tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

今年は些か残念な年だったように思います

2015年12月31日 11時08分44秒 | 経済
今年は些か残念な年だったように思います
 今年の私の書初めは「安定成長路線」でした。日本経済としての条件は揃っていたので、勤勉な日本人のことですから、多少は積極的な経済活動が期待できると思ってのことでしたが、残念ながら、安定の定が「低」になってしまったようです。

 低成長ですが、成長は確保できました。これは日本人の生真面目さ勤勉性の賜物だと思います。

 此の所、国際情勢は不安定ですが、日本は、これからも出来るだけ安定して平穏な国であるべきでしょう。日本に来る多くの人々が日本の安定と平穏を実感し羨む意見を多く聞きます。

 安定と平穏のためにも、それを下支えする経済力が必要です。日本経済はもう少し元気を出して、長期の安定成長路線を目指さなければなりません。
 今年一年、折に触れて書いてきましたように、日本経済を安定成長路線に乗せるための条件はそろっています。あとは国民が頑張る気になるような政策作りでしょう。

 日本は超大国にはなれません、しかし、戦後の日本は、「ルック・イースト」「ルック・ジャパン」などと言われたように、日本のようになりたい国という気持ちを多くの国に持たせたことは事実です。
 改めてこの「ルック・イースト」「ルック・ジャパン」を、さらに広められるような「珠玉の国づくり」-ちょっと言い過ぎですね-を目指すべきではないでしょうか。

 中国の諺に「桃李言わざれども、下自ずから蹊を成す」というのがあります。そんな国づくりが日本に最適のような感じがしています。
 そういえば安倍総理は成蹊大学のご出身でしたね。

経常黒字の使い道

2015年12月30日 09時43分50秒 | 経済
経常黒字の使い道
 経常黒字というのは、その年に日本が生産した付加価値の中から使い残した部分で、現実にそれがどうなっているかというと、アメリカなど外国の国債を買ったりその他外国の債権・証券を買ったり、外国に預金したりということになっています。

 日本は中国と1、2を争うアメリカ国債の保有国ですし、日本の銀行はアメリカの証券を沢山買ってリーマンショックで大損をしたりしています。
 これをお読みの皆様の中にも、グローバルソブリンやブラジルボンドを買って損した方は多いと思いますが、日本の金利が安すぎるので、ついつい外国の高い利回りにつられ、結果は元本で大損ということになるわけです。

 こんなことになるのも、日本の金利が安すぎるからで、早くまともな金利が付く『 金融正常化
』をやってほしいのですが、為替戦争の戦略(円高にしたくない)や国内経済の停滞状況から出来ないようです。

 外国に預けて損するぐらいなら、思い切って使ってしまったほうがいいかとも考えるのですが、将来不安、老後不安があるので、銀行に貯金します。銀行が外国の債券・証券を買えば、あなたの代わりに銀行が損をして、金融不安、不況です。

 こうした行き詰まりを何とかしようとしたのが安倍さんの3本の矢でしょうが、1本目の金融の異次元緩和だけは成功しましたが、あとは・・・。
 それで新3本の矢になりましたが、目標だけあって、具体策がないのであまり本気にする人はいません。
 結果は、国内でカネはあっても回らない停滞状態です。

 このブログでは、最も肝心な消費の積極化を実現するのには、まず「 格差社会化」の危惧(すでに現実ですが)を払拭する政策が必要と言ってきましたが、所得税制、法人税制、果ては消費増税の軽減税率まで、逆行するものが多いようです。

 もう1つ、経常黒字の使い道があります。それは途上国援助です。中国は異常に積極的ですが、COP21でも議論され、日本への要請は大きいようです。
 外国のために使うのではなく国民のために使えという見方もあるでしょう。

 しかし戦後の賠償論議の中で、小島清が主張したように、こうした援助は援助の内容や政策の在り方の適切さを得れば、近い将来必ず日本経済への需要となって帰って来るでしょう。
 
 唐突に3万円をバラまいたり、労組の頭越しに、企業に賃上げせよとけしかけてみたり、政策がいかにも場当たり的で、総合的な視野に欠ける状況では、本格的な日本経済の活性化には道遠しでしょう。
 
 大きな経常黒字という大変な財産を持ちながら、それを生かせない日本の政策当局に情けなさを感じる方も多いのではないでしょうか。

為替レートと経常収支:経常黒字は円安のせい?

