tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

今回の定額減税の発案者は誰ですか?

2024年05月31日 20時22分30秒 | 政治

何か突如として、定額減税で、6月に一人当たり所得税3万円、住民税1万円、計4万円という事です。趣旨はと言いますと、春闘の賃上げ率も高かった、この際、国民の実質所得を増やし、消費意欲を刺激して、消費不振で低迷する日本の経済成長を促進しようという事のようです。

趣旨は解らないでもありません。今年に入っても実質賃金の対前年比の低下は止まらず、24か月という長期連続となり、多くの家計では物価の上昇懸念と、将来所得についての不安がみられるようで、改めて消費の伸び悩みによる景気不振が言われているところです

この際減税で一気に家計に安心感を与えて消費を伸ばすことは政権党の使命だと考えての事でしょう。

という事で、手っ取り早く現時点で政権の座にある者が国民の喜ぶ減税をという気持ちは言われなくても解ります。

そして「減税しましたよ」と誰にも解るように給与明細に明記せよと指令する気持ちも良く解ります。

ですが、マスコミではどうにも評判がよくないようです、テレビの画面では「今年だけでしょう。今後の事を考えるとやっぱり貯金かな」なんて言うのもあったようですし、一斉に指摘しているには、減税の仕方についての問題で、その複雑さ、解りにくさ、手間が大変、6月に全部もらえるわけではない、などなどの問題のようです。

4人家族ですと所得税だけで12万円、住民税が4万円ということですが、6月に賃金とボーナスで合わせて16万円以上払っていないと後は翌月に繰り越されるという事になるようです。繰り越しの仕方も所得税と住民税では違うので、何時までに全額もらえるのかなかなか解らないのです。

だから今月はいくらと給与明細に書かなければいけないというのかもしれませんが、きちんと貰えたかどうかは、最後まで記録しておいてそれを合計しないと解らないのです。

貰う方でもそんな面倒な事やらないで、多分間違ってないと思うよと信頼するのでしょう。

貰う方でもそうですから、そのシステムや手続き間違いないように計画して実施するのはお役所の方も、給与を支払う企業の方も、これは大変でしょう。

すでにお役所の説明会があって、大勢の人が説明を聞きに来ているとのことですが、その手続きを難しい条文と、それを解り易い説明にするのも、大変な時間と労力でしょう。

しかも今回の定額減税は、今回だけのもので、この次に定額減税がいつあるか知りませんが、その時は、また違う人が違う方法でやるのでしょうから、覚えても今回しか役に立たないので、知識やノーハウの蓄積にもなりません。

定額減税の額まで税金を払っていない人には給付もあるようですが、給付に端数が出ると計算が面倒なので、1万円単位で切り上げだそうですから9999円得するケースもあるようです。

確かに余計な手間はコストの増大ですから省いた方がいいのですが・・・。

手間を掛けないという事になりますと、今度の定額減税などは、殆ど「余計な手間」の様なもので、一律給付を含めもっと簡単な方法がいくらでもあったはずです。

今回の減税規模は3.2兆円余とされているそうですが、日本経済のコストとの中で一番高いのは人件費です。

今回の定額減税に関して発生する官民の「延べ労働時間×1人当たり平均人件費」など考えられてもいないのでしょう。

誰かの命令で、突如膨大なコストが生れるのです。こういう事が起きる原因は、リーダーがコスト意識がないままに事を決める、「コスパ」の「コス」がなく「パ」、パフォーマンスしか考えないからでしょう。

何度も書いていますが、聖徳太子の17除の憲法の第17条は「夫れ、事は独りにて断ずべからず。必ず衆とともに論ずべし」と言っています。

定額減税のトータルコストは、(今の日本の場合は)結局は国債残高にプラスされて、国民の将来負担になるのです。


都下国分寺に佐渡のユリが咲きました

2024年05月30日 15時26分01秒 | 環境

昨日はこのブログで自民党の「政治資金規正法」について書きました。野党は常識外と一蹴したようですが、自民党は、未だ「細部を修正して」などと欲に絡んだ執念を押し通しているようです。

1985年以来自民党政治は日本の経済・社会をいびつなものにし、嘗ては世界屈指だった日本の一人当たりGDPを世界の38位にまで没落させるような政治をやって来た事の反省も全くなく、金を使って選挙に勝つことだけを考えてきた政治を変えたくないようです。

そんな醜悪な政権党の姿について書いた後は気分も晴れません。

今朝は何か清冽な題材を探してと思っていたのですが、狭い庭の「色とりどりの緑」の中に今年も超然と孤高の花を開いている「佐渡のユリ」の写真を載せることにしました。

私の住む都下国分寺市と佐渡が島の佐渡市とは姉妹都市なのです。

そんなことで、妻は「ママ友」のグループが出来た頃からそのグループでよく旅行に出かけていました。その中で、国分寺市と姉妹都市の佐渡町を訪れた際、佐渡町のHPにも載っている「佐渡のユリ」の球根をいくつか買ってきました。

何種類かの色があったのですが何10年を経て残っているのはこの写真の色のユリだけです。おそらく佐渡市のHPにも載っていますように、この色が本来の種で、最も自然なものだったのでしょう。

他の色の株が淘汰されても、この色の株は確りと毎年咲き続け、球根も成長しているのでしょう。花の数も次第に多くなっているようです。

特に今年は春先から頑丈な茎が伸び、立派な花が沢山咲きそうだなと思っていてのですが、予想にたがわず頭頂に10個余りの蕾がつき、3~4日前から開き始めました。

今日はまだ6分咲きぐらいのようですが、一番良い時期ではないかと思い、ブログに載せることにしました。

腐敗する長期政権とは違って、毎年確り育って立派な花を咲かせて狭い庭の一角を明るくしてくれる「佐渡のユリ」に感謝です。


政治資金規正法騒動は早くやめてほしい

2024年05月29日 18時03分20秒 | 政治

国民の一人として与野党の良識と頭脳が集まっているはずの政治資金規正法についての議論で、こんな事が問題になっていると聞くだけで、こちらの頭もおかしくなってめまいがしそうです。こんな事は早くやめてほしいと感じるばかりです。

