tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2つの格差

2007年12月29日 11時32分32秒 | 経済
2つの格差
 この何年か、格差問題が取り上げられ、論じられています。もちろん格差のない社会などは考えられないし、格差のない社会がいい社会とも考えられません。あるべき格差はあって、格差の内部が流動的であれば、格差が却って活力を生むのではないでしょうか。
 
 今の日本の格差問題、特に広く論じられている「所得格差」の問題は、大きく2つの問題から発生しているように思われます。ひとつは良く論じられている正規社員と非正規社員の賃金格差(これはすでに論じてきました)ですが、もうひとつは企業の収益力格差です。そしてこの2つは常に絡み合っています。

 収益力の高い企業の非正規従業員は、正規従業員への道が開かれたり、待遇改善が行われる可能性が出てきていますが、収益力のない企業の非正規従業員は、いくら最低賃金やパート労働法が改正されても、その適用を受ける前に、会社そのものがやっていけませんからということで、仕事を失う可能性が出てきます。収益力の低い企業は人件費の負担増に耐えられないからです。これはそうした企業の場合、正規従業員でさえ逃れられない可能性です。

 最低賃金は法律で上げられても、企業の収益性は法律では上げられません。その企業ががんばるより方法はないということです。企業の収益力が上げられなければ、最低賃金の引き上げは雇用を減らす可能性を大きくするだけです。

 所得格差の裏で、企業の収益力格差の拡大というという問題が、誰からもあまり触れられずに厳然として存在するようです。これには政府もほとんど無関心ですし現実に規制緩和などは企業の収益力格差を拡大しているようです。

 確かに企業の収益力を高めるのは、企業自身の努力でしょう。企業自身というのは、その企業の経営者と従業員です。経営者と従業員が協力して企業の収益力を高めることが所得格差縮小の前提になります。

 おりしも、最低賃金は引き上げられ、年が明ければ賃上げの労使交渉の季節です。賃金を上げれば、企業の収益力はさらに落ちるでしょう。このジグソーパズルをどう解いたらいいのでしょうか。これが解けないと、格差問題の改善にも前進はないでしょう。



経営計画の目標

2007年12月21日 21時39分05秒 | 経営
経営計画の目標
 企業の8割は何らかの形の経営経過うをお持ちだと、多くの調査の結果に出ています。
それでは、経営計画の目標として重要なのはなんでしょうか。

 経営計画は、数字で示されなければならないというのは共通の認識だろうと思います。「より良い企業になる」とか「高付加価値経営の企業になる」といった定性的な、言い換えれば「言葉」で表すような経営計画では、どうも経営計画とはいえないようです。

 ではどんな数字で経営計画の目標を決めるのかというと、多くの場合「5年間で売り上げを5割引き上げる」とか「10年で売り上げを2倍にする」といったような形で「売上高」で基本姿勢を示すことが多いようです。

 確かに売上高は、経営計画の目標としては誰にでもわかりやすくて良いのですが欠点もあります。たとえば、売り上げを伸ばすことは必ずしも収益を高めることにはつながりません。値引き販売で利益が減ることもありえます。また、売り上げを伸ばすために店舗を増やし急拡大していた企業が突如倒産といったこともよくあります。

 そこで、経営計画を立てる場合、いかなる数字を目標としての具体的な指標にすればいいのかといった問題が重要になります。一体どんな数字を取れば、間違いない経営計画が出来るのでしょうか。

 この場合、企業も人間と同じようなものだと考えるの良いようです。育ち盛りの人間にとって重要なのは、大きく成長することと健全な体質を作ることです。そこで、企業にとって成長と体質を表す指標は何かというと、こんなことではないでしょうか。

 成長を表す指標 = 付加価値生産性(従業員1人あたり年間付加価値生産額)
 体質を表す指標 = 自己資本比率(総運用資本の中で何パーセントが自前の資本か、つまり借金が多くなりすぎていないか)

 簡単に言えば、生産性向上の指標と財務体質健全化の指標です。この2つの目標を十分論議して、具体的に数値で決めておけば、経営計画の実践の中で、企業は年々より良い企業になっていくはずです。経営計画の具体化(数値目標の設定)の中で、この2つは是非確り抑えていただきたいと思います。



地球温暖化防止の視点

2007年12月04日 16時01分47秒 | 環境
地球温暖化防止の一視点
 地球は太陽の周りを回る惑星で、たまたまこの地球に生命が生まれ、それが人間にまで進化したというのは、多分奇蹟なのでしょう。この奇蹟をもたらしたのは太陽エネルギーに他なりません。

 太陽は、ただひたすらに無償で地球にエネルギーをくれています。それがなければ、地球の生態系の進化も人間の生活もありません。太陽光、太陽熱はもちろん、風力も水力も、潮流も冠雪も雪解けも、植物や動物の成長も総て太陽エネルギーによるものです。

 人間も、太陽が毎年無償でくれるエネルギーを感謝して年々活用していれば、何の問題もないのですが、太陽が太古の昔に長い時間をかけて地球内に蓄積してくれたエネルギー(化石燃料)を掘り出して数十年で使ってしまうような事を始めてから、大気中のCO2が異常に増えて、地球温暖化がいわれるようになっています。

 おそらく人間は太陽が地球に与えてくれているエネルギー全体のごく少しの部分しか活用していないのでしょうから、今年太陽がくれたエネルギーを十分に活用して今年のエネルギーの需要をまかなうような技術開発に、化石燃料獲得にかかる(紛争や戦争なども含めた)総ての資金をつぎ込むようにすべきではないのでしょうか。

 太陽はまだ当分光っていてくれるでしょうから、年々無償供与されるの太陽エネルギー の内どれだけを年々人間が使えるエネルギーに転換していけば、人間のエネルギー需要はまかなえるといった数値目標を立てて、それに向かって世界が協力して計画的な技術開発をしたら如何でしょう。

 環境汚染をして、化石燃料を使い果たして荒れ果てた地球の上でようやく本気で考え始めるのでは、あまりにお粗末のような気がするのですが。