2015年12月29日 09時22分16秒 | 経済
為替レートと経常収支:経常黒字は円安のせい?
 国際収支(経常収支)の黒字・赤字の原因は、為替レートの設定にあるので、為替レートを変えれば何とかなると考えている国は多いようです

 アメリカは強いドルと言いながら本心はドル高は避けたいようですし、中国は人民元の切り上げには強く反対します。
 日本が失われた20年のデフレに苦しんだのも、そうした考えに基づいて、円の大幅切り上げ(1ドル240円から120円)に追い込まれたからです。

 今また日本は経常黒字はGDPの3パーセント前後を維持していますので、国際的には円はもっと高くてもいいという見方はあるようです。円安で輸出競争力が高まり、黒字になるという考え方によるものです。

 現実の為替のマーケットでも、日本はいつも黒字、だから円は安全(健全)通貨だということで、何かあると買われて円高になります。しかしもう円高で苦労するのはこりごりで、何とか120円あたりで安定してほしいというのが日本の本音でしょう。

 円高にならないために、日銀も金融の異次元緩和を続けなくてはなりませんし、それでは金融の正常化はなかなか実現しません。

 ということで、経常黒字の縮小を考える必要があるのですが、それには2つの方法があります。

 1つは、円高にする方法、経済学ではそういいますが、現実はうまくいきません。大幅円高になった後でも日本は経常黒字国でした。
 もう1つは、内需拡大で、GDPの使い残しをせずに全部使ってしまう方法です。このほうが、経済成長率も高くなり、雇用や賃金利益も増えて経済は好況、国民はハッピーです。

 アメリカやギリシャなら容易にそれができるのですが、日本ではこれが難しいのです。それは日本人が基本的に アリ型の国民だからです。

 確かに働いて蓄えるのは健全な経済行為です、キリギリス型ではいつか破滅が来ます。しかし日本人の場合は、何かに使うために貯蓄するのではなく、貯蓄するために貯蓄するようなことになる気配もあります。貯蓄は生かして使ってこそこそ意味があるのです。

 今、日本経済は大幅黒字を出しながら、経済成長が踊り場で、経済ムードも沈滞です。これを打破するのは、年間15兆円ほどにもなる経常黒字を「生かして使う」のが一番良いで方法でしょう。

 しかし放っておいても誰も動きません。安倍さんの新3本の矢でも誰も踊りません。日本人の知恵はそんなに貧困なのでしょうか。

 もしかしたら、今の日本人は上からの押し付けでは動かないのかもしれません。オリンピックのエンブレムではありませんが、みんなが参加する体制が必要のようです。 

購買力平価について:追記

2015年12月27日 16時06分06秒 | 経済
購買力平価について:追記
 前回、購買力平価(PPP=purchasing power parity)とマーケットの為替レートの問題に触れましたが、購買力平価の考え方と問題点を付記しておきたいと思います。

 A国とB国の為替レートが、両国の実際の経済の力や状況切に反映して決まっているかどうかを考える場合、両方の国で同じものを買ってその値段の比率で決めればいいというのが基本概念です。

 前回は、マクドナルドのハンバーガーの例を挙げましたが、現実に、消費者物価の購買力平価を計算するということになりますと、基本的には同じものを買って生活していてというのが考え方ですが、実際にはそうした比較は不可能でしょう。
 例えば、アメリカの消費者と日本の消費者では、消費の内容が違います。例えばパンと米、チーズと豆腐、と食べているものが違うのにどうやって同じものを買った場合に合わせるかといったことが必ずついて回ります。

 したがって基本的には、両国共通のもので比べることになりますが、当然限界は出てきます。二国間、多国間で一物一価とはいきません。
 基準年の数値が出れば、通常はそれを。それぞれの国の物価指数の動きで延長していくことになりますが、基準時では共通品目でも、いつまでも共通とは限りません。

 などなどいろいろな面で、正確な比較には限界があることは当然です。そうした厳密な問題は、適切に捨象して、大まかにいえば『この程度』ではないでしょうか、というのが購買力平価だと思て頂くのがいいのかなと思います。

 以前はヨーロッパで生活したほうが安上がりだと言っていたのに、今は日本での生活の方が楽だ、などと言われますが、考えてみれば、この2-3年随分円安になりましたからね…。などというのが大雑把な「為替レートと購買力平価」の関係でしょう。

購買力平価と為替レート:マーケットは正しいか

2015年12月26日 09時20分21秒 | 経済
購買力平価と為替レート:マーケットは正しいか
 2013年、黒田日銀の異次元金融緩和で、それまでの円高が円安に転じた時、当初は、日本の 円安政策はけしからんといった論調がありました。結局はアメリカが円安を容認したので、$1=¥100をマーケットも認め、その1年後の金融異次元緩和第2弾で$1=¥120が常態となりました。

