暗鬼をなくすることが大事でしょう。その上で、この20年日本が経験 してきたことを客観的に解り易く説明 し、そういう経験を今後どの国もさせないような国際金融秩序 の構築のために、IMF、G20などの役割を、本気で論議するように、関係国に仕掛けていくべきでしょう。

 それが「失われた20年」に苦しんだ日本の、世界に向かって果たすべき責務ではないでしょうか。


アベノミクス、これまでと今後

2013年05月10日 11時17分27秒 | 経済
アベノミクス、これまでと今後
 これまでの所、アベノミクスは所期の成果を上げたと思います。いつも例えている「ゴルフのハンディと円レート」で説明すればこうなるでしょう。

 プラザ合意(1985年)で日本は24だったハンディを12にされてしまいました。実力は19ぐらいでしたから、それまではいつも賞品を貰っていましたが、ハンディ12では全く勝てなくなりました。それから雌伏十余年、練習を重ねて12でも何とかやれそうになったのが2002年。それから6年間「いざなぎ越え」でそこそこ賞品ももらいました。
 ところがリーマンショックでハンディは9のシングルに、ユーロ問題で7.5まで上げられ、「あいつは練習熱心だから近々ハンディ5ぐらいかな」などという噂も立って、「何だ、おれの実力はせいぜいハンディ11か12($1=¥110~120)なのに、練習熱心だというだけで減らされたんじゃ練習するだけ損だ」という気になっていたところでした。

 さてここからは、本来の為替レートの話になりますが、「実力以上の円高で困っているんだったら、アメリカと同じ政策を取ればいいじゃないか。」と教えてくれるアメリカ仕込みの先生がいて、その通りに日銀と図って「超金融緩和」をやったら、ハンディ10($1=¥100)まで戻った、という所が現在の状態でしょう。
 
 円高になるということは、生産性を上げてもその成果は円高で打ち消されて日本は何も得られず、楽をするのは外国、逆に円安になるということは、円安分だけコストが下がって、生産性を上げなくても競争力がついて日本は楽が出来る、ということです。

 アベノミクスのお蔭で、円安の分だけ日本経済に、コスト低下による余裕が生まれたことになりました。円安の幅が約10円として、GDPの約1割、金額としては総額40~50兆円相当でしょう。110円まで行くという意見もあるようですが、そうすれば、更に40~50兆円の余裕が生まれます。
 
 この余裕は前回の伝で言えば、一種の「あぶく銭」のようなものです。思わざる余裕を前にして、政府は、企業は、国民は何をすべきなのでしょうか。連合 はすでに、春闘で「あぶく銭」でも無駄遣いはしない(賃上げ→インフレはやらない)という選択をしました。
 企業は円高デフレで傷んだ財務、技術、人材育成に使おうとしているように見受けます。
 日本の行方を舵取りする政府は何を目指そうとしているのでしょうか。その中身が「第3の矢」で、本来の経済政策です。

 政府も迷っている所でしょう。災害復興、原発対策、待機児童問題、介護、医療、年金、老朽化した高速道路や橋など社会インフラの改修、などなど待ったなしの問題山積。
 財政再建は必要で、消費増税はやるべきだろうが、それで消費不況にならないか、逆に財政再建のめどが立って、日本経済が健全だということになって円高に逆戻りすれば、余裕は忽ち消滅します。円高再来は阻止可能か。

 Tnlaboなりの回答の試論が4月21日のブログ です。お読みいただいた諸賢から、ご意見をお聞かせ頂ければ幸甚です。


改めて「あぶく銭」論議、日本人本来の金銭感覚

2013年05月06日 23時37分39秒 | 経済
改めて「あぶく銭」論議、日本人本来の金銭感覚
 このブログでは、何回か「日本人は本来『額に汗したカネ』と『あぶく銭 』を識別する能力を持っていた」と書いて来ました。
 
 さらに積極的に『悪銭身につかず』と言って、「あぶく銭」を得ても結果はろくなことはないと教えています。落語「芝浜」などはそれを題材にした人情噺です。
 おカネに対する人間の「弱さ」を教え、戒めているのは、かつては万国共通かも知れません。

 これに対して今のマネー経済は、非合法は別として、得たカネは同じカネ、という立場になるのでしょうか。
 最近はアベノミクスによる円安で株が上がり、短期間に巨額のカネを稼いだ人たちが本を書いたり雑誌に出たり成果を誇るのが多く見られます。