大体、政治資金規正法の冒頭には、その目的として「政治活動の公明と公正を確保し、もって民主主義の健全な発達に寄与することを目的とする」と書いてあります。

しかし自民党が主張している事は、政治活動という名目のもとに、選挙活動に使う金を何とか出来るだけ多く集め、その使い勝手を出来るだけ良くするために自らの良識を曲げ、曲がった良識のために優れた頭脳を酷使しているように思われてなりません。

条文の中には「政治活動(選挙運動を含む)」などと書いてありますが、今迄問題になった事例では、選挙運動にからむものが殆どで、我々の身の周りで、政治家が自分や党の国会等での活動を大きなカネをかけて国民に知らせるなどという活動を見た事はありません。

政党がやっている事は、殆どマスコミが伝えてくれますし、国民のため直接に政治に絡む活動は、国会その他の場でそれこそ税金の中でやっているのでしょう。

それでもカネが掛ることはいろいろあるというのであれば、それは「政党交付金の限度でやればいいのではないでしょうか。政党交付金そのもの嘗て企業団体献金の廃止問題の起きた時、それなりの算定根拠に従って良識の判断の結果として決まったものでしょう。

選挙運動のカネなどというものは、多々益々弁ずで、使い方によってはいくらでも使えるものでしょう、それが公然と税金の網の目をくぐってできるようにすれば、多分際限なく膨らんで行くという性格のものでしょう。

公正とか公明というならば、そこでは自由勝手という原則は通用しないのです。サラリーマンは、例え薄給でも、給料で生活するしかありません。副業でアルバイトをやれば、そこにも税金の網はきちんとかかって来て、税逃れをしようとしても逃れられないのです。

国民の選良である議員先生の方々は、税制をお作りになる方々です、率先垂範で、あらゆる収入支出について公明で公正、国民に勝る納税者としての感覚を持つのが最も大事ではないでしょうか。

いやしくも名だたる国会議員の先生方が、いかにして税金の網の目に掛らないカネを増やすかなどという事に国会の時間まで使って議論をしているなどという事になれば、まともな国民は頭がクラクラしてくるのは当選でしょう。

今迄、そうしたカネを使っていたからこそ自民党は政権党として君臨できたのだ。それが出来なくなったら、政権が危ない、国民のみなさんは、自民党が政権党でなくてもいいのか、と自民党が居直っていると考える人、そこまで告白してもなお自民党でなければ困るという人、いろいろでしょう。

しかし、そこでの判断は、自民党自身が書いた「政治資金規正法」の目的「政治活動の公明と公正を確保し、もって民主主義の健全な発達に寄与することを目的とする」という文言によってまさに「確りと」判断しなければならないのでしょう。

問題になっている「政治資金規正法」は、「自民党が、自民党自身の底を割って見せてしまった」という事ではないでしょうか。

政党交付金と個人献金なら、公明と公正は確保でき、日本の健全な民主主義が上手く育つ方向に向いて行けるのではないかと思うのですが。


日中韓サミットの再開を世界の安定に

2024年05月28日 15時06分20秒 | 経済

日中韓サミットが4年半ぶりに開かれました。最大の賛意を持って今後の継続と発展を願うところです。
この三国が、相互理解を促進し、国際政治面でも経済関係でも、文化社会の交流においても、望ましい信頼関係を作り上げたとき、今のささくれ立った世界の諸情勢の安定化に大きな役割を果すことになると考えるからです。
今の国際社会の混乱は、国連、その関連機関の努力をもってしても人類社会のガバナンスの実現は見通せないような深刻なものになっています。
具体的に言えば、プーチンやネタニヤフに典型的に見られるように、最近多くの国で、独裁的な指導者が見られます。長期政権の中で独裁者に変質するリーダー、政権に不満を持つ国民があえて独裁的なリーダーを選択する場合など、第二次大戦を知らない世代がほとんどになったせいでしょうか。これは人類社会にとって恐ろしい事です。
このブログでは、独裁的なリーダーは、多くの場合、人類社会にとってトラブルメーカーになると指摘していますが、それが現実になりつつあるようです。
そうした中で、長い歴史の中で、協調や協力、戦争や反目を繰り返し経験しながら葛藤の歴史を歩んで来た日中韓の三国が、信頼関係を築き、友好と協力による発展の道を踏み出したという動きは、これからの世界の注目すべきロールモデルになるのではないでしょうか。
来年は日本が議長国ということになっているようですが、日本は、アジアは勿論世界の貢献できるチャンスとして出来得る限りの努力で取り組むべきでしょう。
そのために十分理解しておかなければならない事は、有史以来の三国の関係、中でも、日本がその発展過程において、如何に中国、韓国から受け入れてきたものが多いかという事ではないでしょうか。
韓国は、今はハングルですが、もともとは漢字の国で、日本文化の源流には中国から、また韓国経由で入って来たものは、漢字、仏教、織物、陶磁器、諺、食文化などなど無数です。
戦後は日本から、スポーツ、音楽、芸能から、幅広い科学技術まで、日本発が中国、韓国で役立っている事もあるでしょう。
こうした相互交流により互いに裨益しあう状態というのは 相互の友好関係、相互に尊敬しあう環境の中で促進されることは明らかで、中国との関係は鄧小平さんの時代に大きく進みましたし、韓国とは残念ながらユン大統領以前は些か疎遠でした。しかし芸能など若者の世界やツーリズムでは一層の草の根交流が進んでいるようです。
ただ大きく懸念されているのは米中関係の狭間にある日本政府の立場でしょう。しかし古くは中国から先進文化を輸入し、戦後はアメリカから最新の文明を学んだ日本です。
両国の優れた点は勿論、互いに牽制しあう問題点も熟知している日本です。
そして日本はついこの間まで米中に続く第3の経済大国でした。円高次第で返り咲く可能性も無きにしも非ずです。
日本はその立場と歴史的交流の経験を駆使し、韓国とともに米中両国に、米中二国が友好の中で競い合う状態が世界にとっても米中両国にとっても、特に世界のリーダーの立場にあるアメリカにとって最善の道である事を徹底して説くべきでしょう。
日中韓三国が先んじてそうした関係を築くことが、アメリカが世界情勢を判断するうえでも極めて重要になるのではないでしょうか。