 経済学では「マーケットは正しい」という考え方が基本にあり、これは本来そうあるべきだという点で、広く認識されていることでしょう。
 しかし、現実のマーケットは、巨額の信用取引を武器に、戦略的活動に満ちており、現に、とても「正しい」と言えないというのが実感でしょう。現に、ストラテジスト(戦略家)などという肩書の人がマスコミにはよく登場します。

 為替レートの場合、「適切なレート」の基準とされる指標に「購買力平価」があります。一定の量・質の財・サービスを買った時その国の通貨でいくら支払うかという数字で、その国の通貨の価値を測る方法です。
 マクドナルドのハンバーガーがアメリカで1ドル、日本で120円なら$1=¥120がマクドナルドハンバーガーの購買力平価です。

 TPP交渉でもわかりますが、アメリカと日本でも、アメリカの方が安いもの、日本のほうが安いものといろいろありますので、何をどれだけ買って比較するかの問題はついて回りますが、巧く活用すれば合理的な比較方法であることは事実でしょう。

 日本が円高に呻吟しているころ、OECDの調査で、日本の円は購買力平価より36パーセント高く評価されているという資料が出たことがありました。
 当時は、まさに実感だと思いましたが、今の日本で言えば、$1=¥120は、ほぼ購買力平価に近いものではないでしょうか。

 国際通貨研究所のデータでも、消費者物価で比べれば130円近辺、企業物価で比べれば100円近辺といった計測結果(2015年1月)が出ています。
 ゴルフなら、ハンディ12で実力も12といったところではないでしょうか。ドライバーの飛距離で稼いだり、寄せとパットが良かったり、いろいろですが、上がってみれば、いつも大体12オーバー・・・、といった感じでしょうか。

 しかしこれ($1=¥120)では日本は万年経常黒字です、もっと円高でも、といった意見も海外にはありましょう。しかし、縷々述べていますように、これは円高で解決すべき問題ではないようです。

 深刻化する日本社会の問題と重ね合わせて、国内経済政策で解決すべき問題でしょう。日本経済・社会の総合的なバランスの回復が必要なようです。
 次回、そのあたりを見ていきたいと思います。

過ぎたるは 猶・・・、円安には限度も 

2015年12月24日 10時10分12秒 | 経済
過ぎたるは 猶・・・、円安には限度も
 前回書きましたように、日本は円安を喜べるだけの経済的な実力を持った国です。

 円高デフレで失われた20年を過ごす中で、経済評論家の中には、国の借金(国債残高)の膨張に絡めて、今に日本の ¥は暴落し、超インフレ、国債は紙屑になるなどといった人もいました。

 異常な円高を強いられて不況になっていた日本経済を少しでも活性化しようとした政府の借金政策でしたが、日本経済に実力がなければ、国債紙屑論、ひいてはデフォルトの可能性があったのかもしれません。

 幸い日本の産業は、製造業中心に、世界が欲しがる財やサービスを提供する実力を持っていましたから。為替レートが正常化するとともに、実力が発揮され、健全で安定的な日本経済という評価が定着していきました。

 今、日本経済は経済的というよりも政治・社会的な理由で、経済成長の踊り場にあるようです。
 高齢化、少子化という人口構造上の問題に加えて、経済・社会制度、税制、社会保障制度などのアンバランスな運営の結果、格差社会化が進行しているからです。

 格差社会化の進行は、国民の間に「将来不安感」を増幅させ、もともと強い日本人の貯蓄性向をさらに刺激して、 消費不足社会 になりつつあります。これが、経済の順調な成長の邪魔をしているようです。

 こうした状況を反映して、一部にはさらなる金融緩和待望論があります。過日の日銀の政策決定会合の直後、日経平均が500円も暴騰し、本当の内容が分かった途端、前日を300円以上割り込む暴落に転じたことなどは、証券業界の異常な金融緩和期待の反映でしょう。

 日本経済の現状を前提に、さらなる金融緩和、当然これはさらなる円安の期待を含むと考えられますが、これ以上の異次元緩和が適切な金融政策、為替政策でしょうか。

 この問題は、現状の、政治、経済、社会などを全体的に鳥瞰的に観察して判断するといった立場から、経済・社会状況を総合的に見、そして判断していく必要があるようです。
 次回、問題点をもう少し掘り下げて見ていきたいと思います。

通貨安で喜ぶ国、苦しむ国

2015年12月22日 10時34分18秒 | 経済
通貨安で喜ぶ国、苦しむ国
 アメリカの金融引き締めで、世界中に流出していたドルがアメリカに還流し、新興国などで資金不足が起こり、通貨価値が下落するといった連鎖反応で、ブラジルのレアルやアルゼンチンのペソなどの価格が下落し、通貨価値が下落する国々の経済が心配されています。