 決して悪いことではないので、自慢できますし、またその金が諺どおり「身につかないで」どんどん使われれば、消費が増えて景気が良くなる効果もあるので大変結構なことだともいえるでしょう。

 しかも、この種の「あぶく銭」は、サラリーマン感覚でいえば、額に汗したカネとは桁が違うのです。残業やアルバイトで、余計に稼いでもせいぜい何万円ですが、株やFXなら100万円単位も可能です。消費拡大効果も絶大で、ニュースでも、デパートや専門店で高級品が売れているといったレポートがよく見られます。

 では、額に汗した金とあぶく銭はどこが違うのでしょうか。あぶく銭はなぜ蔑まれるのでしょうか。今の経済用語を使えば、こんなことになるのでしょう。
 額に汗したカネは経済成長(GDP増加)への貢献の分け前です。 一方、あぶく銭は、カネの移転による「移転所得/振替所得」で、儲けなかった人から儲けた人へ購買力が移転しただけで経済成長の成果ではありません。
 
 株や金融取引でいくら儲けても経済成長には関係ないので、社会全体としては豊かになりません。その意味では「あぶく銭=キャピタルゲイン」と理解していいでしょう。
 ところで、キャピタルゲインだけでは経済は成り立ちません 。「インカムゲイン=額に汗したカネ」がGDPを増やし社会に豊かさをもたらすのです。

 両者の識別は、経済活動の健全な認識です。渋沢栄一は道徳経済合一論の「論語と算盤」を書き、私利追求が「神の見えざる手」で国富に貢献すると書いたアダムスミスも「道徳情操論」を書いて、人間の心や判断がカネで狂ってしまわないように、と願っています。
 
 このブログでは、経済活動は「社会をより豊かにに、より快適にするための活動」と考えていますが、その視点では、額に汗した金は経済成長に貢献した報酬、あぶく銭は、ゼロサムの中で誰かのカネを自分の懐への移転に成功しただけですから、割り切って言えば、本来の経済活動ではないということになります。


日本らしさの基本「和の心」の国際関係を

2013年05月03日 08時45分23秒 | 国際政治
日本らしさの基本「和の心」の国際関係を
 「和」は本来「日本」のことですが、同じ字、同じ言葉「和」が、日本人の心の基底をなす哲学、思想を表します。

 聖徳太子の一七条の憲法の第一条が「和を以って貴しとなす」、以下第二条「厚く三法を敬え」、第三条「承詔必謹 」です。
 この順序を見ても、「和」が基本であり、それを実現するために「仏教」で同じ心を持とう、社会・政治の面では天皇お言葉を尊重しようという事でしょうか。

 最も寛容と言われる宗教「仏教」で人の心をまとめ、政治(まつりごと)では仏教以前からの日本の文化である祖先崇拝と自然崇拝からなる天皇の権威で秩序を守ろう、と考えたのでしょうか。
 すべては「和」、争わずに仲良くしよう、自然も社会も基本は調和であるという考え方が透徹しているように思われます。

 その日本が、弥生以来戦争に明け暮れ、1945年までそれを続けた理由を私は「舶来崇拝 」に見るように感じています。
 しかしそれは1500年程度の事、それ以前、縄文時代の1~2万年以上の長きにわたって、「混血が純血化 」する過程で、日本人の精神の源流は形成されていたと考えるのです。
 「日本らしさ」という場合、日本人は、舶来崇拝に汚染された時代ではなく、それ以前の日本人の形成期、縄文時代の本来の「日本らしさ」を基本にすべきなのです。

 だからこそ、日本人は現行憲法を持った時、たとえそれが与えられたものであっても、人類の理想が書かれており、人類の歴史を先取りした平和憲法である事を心から良しとし、そのもとで争わない歴史づくりを全く「違和感」なく進めてきたのではないでしょうか。

 この「違和感」という言葉自体、日本人独特の感覚で、なかなか外国語に巧く訳せない言葉のように思います。
 調和している、自然である、違和感がない、「まさに和を以って貴しと為す」という日本人が最も良いものとして掲げてきた心を、日本は、平和憲法を掲げ、世界に先駆けて、国際関係の場で実践すべきではないでしょうか。

 争いや力の誇示、脅しのレベルの相手に対しては、同じレベルではなく、1段上のレベルから争いのない解決を考え、対応すべきでしょう。
 我々個人でもそうした問題には、何度も遭遇します。争わない解決には、それだけの知恵が必要です。日本人は縄文時代にその知恵を作り上げ、実践していたのでしょう。

 日本人は勿論、全人類もこれからの歴史の先にはそうした状態を望んでいると思います。