金利のある経済状態に早く慣れよう

2024年05月27日 15時31分48秒 | 経済

日銀のバランスシート圧縮の動きが具体化し、国債購入の減額に動き出した様子から10年物国債期の金利が1%に載せてきました。

植田総裁は大変慎重に、国際投機資本の動きをみながら適切な範囲で政策の選択をしている様で為替レートは現状、過度の円安を止めた程度の動きのようです。今後も日銀の微妙なかじ取りに期待したいところです。

ところで今の日本人や日本企業の経済行動はアベノミクス以来の10年来のゼロ金利が前提になってしまっているようです。

これからいよいよ借金をすれば金利がかかり、貯金をすれば利息が付くという資本主義の本来の状況になって行くということになるはずですから、借金と貯金の世界は、はじめは徐々ながら、最終的には資本主義の経済原則に従ったものになるのでしょう。

という事で大きく日本経済を見た場合、どんなことが起きるかですが、民間と政府に分けた場合、家計は2000兆円を越える金融資産を持っており、政府はその半分超を国民から借金しているとおいうのが現状です。

という事は、政府は国債などの借金に利息を払わなければならに事になり、家計は2000兆円の資産にそれなりの利息が付くことになります。政府はますます貧乏になり、家計は貯蓄に利息が付いてその分所得が増えることになります。 

家計はその分幾らかホッとする程度でしょうが、税府は大変です。金利は1%、2%、3%と上がっていけば、新規国債はその分支払利息が増えますから、今迄の様に赤字国債で補正予算をとはいかなくなるでしょう。既発債は金利上昇で評価額が下がりますから、国債を持っている日銀をはじめ金融機関は、評価損を被ります。家計は満期まで持っていて額面の支払いを受けてもインフレ分だけ実質価値は下がります。

こうしたこれまでのゼロ金利の収拾問題はありますが、経済全体としては金利が機能する正常な経済に戻ることになります。

ところで、金利とは何でしょうか。金利はカネの貸借の際に発生するもので、貸す人は、貸している間は金を使えないという不都合を我慢する我慢代の収入です。借りる人は、カネがなければできない事が出来るという便利さの獲得代の支払いです。

中世までは社会的に認められなかった「金利」が認められ、宗教改革や蒸気機関の発明と共にその後の経済発展が可能なった事は皆様ご承知の通りです。

特に間接金融を扱う銀行というシステムが金利を介して資本の自由な貸借を可能にしたことは渋沢栄一を驚かせた通りです。「金利をきちんと払う」という事は『論語と算盤』の論語の部分でしょう。(驚いた渋沢栄一はやっぱり銀行を作りましたね)

今、政府は、銀行より直接投資を奨励しているようです。銀行は企業に金を貸すのだから、銀行に預けるより直接株を買った方が早いというのでしょうか。免税までして少額投資を奨励していますが、庶民は銀行ほど知識がないので、失敗が多く常に危険を伴います。

日本人は堅実型ですから、銀行の専門性を活用、大儲けは無くても確定利付きの安全性を優先します。ですからゼロ金利でも銀行預金が多いのです。

勘ぐれば、政府が「貯蓄から投資へ」といったのは、国民の眼がゼロ金利に批判を強めることへの防衛策だったのかという見方があったのも理解できそうです。

悪い冗談はともかく、日本人は改めて、ゼロ金利は異常事態の産物と理解し、早期に適正水準の金利の機能する健全な資本主義に慣れることが必要なようです。


消費者物価の動き少し長期で見れば(解説編)

2024年05月25日 17時29分45秒 | 経済

今日は土曜日です。昨日も4月の消費者物価が発表になり当面の動きを見ましたが、土曜日にかこつけて少しのんびりと長い目で消費者物価の動きを見てみましょう。

2022-23年は想定外の消費者物価の上昇で24カ月連続で実質賃金が前年比マイナスとなり、家計にとっては最悪の2年間でした。犯人として消費者物価の上昇が言われました。それも調理食品、加工食品、調味料、飲料、果物、日用雑貨など、いわゆる生活必需品が中心で、多くが何千品目が何月から一斉値上げといった一斉波状値上げで、家計にとっては防禦の仕様もないといったものでした。 

実はこれには理由があったとこのブログは考えます。下のグラフを、改めてご覧ください。

    消費者物価主要3指数の推移(資料:総務省)

2021年の初めまでは青赤緑の3本の線はほぼ一緒です。ところが2021年の夏ごろから青と赤は上がり続けますが、緑は 下がり始め、22年に入って3月ごろから上昇に転じますが、青・赤と緑の線の間隔は23年の1月まで開くばかりでした。何故でしょう。

コロナ禍で家計は緊縮、日常の消費は落ち込む。当該企業は我慢の経営の連続でした。

23年2月に電力・ガスの補助金でエネルギー価格が下がり緑に急接近しましたが、緑の線自体も次第に上昇角度を弱めています。(昨日のブログの下のグラフも参照してください)

では緑の線の中身は何かと言いますと、主に「上に挙げた生活必需品が中心」で、国内のマーケットの事情で値段が決まる、別名、消費者物価の核(コアコア)と言われる部分です。