 もちろんアメリカへのドル還流の影響は南米に限りません。トルコ、インド、インドネシアなどなど通貨下落が見られるようで、世界の新興国に共通です。
 こうした状況は、国際投機筋の動きによって増幅されるので、1997年のアジア通貨危機を連想させ、危機感を募らせる面もあるようです。

 アメリカ内部にも、金利政策変更は慎重にという意見もあるようで、FRBもアメリカ自体の経済状態も見つつ慎重の態度は崩していないようです。
 金融の正常化はいつかは必要なのですから、アメリカの今回の政策で、新興国経済、ひいては世界経済が混乱するようなことは、金融投機筋の動きも含め、避けたいところです。

 ところで、日本経済の例で考えてみますと、日銀の政策変更で、1ドルが80円から120円になるという円の下落で、日本経済は息を吹き返し、何とか成長軌道に乗るところに漕ぎつけたという実績があります。円安は神風のようなものでした。

 ところが、多くの新興国の場合は、通貨安で経済が打撃を受けるという見方が一般的です。この違いはなぜなのでしょうか。

 新興国でも国際収支が経常赤字の国と経常黒字の国があります。為替相場はマーケットで決まりますから、たいていは、経常赤字の国のほうが下落幅は大きくなります。
 通貨安では輸入は輸入インフレを呼び、輸出は競争力強化という関係がありますから、輸出のほうが多く経常黒字の国のほうが有利だからということでしょう。

 通貨安が輸出産業に有利であるということは、その国が加工度が高い輸出競争力がある(通貨が安くなればさらに競争力が付く)ような輸出産業を多く持っていれば大きな力になります。
 日本が円安で息を吹き返し、ドイツがユーロ安で輸出を伸ばすといった形です。

 しかし、耐久消費財や消費物資や必須の原材料などを輸入に頼る国は、輸入インフレに直撃され、競争力を持つ輸出産業がなければ、通貨安は打撃の方が大きくなってしまします。 
 先進国が通貨安に強く、新興国が通貨安に弱いといった今日の状態の原因はこんなところにあるようです。

 さらに、通貨安による輸入インフレを、賃金上昇などで、国内インフレに転嫁していまいますと、国内コストが上がって、輸出競争力の強化の効果が消えてしまいますので(インフレ体質の南米諸国に多い)通貨安はダメージだけになるようです。

原油価格下落と日本経済

2015年12月20日 09時30分20秒 | 経済
原油価格下落と日本経済
 アメリカが原油の輸出解禁というので、また原油価格が下がるなどと言われます。

 此の所、原油価格の下落で、何か経済の先行きが心配といった論調があります。多分、原油の下落で、底打ち上昇を読んだファンドや投信が痛手を受けたりして、その影響でしょうか、どこの国でも株価が下がり、なんだか原油安が世界不況につながるのではないかと心配になるといった事のようです。

 原油価格が下がったといって、日経平均も大分下げましたが、短期利益極大化を図る投機資本の思惑と、マーケットリーダーについていくという投機筋なパターンもありうるのでしょうか、しかし、日本の実体経済から見れば、どう考えても理解に苦しむところです。

 OPECが減産しないという決定をしたのにはそれなりの理由があるのでしょう。かつては2回の石油危機を世界にもたらしたOPECの結束はどうなったのでしょうか。
 ロシアやアメリカが世界一の産油国になるといった状況変化が関係あるのでしょうか。

 そうした原油供給国側の事情はともかく、原油の99パーセントを輸入に依存する日本経済にとっては原油価格の下落は何とも有難いことです。

 原油は日本経済にとってはまさに生活必需品です。それが大幅に値下がりしてくれたのです。石油危機の時は、原油値上がりでパニックとなった日本経済です。
 今回は結構な値下がりですから、値下がり分だけ日本産業のコストは下がり、その分余裕資金が増えて、利益計上にも新規投資にも有利な条件が生まれるのです。

 確かに原油が下がれば物価上昇はこの分だけ小さくなるでしょう。輸入インフレの逆です。インフレ率は下がり、消費者にも均霑して、経済活動(消費も含む)活発化のための余裕資金が生まれるのであれば、日本経済にとってこんな幸運はありません。

 資源価格は下がれば、また将来上がる可能性があるというのも経済の原則でしょうから、原油安がいつまでも続くと思うのは間違いでしょうが、今の時点では原油安という現状を十分に生かすような経営態度、経済運営をしっかり考えるべきでしょう。

 産油国にとっては深刻な問題かもしれませんが、日本経済は全く逆で、恩恵を受ける立場です。繰り返しますが、産油国経済、その影響を受ける一部の国の問題、さらには金融市場の多少の混乱もあるでしょうが、日本への影響はそう大きくないでしょう。

