格差縮小の再配分と格差拡大の再配分
(税金とマネーゲームの役割)
前回も、前々回も触れていますが、証券(株式など)のトレーダーの巨額報酬(賃金)の問題は折りに触れて、議論になりますが、その主な原因は、その仕事によって得られるGAIN(利得、収益)が往々にして超巨額だからでしょう。
実業においては、一般に収益が大きいという事は、その仕事の社会に提供する財やサービスが社会に広く受け入れられ、GDP(付加価値)の増加(経済成長)に貢献し、その結果企業の利益が大きくなり、賃金も高くなるという形が一般ですから、賃金上昇は社会への貢献の報酬として得られるという事になります。
しかし、株式などのトレーディングによる収益は、付加価値の生産には関係なく、マネーが移転するだけで、GDPはゼロサム、マネー(購買力)が移転する形での既存の富の移動という面が大きく、マネーゲームに成功すれば、それは投資銀行やファンドの収入となり、担当のトレーダーに巨額の報酬が支払われるという事になるのでしょう。
問題の根本は、社会における既存の富の移転がビジネスとして認められ、デファクトスタンダードとしてのルールができそれに従って、付加価値を作らないビジネスが巨額な資本蓄積をすることが出来るという富の再配分のシステムが認められているということでしょう。
社会の富の再配分といえば、近代国家では、政府が税制と補助金によって、社会正義にしたがって、所得格差縮小のための再分配するというのが本来の方法だったように思うのですが、民間の企業や個人が、マネーゲーム(ギャンブル)で再分配出来ることになって、結果的には、所得・資産の格差の拡大をもたらすということになっているのが現実なのでしょう。
客観的に見ますとこれは決して良い事ではない(社会正義の追求に反する)と思われるのですが、歴史的にはアメリカが赤字国に転落してから、こうした動きが進んできたようです。資本の自由化、金融政策の多様化、金融工学の発展、キャピタルゲインとインカムゲインを区別しない、全てのマネーは出自に関係なく同じ価値を持つという意識の一般化が進められてきています。
、
これは、ハッキリ言ってしまえば、万年赤字国になったアメリカが、その赤字を資本収支で埋めるために考案し導入してきたシステムのように考えられるのですが、その影響は大きく、「額に汗したカネ」と「あぶく銭」を識別してきた日本も、近年はアメリカ流の考えになって来ているようです。
ピケティが「新資本論」を書いて格差拡大傾向を憂い、日本でもマネー資本主義で資本主義は破綻すると論じる向きも少なくないのですが、現実は、金融危機やコロナ禍が余剰マネーの供給を強いる中で、マネー資本主義の活動はますます大きくなるような状況です。
リーマンショックを経験し、今また、アメリカのファンド破綻によるクレディスイス、野村HDなどの巨大な損失の可能性が報道される中で、マネー資本主義はますますの広がりを見せているようです。
こうした世界的な動きに適切に対応する経済政策の方法論は、まだどこにも見当たらないようです。
(税金とマネーゲームの役割)
前回も、前々回も触れていますが、証券(株式など)のトレーダーの巨額報酬(賃金)の問題は折りに触れて、議論になりますが、その主な原因は、その仕事によって得られるGAIN(利得、収益)が往々にして超巨額だからでしょう。
実業においては、一般に収益が大きいという事は、その仕事の社会に提供する財やサービスが社会に広く受け入れられ、GDP(付加価値)の増加(経済成長)に貢献し、その結果企業の利益が大きくなり、賃金も高くなるという形が一般ですから、賃金上昇は社会への貢献の報酬として得られるという事になります。
しかし、株式などのトレーディングによる収益は、付加価値の生産には関係なく、マネーが移転するだけで、GDPはゼロサム、マネー(購買力)が移転する形での既存の富の移動という面が大きく、マネーゲームに成功すれば、それは投資銀行やファンドの収入となり、担当のトレーダーに巨額の報酬が支払われるという事になるのでしょう。
問題の根本は、社会における既存の富の移転がビジネスとして認められ、デファクトスタンダードとしてのルールができそれに従って、付加価値を作らないビジネスが巨額な資本蓄積をすることが出来るという富の再配分のシステムが認められているということでしょう。
社会の富の再配分といえば、近代国家では、政府が税制と補助金によって、社会正義にしたがって、所得格差縮小のための再分配するというのが本来の方法だったように思うのですが、民間の企業や個人が、マネーゲーム(ギャンブル)で再分配出来ることになって、結果的には、所得・資産の格差の拡大をもたらすということになっているのが現実なのでしょう。
客観的に見ますとこれは決して良い事ではない(社会正義の追求に反する)と思われるのですが、歴史的にはアメリカが赤字国に転落してから、こうした動きが進んできたようです。資本の自由化、金融政策の多様化、金融工学の発展、キャピタルゲインとインカムゲインを区別しない、全てのマネーは出自に関係なく同じ価値を持つという意識の一般化が進められてきています。
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これは、ハッキリ言ってしまえば、万年赤字国になったアメリカが、その赤字を資本収支で埋めるために考案し導入してきたシステムのように考えられるのですが、その影響は大きく、「額に汗したカネ」と「あぶく銭」を識別してきた日本も、近年はアメリカ流の考えになって来ているようです。
ピケティが「新資本論」を書いて格差拡大傾向を憂い、日本でもマネー資本主義で資本主義は破綻すると論じる向きも少なくないのですが、現実は、金融危機やコロナ禍が余剰マネーの供給を強いる中で、マネー資本主義の活動はますます大きくなるような状況です。
リーマンショックを経験し、今また、アメリカのファンド破綻によるクレディスイス、野村HDなどの巨大な損失の可能性が報道される中で、マネー資本主義はますますの広がりを見せているようです。
こうした世界的な動きに適切に対応する経済政策の方法論は、まだどこにも見当たらないようです。