ここで改めて21年に緑の線が上がらなかった要因を考えてみますと、中小企業や非正規従業員などを支援しようと最低賃金は毎年平均賃金より大幅に上がりましたが、コロナ禍の時期は極端な消費不振・売り上げ減少で、生活必需品部門もとても値上げの出来る状態ではなく、利益の減少に耐えるしかなかったのです。22年に入って、これではやっていけないという事で「みんなで一緒に」足並み揃えて一斉値上げに踏み切ったのでしょう。

それまでは、賃金が上がらないが、物価も上がらないから何とかなるといっていた一般サラリーマン家庭も、その結果 実質賃金の低下に見舞われることになりました。

生活必需品部門の、コロナ禍で失われた利益の回復の動きは23年秋までの一斉・波状値上げという現象を生んだのでしょう。

確かに、ある程度の値上げまでは、値上げ容認の声もありました。しかし23年秋には、これ以上げると「便乗値上げ」の声も出始め、一部に買い控えも起き、そろそろ値上げも限界という雰囲気が生まれてきた様です。

こうした状況から、日銀や、学者のなかにも、この消費者物価の上昇は多分一過性で24年にかけては収まり、2%インフレ目標達成の可能性はあるという認識が生まれたようです。

これは正しい認識だったのでないかと思われます。

24カ月連続の実質賃金低下の犯人としての消費者物価の分析はここで一段落でしょう。

これからの問題は、異常な円安、円レートの変動と産業別利益構造の歪み、賃上げ圧力の増加、賃金と利益の適正分配構造への模索、経済成長の果たす役割、それに、円安から円高に転換する円レートがいかなる役割を演じるかといった問題になるのでしょう。

日本経済の正常化実現にはまだ課題が多いようです。その中で物価問題は、国民の日常生活に直接かかわる事として、問題であり続ける様です。


4月の消費者物価の動き、残る先行き懸念

2024年05月24日 16時06分11秒 | 経済

2023年の日本経済は、コロナ明けにも関わらず低迷状態でした、その中で、消費者物価の上昇が2022年から一層ひどくなるという、どうにも具合の悪い変な経済でした。不況下の物価高ですから「これはスタグフレーションだ」という人もいたようです。

そかし、賃金上昇も平均賃金では1~2%程度で、求人は活発、失業率は低く、企業収益は好調継続、設備投資も順調、国際収支は大幅黒字というのですからスタグフレーションではないようです。

そうした中で、このブログは毎月消費者物価の動向を追ってきました。賃金上昇より消費者物価上昇の方が大きいので、実質賃金が前年同月比マイナスという月が24カ月続いたのは何故でしょうという謎も解いてきました。

そして今日2024年の4月分の消費者物価が発表になり、6月5日には毎月勤労統計の4月分の速報が発表になって、実質賃金の対前年同月比が、プラス転換するかが解ることになります。

春闘賃上げは昨年の3.6%から今年は5%台ということになるようですから、一応期待は出来ますが、中小の賃金交渉が終わるのは6月ごろですから、全体の状況が見えて来るのにはもう少し時間がかかるでしょう。

ところで平均賃金の上昇より低くなるかという消費者物価の上昇ですが、今日発表の4月分の数字は微妙です。

先ず、消費者物価の原数字の動きですが、下のグラフです。3月と4月の数字を入れておきましたが、「総合」「生鮮を除く総合」「生鮮とエネを除く総合とも、今年に入って上向きに転じています。

     消費者物価主要3指数の推移(原指数)                        

               資料:総務省「消費者物価指数」

昨年10月の数千品目一斉値上げでの不評で、値上げの波は一応収まったかと思われたのですが、今年に入って新たにいろいろな値上げの声が出ています。

3月から4月にかけての上げ幅は0.3~0.5ポイントですから年率にすれば12倍ですから平均賃金が3%以上上がっても、物価上昇に飲み込まれる可能性も出て来ます。

一方、次のグラフで、消費者物価の対前年同月上昇率を見ますと、こちらは順調に下がっています。特に緑の線の「生鮮とエネルギーを除く総合」は国内のインフレ要因によるものですから、これが下がることが物価安定の基本です。

     消費者物価主要3指数対前年上昇率(%)

                     資料:上に同じ

4月の消費者物価の上昇要因を見ますと、一つには生鮮食品の上昇が天候不順で大きかった事、調理食品や加工食品の値上げが収まった中で果物、一部の菓子、飲料などで価格引き上げが起きています。教養娯楽とくに旅行関係はインバウンド盛況の影響で高めの上昇が続いています。(東京都の高校の授業料無償化は、引き下げ要因になっています)

2年続いた食品等生活必需品の値上げはコロナ期に値上げを我慢したことの反動とみれば、理解される面もありますが、企業収益は総じて上昇しているという企業統計の結果からすれば、今後は生産性向上でコスト吸収という企業本来の在り方への一層の傾斜が要求されるのではないでしょうか。

その場合、景気回復、円安などで収益好調の企業においては、日本経済全体のバランス回復に向けて価格メカニズムを活用しての積極的配慮も大事ではないでしょうか。

また、満額回答などで、賃金支払い能力に余裕のある企業は、非正規従業員の正規化、教区訓練の徹底などで、従業員の全体的能力アップで生産性向上を図るというアプローチも、日本の労働力のレベルの底上げという意味で、企業経営者の役割が期待されるところでしょう。


「政治にはカネがかかる」再論

2024年05月23日 17時50分52秒 | 政治

あらためて、こんな問題は余り論じたくない事ですが、「政治に金がかかる」というのはどういう事でしょうか。

政治というのは「その国を経営する」ということだと思うのですが、それは国にとって最も大事なことです。国にとって最も大事なことと言っても、国というのは国民の集合体ですから、それは、国民全体にとって、国民全体が、それぞれに、平和の中で、豊かで快適な生活が出来るように、中央から地方まで全ての国民にそれを保障しなければなりません。