 マネーマーケットがどう反応しようと、日本の実体経済には、大きなプラス条件という事実を十分認識して、自信をもって日本経済の活性化に向けての追い風と考えて行動すべきではないでしょうか。

金融正常化の始まり

2015年12月17日 10時32分08秒 | 経済
金融正常化の始まり
 日本時間の今朝早く発表されたFOMCの結果は大方の予想内のものでした。
 フェデラルファンドレートを0—0.25から0.25-0.5パーセントに引き上げるということで、9年余かかったゼロ金利政策による金融破たんの回避を漸く収拾できる見通しになったことを宣言したということでしょう。

 客観情勢からみて、恐らくこのようなことになるとの予想が大勢だったこともあり、株式市場が多少喜んだ程度で、円レートにも大きな変化はないようです。

 このブログでも書いてきましたが、アメリカのこれからの金利引き上げは、極めて慎重なものになるでしょう。
 FOMCの声明でも、雇用、個人消費、設備投資は堅調だが、物価上昇はゆっくりで、純輸出(貿易収支)はまだ弱いことに言及しています。

 物価上昇が緩やかなのは、アメリカの事情というよりも国際的なものですから特に問題にすべきではないでしょうが、貿易収支の問題は、数十年来のアメリカの痼疾であり、ゼロ金利を齎した『サブプライム・リーマンショック』の原因だったわけですから、一言で済ませるには本当は大きすぎる問題で、長期的にはこれが問題の核心でしょう。

 声明の最後に述べている「FRBが非常に大きな額の長期証券を保有し続けること」が役に立つというのは、基本的に金融緩和は続けるということで、まさに、今回の声明は、金融正常化が「やっと」緒に就いただけということを象徴しているように思われます。

 日本では、日経平均が2日連騰した程度で、大きな変化はありませんが、いずれ日本も、金融正常化に踏み切らなければ、一億層活躍社会が描くような本当に健全な経済社会に脱皮したとはいえないでしょう。

 日本の場合は、国際収支が大幅黒字ですから、アメリカよりずっと有利な状況でしょうが、金利の上昇は大量の国債を抱えた政府の財政を直撃するでしょう。
 政府が国民の信頼を得つつ、ゼロ金利政策課あら脱出することは、やはりかなりの軋轢を予想しなければなりません。

 政府も日銀も、まだまだといった姿勢で、この問題には全く触れていませんが、アメリカが曲がりなりにも成果を見せれば、日本も、そう遠くない日にこの問題の処理にかからなければならないでしょう。
 
 今は消費税の問題で手いっぱいかもしれませんが、早いうちにそのシナリオも考え、国民の理解も得つつ適切なアプローチを図る必要があるのでしょう。

介護問題の本質;生産性の視点から

2015年12月15日 10時57分05秒 | 社会
介護問題の本質;生産性の視点から
 安倍政権の「一億層活躍社会」の中で「介護離職ゼロ」という目標が掲げられています。何か違和感を感じるのは私だけでしょうか。
 身内の介護のために離職する、つまり職を離れると、もう活躍していないということになるようです。活躍とはいったい何でしょうか。

 確かに家事労働はGDPになりません。介護をしても子育てをしても自分でやる限りただです。家事はお手伝いさんを頼み、子育ては保育所、介護は専門機関に任せ、自分は外で働けば、それぞれ給料が払われ、GDPが増えます。活躍というのは、GDPにカウントされるということのようです。

 それはそれとして、勿論、介護問題を取り上げてくれるのは結構なことです。介護は特に問題という意見も少なくないし、多くの識者が「介護の仕事は大変なのに」、「介護士の待遇が低いから」と介護職自体の離職の多い原因、介護の人材不足を指摘しています。その通りでしょう。

 問題は介護だけを目玉的に取り上げていて「それでいいのか」という問題です。
 というのは、こうしたことは、介護だけでなく、医療・看護でも、保育でも、家事手伝いでも、外食産業でも、さらに広げれば、理髪やタクシー、マッサージや整体などにも、つまり、1対1に近い対個人サービスに共通の問題なのです。

 問題の本質は、1対1に近い対個人サービスは「生産性が上がらない」ということにあります。賃金は生産性向上の結果上がるわけですから、その原則を適用すれば、対個人サービスに従事する人の賃金は上がらないことになります。

 しかしこうした対個人サービスに従事する人の所得も、当然その国の経済・社会全体の生産性向上に合わせて上がらなければなりません。
 市場メカニズムを入れれば解決するという意見もあります。しかし、社会保障分野の多くの問題は、市場メカニズムだけでは対応できないのです。

 市場メカニズムに任せれば、今のマネーマーケットのように必然的に格差が拡大します。これを阻止し、格差の少ない社会を実現し、資本主義(名前を変えたほう良い)の健全な発展を図るのには、政府の手による「適切」な所得など富の再分配システムが必須です。
 資本主義が生き延びたのは、社会保障を取り入れたからだとかつて書きました。

 経済社会安定のためには、生産性の上がり易い部分の成果の一部を生産性の上がりにくい部分に振り替えて配分し、格差の少ない社会を安定的に維持することが必要になるのです。
 医療では、生産性の上がりやすい医薬の部分の単価を引き下げ、生産性の上げにくい医療の部分の単価を上げましたが、配分の合理化の例でしょう。

  代々の政権が「税と社会保障」の一体改革といいます。必要なのはまさに「一体改革」の構想で、今度は介護、次は保育、こちらは医療、あちらは授業料・・・、と個別のつぎはぎ対策に追われて、モグラ叩きを繰り返さないことのような気がしています。

COP21、「 矢張りそこまでか」でしょうか

2015年12月13日 11時22分12秒 | 国際政治
COP21、「 矢張りそこまでか」でしょうか
 パリのCOP21が提示されたようです。巨大排出国の中国、アメリカもお尻に火がついていますから、今更CO2と温暖化は関係ないなどと言っていられないでしょう。目標とする「産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑える」が採択され、1.5度という数字も努力目標として明記されました。今世紀後半には、排出実質ゼロという地球環境のバランス状態達成も入りました。これは素晴らしいことでしょう。

 国別の目標作成、国連への報告の義務化は決まりましたが、達成の義務化は緩められ、5年ごとの見直しの義務化、世界全体の削減状況の確認で、いわゆる尻抜けは防ごうということのようです。 

 問題は、いかにしてこの目標を実現するかです。
先進国はそれなりの手段もありましょう。しかし、より多くの小さな途上国、特に被害の大きい島嶼諸国などはは、自国の排出量は少なくても、巨大排出国の被害をまともに受けながら、技術も資金もなく、自力での対策は、現実問題としては不可能です。

 ここで問題になるのは技術、それを開発し、利用するための「資金」の問題です。地球環境問題の本質は「ここ」なのですが、年1000億ドル以上とする途上国への資金支援は2025年までに設定ということになり。内容は詰められず、先延ばしになったようです。
 
 巨大排出国2国のうち、大幅黒字国といわれる中国は、自国の都合で優先すべき問題が山積でしょうし、アメリカは万年赤字国で、海外から借金しなければやっていけない国です。

 このブログでは NGR(nation’s global responsibility)という概念を提唱していますが、CSR(企業の社会的責任)と同様、自己都合優先や赤字経営では、CSRが果たせないのと同様、「国家の地球的責任」は果たせません 。
 国連を中心とした国家間の関係、国際関係が、個人や企業で一般的な行動規範(倫理)が尊重されるような「地球の社会的環境、(望ましい社会意識の一般化)」に早く行き着いてほしいと願うものです。

消費税軽減税率論議と格差社会

2015年12月11日 11時43分33秒 | 経済
消費税軽減税率論議と格差社会
 消費税の軽減税率では自民党が公明党に全面譲歩ということで決着の方向という報道がありました。

 この論議にはどう見てもあまり合理性がないと過日書かせていただきましたが、金持ちの方が余計に恩恵に浴すると思われる軽減税率の食料品全体への拡大を主張した公明党の意図がどう見ても明瞭ではありません。

 自民党が、最初、財源の問題もあり、生鮮食料品にとどめると主張しながら、何故に全面譲歩に踏み切ったのか、これにも合理的な説明はないでしょう。来年の選挙目当てというのは自民党にとっては合理的なのかもしれませんが、それは本来の税制改革の目的とは関係ありません。

 もともと、今回の税制改革は、「社会保障と税制の一体改革」と銘打っていたのではないでしょうか。消費税の増税は、社会保障給付の財源にすると私たちは教えられ、格差社会化への対抗策の一環として理解していたところです。

 自民党が最初主張した、マイナンバーカードを使って、一定所得水準以下の人には消費税を還付するという方法は、この趣旨からいえば、ある程度の合理性を持っているということでしょうが、マイナンバー自体が右往左往している状態で、そんな迂遠なことは説得力がなかったようです。

 もちろん、それなら、消費税による税の増収を社会保障税度全般の合理的な改善に使ったほうが、という意見の方がまともでしょうし、手数のかかることをやれば、それだけ公務員の人件費も増えるという意見もその通りでしょう。