活動の内容というのは、国のすべての運営のルールを作る事。これは国会から地方議会の仕事でしょう。そしてそれを確りと運営、運用しなければなりません。海外と関わる外交や防衛という仕事もあります。こうした、立法、行政、国民の意思や社会正義の貫徹に叶うものとの判断をする司法もあります。

そしてそのためには国民全体の2割ほどの人間が働いているのが現状でしょう。これは巨大なザービス業です。

国全体の国民に対するするサービスのすべてが政治というならば、そのコスト全てを負担するのは当然国民で、その形は税金と社会保険料です。その合計は「国民負担」と呼ばれ、国民所得に対する国民負担率の割合が「国民負担率」です。

この国民負担率は、国民の必要とする政府の活動分野の拡大もあって、ほぼ50%に達しています。国債発行という国民からの借金でのサービス提供も入れれば約6割です。巨大なカネですが、国民がきちんと払っています。

この中には「政党交付金」という「政党の政治活動の健全な発達の促進および公正の確保」のための交付金もあります。(それでは足りないというのが裏金問題です)

ここでいう政党の「政治活動」というのは解り易く言えば「党勢の拡大」、つまり選挙地盤の整備、はっきり言えば「選挙活動資金」という事のようです。

つまり、「政治に金がかかる」というのは、選挙活動に金がかかるという事で、これは選挙がカネで動くということの証明のようなものと誰もが感じる所でしょう。

こういう流れで見ていますと、自民党が今やっている事は、次の「選挙のための資金」を何とか確保して、落ち目の支持率を金の力で挽回し、次の選挙で勝ってなんとか政権党という立場を確保したいという事なのかという筋道が見えてくるような気がします。

更にそれを延長しましと、自民党は、選挙はカネで動くものという明確な意識を持っているという事で、それは選挙民の意識はその程度で、カネで動くものと考えている事、今迄選挙民はそうだったという経験の結果ということになるのでしょうか。

最近の政党支持率の動きを見ていますと、未だ自民党支持率は高いですから、自民党の理解は正確ということかもしれませんが、今迄の投票率は50%ほどですから、残りの「有権者の半分近く」が本気になれば、これからは日本の選挙はカネを出しても役に立たない選挙、結果的に「政治(選挙)にはカネがかからない」と言われるようになるのではないでしょうか。

その時初めて日本の選挙は民主主義に大切な「本来の選挙」になるのではないでしょうか。


日本の伝統文化を政治に生かす・続

2024年05月22日 14時05分22秒 | 文化社会

前回は政治が国を経営する事であるあらば、日本的経営の優れた点を政治にも生かせるはずだという事で「人間中心」と「長期的視点」の経営という点を挙げてみました。

職務中心という欧米の経営でも人間の大切さは、エルトン・メーヨーのホーソン実験以来の「行動科学」の発展の中で理解されているところですが、経営の原点が「利益」ですから、人間の重要性は「利益」実現のための手段としての重要さにとどまっています。

余計な事を付け加えれば、政府の「働き方改革」は、欧米流の経営を土壌の違う日本に移植しようとするもので、上手く育たなくて当然なのです。

ところで今回は、比較的意識の揃っている人間集団である企業と、それよりずっと大きくてメンバーの意識、思想、理念がずっと多様な人々を包括する「国」の経営について企業との違う部分を考えてみます。

国の場合は政党が分かれているように、国の経営の進め方について多様な考え方の集合体です。それを無理に1つに纏めようというのが独裁制で、その失敗を避けるために生まれたのが民主主義でしょう。

民主主義は「より多くのメンバーの支持する考え方で行きましょう」という事で、考え方の違う人も、一旦多数決で決まったら、当面それに従いましょう。という多様性の平和的共存を前提にしています。

ただし経営を担当する期限を決めて、別の考え方の人がより多くなったら、その考え方にしましょうという柔軟で、異なった意見の平和共存を可能にするように工夫された制度です。制度的には、定期的な選挙・投票、多数決というのが具体的な方法です。

株式会社でも従業員という集団においては必ずしも多数決での決定ではありませんが、株主という集団では多数決・民主主義が原則です。

ところで、平和共存を可能にする民主主義については日本の伝統文化はどんな位置にあるのでしょうか。

多くの研究によれば、日本の伝統文化の源流を形作った縄文時代1万何千年、日本列島では戦争がなく、奴隷制度もなかったとのことです。しかも日本人は世界でも有数の多様なDNAを含むのです。日本人はユーラシア大陸各地や太平洋の島嶼から移住した多様なDNAの人々が各地で集落を作り交流混血しつつ平和共存し、広汎な交流、交易が行われていたとされています。(糸魚川からの翡翠の道、長野からの黒曜石の道など)

良質な産物の地域を独占しようと戦をするのではなく、交易によって共益を大事にするといった文化が育っていたようです。

人間集団、組織の運営については、考古学的なものではなく、後世に残された記録や、日本各地に残る風習などによることになるのでしょうが、注目すべきは聖徳太子の17条憲法の第17条「夫れ事は独りにて断ずべからず。必ず衆とともに論ずべし」ではないでしょうか。

これは権力者の意思決定ついての最も大事な点をズバリ指摘しています。

山本七平氏が日本の人間集団の意思決定について指適されているのは「一揆(当該人間集団の意)に諮り・・・」といった言葉です。物事を決める時の用語でしょう。

勿論、民主主義などという言葉のなかった時代の話ですから、こうした表現になるのでしょう。しかし、その意図は明らかです。独断専行、独裁制は決して良い方法ではないことを明確に言い表していると思います。

今の自民党の国会議員の諸氏に、確りそうした物を見てほしいと思うところですが、見てもらっても、「その通りで、みんなに相談したら、政倫審の求めには応じないというので、私も・・・」なんてことになりそうな気がします。


日本的経営を日本の政治に生かす

2024年05月21日 13時50分10秒 | 文化社会

このブログのよって立つ基盤は「付加価値」です。

上の緑の枠の下部のサブタイトルにも「付加価値をどう作りどう使うか」と書きましたが、私自身迷った時はここに帰って考えます。

付加価値というのは「人間によって付け加えられた価値」です。ですからこれは人間が使う事が出来ます。そして、どう使うか(種籾をどのくらい残しておくか)で明日の付加価値の大きさが決まります

太昔の話です。作物を育てるのには水が要ります川はありますが水は大雨であふれたり日照りで涸れたりしますから集落の人が集まって溜池を掘り水の供給の安定化を図ります。溜池が大きい方が収穫(付加価値)は安定して増えます。収穫は皆で分けます。

これを現代の企業に置き換えれば、企業の人々が働いて付加価値のある商品やサービスを提供し、社会を豊かに快適にしています。そして作った付加価値の一部を利益(資本形成)として確保し、企業の明日の発展に使います。

こうした付加価値の創造と分配の構図は、大昔から今日まで変わりません。変わったのは、貨幣が生まれ、付加価値は金額として計測可能になり、付加価値創造に参加する人が、集落の人から、経営者、従業員、株主、金融機関、コンサルタント、などと分業により多様になった事でしょう。

複雑化した参加者(スークホルダーズ)はみな人間です、そこで日本的経営では「人間中心の経営」が一つの柱です、も一つは「長期的視点の経営」です。これは昔の人が集落のいつまでも繁栄する事を願ったように、長続きしないと社会が困るからです。最近の概念ではSDGs(持続可能な発展目標)でしょう。

ところで、こんな事を書いたのも、この「経営」という基本概念は、国にも当てはまると考えるからです。

政治というのは、「国家を経営するための活動」に他なりません。企業も、社会も国も、総て人間集団です。

何処の国でも、政府の最大の目的は「経済成長」でしょう。経済成長というのはご存じのようにGDPが毎年何%増えるかです。そしてGDPというのは、その国が作り出した「付加価値」そのものです。

では、大昔の集落の人々と、企業に関わる人々と、日本の国民と、みんな同じ人間集団なのに何が違うかという事になります。

先ず、違うのは規模です、集落なら皆顔見知りですし中小企業でもそうでしょう。しかし大企業、国となりますとそうはいきません。

そこで、知らない人が集まった人間集団を纏めて経営するための方法として、歴史的にいろいろありましたが、今は民主主義が最もいいのではないかという事になっています

こうした視点で考えますと、長い歴史の偶然の産物なのかもしれませんが、日本という国は、その日本的経営という思想の生まれてきた、縄文以来の1万数千年の歴史から見ても、企業経営の理念と、日本を経営する政治理念が、かなり本質的に、同時に合理的にしっくりと整合する「可能性」があるように感じられるのです。

今、残念ながら日本の政治は「混乱状態」そのもののようです。こうしたときに、日本が舶来崇拝で失敗した点は別枠にし、縄文以来の日本の優れた伝統文化に、多くのヒントがある事に気づく必要があるのではないかと思うところです。


非正規労働者問題、雇用・生産性の視点から

2024年05月20日 15時50分58秒 | 労働問題

非正規労働者の問題は、格差が少ないといわれた日本の格差社会化の大きな要因として、所得の低さを中心に、無技能で雇用の不安定、更にはいわゆる80/50問題といった社会的な側面で論じられることが多いようです。

しかしこの問題は視点変えれば、日本経済、日本の産業の低生産性問題としての面でも影響は大きいはずです。

端的に言って、雇用者の4割近くが無技能あるいは低度の技能しか持っていないという雇用構造の産業社会が、高水準の生産性を上げる社会ではあり得ないという問題です。

こうした研究がないかとネットで探してみたのですが、見つかりません。

非正規の問題を社会問題として捉えれば、その対策は政府の仕事という事になるでしょう。しかし、生産性の問題として捉えれば、それは企業の問題にもなって来るのです。

勿論政府も、雇用保険2事業の中の能力開発事業など色々なことをやっています。これは結構なことですが、日本の場合伝統的に、従業員の能力開発は企業の仕事で、政府の仕事はせいぜいその補完程度なのです。

ですから、長期不況で、企業が非正規を増やし教育訓練の手を抜くと、現状の無技能、低技能の非正規問題が起きてしまうのです。

つまり、日本の産業社会では教育訓練の仕事は殆どが企業の手でやられていたのですから、それが30年不況で手抜きされた結果は、結局は企業の新たな努力で取り返さなければならないという事になるのでしょう。

企業レベルで考えてみれば解りやすいですが、100人の従業員がいて、業績悪化のためにその4割を非正規に置き換え、きちんと教育訓練をせずに何とか繰り回してきた企業と、頑張って教育訓練を続け全従業員を1人前に育ててきた企業とでは、企業としての生産性の格差は歴然でしょう。

有資格者が不足で無資格者がハンコを借りていてそれが発覚したり、ケアレスミスで事故が発生し一時休業といったことが起きれば生産性は更に大きく落ち込みます。

今の日本経済は客観的に見ればこうした状態にあるのではないでしょうか。加えて、優秀な人材が海外に脱出して競争相手国の技術水準を高めるようなことも起きたりします。

人を育てるのにはそれなりの時間がかかります。挽回には「時間とカネと努力」が必要です。しかし日本の復活のためには、まさに今から、それが必須なのです。

10年前、黒田日銀の政策で、1ドルが80円から120円になり、「円高不況」は無くなりました、このブログでは、日本企業、日本の経営者は、この機を生かして非正規従業員を正規化し、教育訓練の再開に踏み切ると予想していました。

しかし、それから今日まで、非正規比率が大きく減ったというニュースは聞かれません。長期不況に苦しんだ日本企業の多くは、当面の利益確保という短期視点の経営に走ったまま今日まで来てしまったようです。

4割近い非正規従業員が、それぞれの職場でベテラン社員になった時、日本産業の生産性は大幅に上がるでしょう。

これからの日本、人手不足を嘆く前に、やるべきことはいろいろあるようです。

頑張れ日本!