 迷走の結果が最終的にどこに行き着くのか分かりませんが、いずれにしても、安倍政権が掲げる「一億層活躍社会」にスムーズにつながるようには思えません。
 かつて「一億総中流」「分厚い中間層」などと言われた時代は、日本の所得分布が世界でも屈指の「格差の少ない」社会の下で実現されたものでした。

 今、日本経済再生のために、政府は消費拡大に注力しているようですが、消費拡大は「格差社会では実現しない」というのが、最近の多くの国の経験から明らかになっているのではないでしょうか。

 消費税とは直接は関係ありませんが、子や孫への教育、住宅建設資金贈与などの減税、ジュニアNISAの導入など、格差社会の固定化につながる税制改革も目白押しです。

 安倍政権には、日本経済社会全体をしっかりと把握し、国民の望む目標に向けての、つぎはぎでない「一体改革」という言葉をもっと大事にしてもらいたいと思います。

2015年7~9月期のGDP上方修正

2015年12月10日 14時02分57秒 | 経済
2015年7~9月期のGDP上方修正
 12月8日に発表された7~9月のGDP第二次速報は、前期比の年率換算でプラス1.0パーセントとなりました。第一次速報の時はマイナス0.8パーセントですから、マイナスからプラスへ大きな転換で、「なんだ本当は結構よかったんだ」とほっとした人も多いようです。

 もともと対前期比の数字の年率換算は、経済の動きを見るのにはあまり適切ではなくて、前年同期比の方が適切とこのブログでは指摘していますが、今回は民間企業設備が大きく変わった(マイナス1.3からプラス0.6)ことが主因と言われています。

 確かにに12月1日に発表された財務省の「法人企業統計季報」を見ますと、この7~9月期の設備投資は、前期比で16.1パーセント増えています。法人企業統計の季報は資本金1000万円以上の企業を対象としていますから第一次速報では、大企業の設備投資が不振だったことを反映していて、中小の活発な動きが入っていなかったということでしょか。

 日本の速報値はかなり正確で、大きく変わることはないだろうから・・・、などと以前書いたことがありましたが、今回はちょっと裏切られた感じです。
 統計の発表は、早いことも大切ですが、本当に大事なのは正確さですから、拙速は避ける方がいいのではないでしょうか。今回は結果が良い方になりましたが、反対だったら、問題になるかもしれません。
 

戦前基準の消費者物価

2015年12月09日 16時26分41秒 | 経済
戦前基準の消費者物価
 アメリカの利上げ問題の中で、イエレンFRB議長は、最近、2パーセントの物価上昇は、いわば上昇の限度で、それ以上の上昇は、賃金・物価のスパイラルを起こしアメリカ経済にとって取って危険だといった考え方を示しているようです。

 従来「報道」されていたのは、2パーセントぐらい物価が上がらないと経済が活性化されているとは言えないといったニュアンスでした。最近は物価上昇が必ずしも2パーセントになる必要はない、それより低くても、雇用が着実に増加し、アメリカ全体の経済活動が活発化していることが分かれば、利上げは行うべきといった考え方のようです。

 かつて、欧米先進国でも、容易に賃金・物価のスパイラルが起き、インフレ率が10パーセントを超え、10パーセント以上の失業率と合計してMisery index(経済の不快指数)が20パーセントを超えるといった経済の惨状は今は起きないようです。

 この原因については、前回述べましたが、国際環境が変化し、それだけ労使を含めて国民の経済についての認識が進化してきたということでしょう。

 考えてみれば、日本でも極端なインフレ(消費者物価上昇)を何度も経験しています。労使を含め日本国民はそうした経験に学び、インフレを引き起こさないような行動を身に着けてきたように思います。

 戦前基準の消費者物価という統計があります政府・日銀の小売物価の調査から総務省が戦前の昭和9~11年(昭和恐慌のあと物価が最も安定していた時期)を基準にして、戦後から今までも消費者物価(東京都区部)の推移を計算しているものです。

 数字が出ているのは昭和22年(終戦の2年後)からで、数字は109.1です。戦後の2年間については国民所得統計もありません。日本経済は混乱の極でした。
 昭和22年の数字は109.1です。太平洋戦争を経て物価は100倍以上(年率52パーセント上昇)になりました。

 そしてそれからまた戦後のインフレ時代が始まりました。もはや戦後ではないといわれえた昭和30年の数字は297.4で、さらにほぼ3倍(年率13パーセント)に、東京オリンピックが終わって戦後最大の不況と言われた昭和40年には443.2で、年率4パーセント、神武景気、岩戸景気の時期で、戦後の混乱を脱し、物価の安定期になっています。