庭に雀を呼ぶ秘訣

2024年05月18日 14時38分37秒 | 環境

もう何年も、雀が少なくなったとか、庭に雀が来ないといった話を聞きます。雀だけではないようで、渡り鳥のツバメも含めこの辺りでは鳥たちの姿が減ったとも言われます。

 

カラスだけは結構この辺りにもいるようで、朝、ゴミを出しに行くと電線に止まってうるさく鳴いています。どいうやら生ごみを狙っているようです。これは要注意です。

やっぱり鳥たちにとっても一番大事なのは餌でしょう。「カラスはぁ外、スズメはぁ内」と差別するのは人間の都合で、カラスが悪いわけではありませんが、やっぱりカラスは苦手です。

雀が減ったのは瓦屋根が減って巣作りの場所減ったからといわれますが、鳥たちはそれぞれに営巣の場所を広げ頑張っているようです。我家の狭い庭でも玄関わきの花つきの悪いハナミズキが葉を茂らせた時には毎年メジロが巣を作ったことはこのブログでも紹介しました。

梅の木に巣箱を架けた時は、雀とシジュウカラが巣箱争いをしていました。梅の木や山茶花の木が、フェンス越しに隣家に伸びるので丈を低くした結果、シジュウカラの巣箱も撤去、今年は山茶花の花も少なくて、ヒヨドリもあまり来ませんでした。そんなことでもう少し雀が来るといいなと家内と話しました。

「去年バケツ田圃で稲を育てた時は秋には随分雀が来たね」と私、「餌があれば来るでしょう」と家内が云います。という事で毎日餌を撒く事にしました。

以下、私の発明です。朝晩はご飯を食べます(昼はパン)。私が後片つけをします。ご飯を「チン」した容器や食器を洗うと、洗い桶の底に2-30粒のご飯粒がお菜の切れ端などと一緒に残ります。それをネットのゴミ入れに捨てます。その際、ご飯粒や穀物類は重いので、上手く流すと洗い桶の底に飯粒が残ります。これを残った水と一緒に庭に撒くのです。

この家の庭にはいつも餌があると解れば雀は必ず来ます。雀だけではありません。ムクドリ、山鳩も来ます。

写真を撮ろうと家の中で立ち上がりますと、パッと逃げますので、立ち上がらず、スマホを持ってガラス戸越しに何日もシャッターを切り、やっと撮れた「鳩とスズメのすれ違い」をトリミングし、伸ばしたのが上の写真です。

山鳩はゆっくりですが、雀は素早くて苦労しましたので、こんな写真でも本人は満足です。


高度産業技術の細分化と総合化、そして人材育成

2024年05月17日 20時08分14秒 | 労働問題

九州工業大学飯塚キャンパスというのはユニークな教育環境を持っているようです。

今朝の朝日新聞にも紹介されていました。今後の産業発展の心臓部のように言われ、世界が高性能化の開発競争をしている半導体についてですが、その半導体の製造装置の全工程を、クリーンルームに入ることから始めて、実際の機械を見て、触って学べるという事で大人気とのことです。

今や半導体製造は、設計から最後の検査まで多くの工程に細分化され、それぞれの工程が超高度な技術によって支えられているとうのが実体でしょう。

飯塚キャンパスにいけば、その細分化された全工程を一貫して現物を見、手で触って研修を受けられる施設が用意されているというのです。

この部門は「マイクロ化総合技術センター」というのだそうで、センター長の中村和之氏が自らの経験から、技術が高度化し細分化されればされるほど、全体の見る目が大事になるという考え方に立つ施設だそうで、日本有数の半導体企業の新入社員研修から学び直しの場としての研修まで、参加者が増え続けているとのことです。

アダム・スミスが「国富論」で分業による生産性の向上を書いていますが、産業技術の発展は分業と総合の合理的で緻密な連携を必要としているようです。

部品の規格を統一化した製品を作り、部品を取り換えるだけで製品は新品同様に機能するという方式を最初に取り入れたのは「ウインチェスター銃」だという話を聞いて感心したことがありましたが、そこには製品と部品、つまり部分と全体の関係をしっかりと把握している人が居るのだろう、その人がウィンチェスターという人なのだろうと思いました。

今は自動車でも、コンピュータでも、飛行機でも精密な部品の集合体です。そして部品すべてが完成品の性能に最適な機能を果たすように設計され製造され、そして利用されています。

その上に、最終製品の性能は常に高度化し、部品はそれを支える最適なより高度な機能を持たなければなりません。この製造プロセスの細分化と完成品の総合能力の向上を実現するために必要なのが、部品の製造過程の中にも最終製品の姿(性能)がイメージされている事が大事だという見方があります。

生産工程が細分化されればされるほど、部品と完成品の関係、部分と総合のあるべき関係を、それぞれの部分の担当者が正確にイメージできるかどうかが大きく関わってくるのではないでしょうか。

分業は作業を単純にします。それが効率化、生産性の向上を可能にすると考えたのは産業化の初期の姿でしょう。しかし作業の単純化は同時に作業の非人間化にもつながります。人間関係論はそこから生まれました

実はこの辺りが、日本的経営の出番だったようで、QCという統計作業を「QCグループ活動」に発展させた日本人の知恵がかつて一世を風靡しました。

この日本人の考え方の特性は、今も生きていて、部分に携わるものも全体を理解し、全体に繋がろうという活動の重視になっているようです。出発点は部分でも、それは常に全体の理解の中での部分、といった意識や活動が注目されるのではないかと感じるところです。