 昭和40年の不況から脱し、「いざなぎ景気」に入り、オイルショックで「いざなぎ景気」が終わる昭和48年には724.1(年率6.3パーセント)で、賃金・物価スパイラルの時期です。

 昭和48年秋に第一次オイルショックが起き、翌49年は877.8と1年で21パーセント消費者物価上昇です。ここでは、洗剤やトイレットペーパーが店頭から消えるパニック現象が起きたことをご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 日本の消費者物価高騰の歴史はオイルショックまででしょうか。2度にわたるオイルショックによるインフレの終息には数年を要しましたが、日本は、 労使、政府の懸命(賢明)な努力により、ここで日本経済はインフレと訣別します。
 
 2度のオイルショックが克服されたといわれる昭和55年の数字は1364.6、終戦2年後の昭和22年からは13倍ほど(年率約8パーセント)ですが、昭和49年から55年の年率上昇率は7.6パーセント、この間がインフレ克服(インフレ率年々低下)の期間です。

 そしてバブル経済崩壊直前の平成2年、数字は1709.8で昭和55年から平成2年の10年間、ジャパンアズナンバーワンと言われた好景気の中でも、消費者物価は年率2.3パーセントの上昇にとどまっています。
 その後は皆さんご存知の通りのデフレ経済に入ります。その中でも多少物価は上がり、平成22年は1767.3というのが戦前基準の消費者物価統計の数字です。

 戦争と物価、戦後の食糧難時代の物価の動き、高度成長期の賃金・物価スパイラル、オイルショックという輸入インフレと国内物価、バブルの絶頂での物価の安定、そしてデフレ時代の物価、そしてデフレ脱却と今の物価、このブログでは、これらについてすでに1つ1つ分析してきました。

 世界のどの国も望んでいる物価の安定、どのような物価の状態が国民にとっていいのか、どうすればそれが可能になるのか、これからますます賢明な判断が必要でしょう。

消費者物価の話

2015年12月07日 12時40分03秒 | 経済
消費者物価の話
 アメリカの中央銀行FRBも日銀総裁の黒田さんも消費者物価指数が年率2パーセント程度上昇するのが正常で健全な経済のようにいっていますが、最近、先進国の物価はなかなか上昇しません。

 このブログでは、デフレでなければ、消費者物価の上昇率は低いほうがいいと繰り返していますが、物価が上がらなければ景気が良くならないと考えている人は多いようです。
 かつて「数量景気」などという言葉もあって(昭和30年代初期、神武景気の頃)価格が上がらなくて、生産・消費が量的に増えるのが望ましいという考え方もありました。

 今先進国で物価が上がらない理由は知られていて、先進国の資本と技術が途上国に行き、割安な人件費で高品質なものが出来て、先進国市場に入って来るので、先進国の企業は価格引き上げができない、ということです。

 消費者には結構ですが、先進国企業には困ったことです。でもそれは自分たちが低賃金利用を目的に途上国に進出してやっていることですから文句も言えません。
 輸送コストも下がって、世界のどこで作ってもいいような状態です。

 まさに経済、生産活動のグローバル化の結果で、ある意味では大変結構なことなのでしょう。これもグローバルな資本の移動、情報・技術の移動、モノの移動(輸送)などのインフラが進歩したからで、以前のような「経済の国境」という概念は、かなり薄れています。

 これからの自由化された環境の中では、先進国経済は、ある国はインフレがひどく、ある国は低インフレ、ある国はデフレといったことは、為替レートの無理な変更がない限り、多分見られなくなるのではないでしょうか。

 アメリカは消費者物価が2パーセント上昇にならなくても、雇用が堅調なら利上げに踏み切ろうとしています。これは、かつて言われた「数量景気」を是認していることにほかなりません。

 少し余計なことを付け加えますと、経済が量的拡大から質的向上の時代に入ってきていますから、数量景気ではなくて「品質景気」という言葉が生まれてもいいのではないでしょうか。

 良い品やサービスが納得のいく値段で買える、物価は上がらないけれども、生活の質はどんどん良くなる、大変結構なのではないでしょうか。

 大変結構なことですが、消費者物価指数といった統計の技術面では、これが大変難しい問題を生むでしょう。
 それはいわゆる「原単位」の問題です。数量景気ならTV1台が2台になれば値段は2倍で1台の値段は同じ、物価上昇ゼロです。

 ハイビジョンが4K、8K、になったら1台の単価はいくらになるのが合理的か?自動停止装置のついた車の価格はいくら高くすべきか、1割高くて合理的か、2倍が合理的か原単位の価格の合理的決定をどうするのか、総務庁統計局は大変ですね。
 品質が上がって値段が据え置きなら統計上はデフレでしょうか・・・・・。