冒頭の「マイクロ化総合技術センター」の発展を期待します。


2024年1‐3月期のGDP速報を見る

2024年05月16日 15時37分49秒 | 経済

今日、内閣府から標記1-3月期のGDP速報が発表になりました。

残念ながら1-3月の実質成長率はマイナス0.2%とマイナスに落ち込み、同時に発表された2023年度のGDPは、年初に発表された閣議決定の政府経済見通し実績見込みの1.6%から1.2%に下がってしまう事になりました。

その結果、コロナ禍以と降の日本経済の実質成長率の推移は2020年度のコロナ禍によるマイナス3.9%から2021年度以降プラスに転じましたが、21年度2.8%、22年度1.6%、23年度1.2%一貫して低下傾向になってしまいました。

企業業績の回復、インバウンドの盛況、株価の上昇、昨年度の春闘賃上げは3%を超えて日本経済にも不況脱出の気配が出てきたのではないかといった感じも出て来ているのですが、現実の数字は予想外に厳しいようです。

発表になった1-3月のGDP速報を見ますと、この不調の原因、問題点が見えてくるように思われます。

    実質GDPと主要指標の推移(実質値、%)           資料:内閣府「四半期別GDP速報」                    

先ず、実質GDPですが22年度は消費が好調な年度でしたが、23年度に入って急激に落ち込んでいます。原因はその下の実質家計最終消費支出の落ち込みです。

それでは、実質家計最終消費支出の落ち込みの原因はと言いますと、その下の斜体になっているデフレーターの上昇です。(ここでのデフレーターは消費者物価ではなく国内家計最終消費支出デフレーターです)

表にはありませんが、名目家計最終消費支出は23年度の4-6月には対前年同期比3%台の増加でしたが、期ごとに減って1-3月には0.6増に減っていまい、名目値の伸びうも減少ですから家計は物価の上昇に負けて緊縮型になった様子が明らかです。

これは皆さんが実感されたように、食料品、飲料、調味料、日用品などの価格が波状の一斉値上げなどで異常と言えるほど上がったことによります。

こうした生活必需品の値上げは昨年秋で一段落かと思われましたが、その後も円安による輸入品の値上がりや原材料人件費の価格転嫁の容認政策で、高止まりの恐れがあるとも言われ、今後も予断を許さないところです。

企業設備は揺れはありますが、企業の設備投資意欲は堅調で、この速報も法人企業統計季報が出れば設備投資のところで上方修正の可能性もあると思っていますが、矢張り問題は民間消費、基本的は家計消費の動向で、これは消費支出と物価の相互作用で決まってくるところですから、当面、4-6月、そして、それ以降の家計消費の伸びが物価上昇を上回るかどうかが大きなカギでしょう。

という事は、2024年度の日本経済を成長路線に載せるためには4つの条件が必要という事になります。

1つは、賃金水準を、企業が可能な範囲で出来るだけ高める努力をすること。

2つは、価格の設定は厳密にコスト上昇にとどめ、便乗値上げをしない事。

3つは、生産性向上努力を最大限加速する事。

4つは、家計は、貯蓄指向から消費指向に少し気分を変えてみる事。         ◇

どうでしょう。どれもみんなやろうと思えば、出来る事のような気がしますが。


心配なアメリカ経済の今後と日本

2024年05月15日 16時27分26秒 | 国際関係

アメリカ経済はサービス部門の活況で、雇用も堅調、賃金も上昇で、その結果が消費者物価の上昇率が3%を切らず、この所は前月比も上昇という事のようです。

経済が元気という事は結構なことですが、生産性の上がりにくいサービス部門が好調というのは何か心配でもあります。生産性が上がらないと人手不足、求人増につながり、雇用増が経済の活発化、好況の先行指標と考えるアメリカの見方ではいいかもしれませんが、そのせいで賃金が上がり、消費者物価が下がらないという事になりますと問題が出て来ます。

というのは、FRBはインフレ目標2%を掲げ、それが達成されれば金利を引き下げ景気抑制策を止めると言っているのですが、この所消費者物価が3%がらみでそれ以上低くならないといった様子だからです。

FRBのパウエルさんは、この分では金利引き下げは当面視野に入らないといった発言をしています。アメリカの経済成長率の予想は、今年は2.6%(実質)で良いのですが金利が下がらないと住宅建設や製造業の景気は良くならないので、来年は1.8%の成長に減速の予想だそうです。

これはアメリカにとっても良くないのですが、アメリカの金利が下がらないと、日本との金利格差が開いたままになる可能性が大きく、日本は円安が更に進むとか、アジア諸国なども通貨安になってインフレ進行、経済不安などが言われ始めています。

アメリカは、今、国際情勢の不安定で、ウクライナ支援をはじめ出費が多ですから、ドル高の方が良い面もあるかもしれませんが、国際競争力という面では当然問題が出るでしょう。

その具体的現われかどうかは解りませんが、バイデン大統領が、中国製電気自動車(EV)の関税を25%から100%に引き上げるというショッキングな発言をし、更に中国対象に電池やソーラーパネル、加えてアルミや鉄鋼といった工業原材料の関税引き上げにも言及しています。

中国は当然これに反発して、何かトランプさん時代の関税引き上げ競争のような雰囲気になってきそうな気配です。

覇権国、基軸通貨国のアメリカが果たさなければならない役割は大変かと思いますが、残念ながら、アメリカの経済力はそれについてけないのが現状でしょう。

日本も、アメリカら防衛装備品など、色々な物を買わなければならないようですが、円安もあり大変な値上がりのようです。

今の対米関係では、NY市場と東京市場の関係のように、アメリカに依存して動くものがたくさんありますから、アメリカの経済情勢には最大限の注意を払わなければなりませんし、同時に、日本経済自体も、もっと確り力をつけなければならないのでしょう。

それにしては、日本の政権の現状は、一体何を考え、何をやっているのかコップの中の泥仕合という情けなさです。これではダメだと思っている人は大勢いるのでしょうが、それでは何をすべきかをきちんと考える人が出てこないというのが今の日本の一番の悲劇のような気がします。