昭和は遠く?
昨日は「昭和の日」でした。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、中村草田男の句ですが。明治への郷愁が思われ、語感の良さから「・・・遠くなりにけり」 はよく使われるところです。
平成も、もう29年になったのかなどと思いながら、ゴールデンウィーク初日の「昭和の日」です、「戦前の昭和から平成の今日まで、よくも生き延びてきたものだ」という思いで「昭和は遠く・・・」などとつぶやいてみましたが、忽ちそこで雑念がわいてきてしまいました。
「そうだ先日、中学の体育の教課に銃剣道が入ったなどという報道があったっけ・・・」
あの時思い出したのは、先ず戦時中の竹やり訓練でした。
「アメリカ兵が攻めてきたらこれで突き刺すのだ」と教えられ、牛の刻参りならぬ白昼に、藁人形を順番に突き刺して行くのです。
銃剣道も習いましたが、子供のころの記憶は恐ろしいもので、「銃剣で敵を刺したらすぐ抜け、そうしないと抜けなくなって、次の行動に移れなくなる」という教えは今も覚えています。
小学生にこんなことを教えていたのが昭和20年8月15日までの教育でした。「銃剣道 昭和は近くなりにけり」などと駄洒落を言ってみましたが、その昭和も、20年の8月15日までで、それ以降は全く違ったものになりました。
終戦の詔勅が下り、夏休みが終わって、2学期が始まった日、先生が黒板に大きく「 承詔必謹」と書いて、これから日本は全く違う国になるのだ、と教えてくれました。
そしてそれからの昭和は、そして日本国は、全く違ったものになりました。平和国家、文化国家、経済成長、技術開発、国際貢献・・・、私が今まで生き延びているのも、日本が違った国になったお蔭でしょう。
考えてみれば、「昭和」という時代は、日本にとっても、日本人一人ひとりにとっても、たいへん大きな意味を持つ時代だったのでしょう。
歴史としてしか知らない明治維新も、日本にとっては大きな変化でした。しかし、昭和という時代に、日本はさらに大きく変化したことは、私自身の生活の中で実感することになりました。
「昭和の日」って何? という感覚は、私自身も持っていました。「みどりの日」と入れ替えてできたような経緯もあって、何かゴールデンウィークのために便宜的に出来た祝日のような感覚が残っていたのかもしれません。
政府は、「昭和の日」については、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日だとしているようです。何か優等生の作文のような表現ですが、「昭和の日」はこれからも続いていくわけですから、その「昭和の日」の意義を、日本人一人ひとりが夫々に考えていくことが必要なのかもしれません。
昨日は「昭和の日」でした。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、中村草田男の句ですが。明治への郷愁が思われ、語感の良さから「・・・遠くなりにけり」 はよく使われるところです。
平成も、もう29年になったのかなどと思いながら、ゴールデンウィーク初日の「昭和の日」です、「戦前の昭和から平成の今日まで、よくも生き延びてきたものだ」という思いで「昭和は遠く・・・」などとつぶやいてみましたが、忽ちそこで雑念がわいてきてしまいました。
「そうだ先日、中学の体育の教課に銃剣道が入ったなどという報道があったっけ・・・」
あの時思い出したのは、先ず戦時中の竹やり訓練でした。
「アメリカ兵が攻めてきたらこれで突き刺すのだ」と教えられ、牛の刻参りならぬ白昼に、藁人形を順番に突き刺して行くのです。
銃剣道も習いましたが、子供のころの記憶は恐ろしいもので、「銃剣で敵を刺したらすぐ抜け、そうしないと抜けなくなって、次の行動に移れなくなる」という教えは今も覚えています。
小学生にこんなことを教えていたのが昭和20年8月15日までの教育でした。「銃剣道 昭和は近くなりにけり」などと駄洒落を言ってみましたが、その昭和も、20年の8月15日までで、それ以降は全く違ったものになりました。
終戦の詔勅が下り、夏休みが終わって、2学期が始まった日、先生が黒板に大きく「 承詔必謹」と書いて、これから日本は全く違う国になるのだ、と教えてくれました。
そしてそれからの昭和は、そして日本国は、全く違ったものになりました。平和国家、文化国家、経済成長、技術開発、国際貢献・・・、私が今まで生き延びているのも、日本が違った国になったお蔭でしょう。
考えてみれば、「昭和」という時代は、日本にとっても、日本人一人ひとりにとっても、たいへん大きな意味を持つ時代だったのでしょう。
歴史としてしか知らない明治維新も、日本にとっては大きな変化でした。しかし、昭和という時代に、日本はさらに大きく変化したことは、私自身の生活の中で実感することになりました。
「昭和の日」って何? という感覚は、私自身も持っていました。「みどりの日」と入れ替えてできたような経緯もあって、何かゴールデンウィークのために便宜的に出来た祝日のような感覚が残っていたのかもしれません。
政府は、「昭和の日」については、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日だとしているようです。何か優等生の作文のような表現ですが、「昭和の日」はこれからも続いていくわけですから、その「昭和の日」の意義を、日本人一人ひとりが夫々に考えていくことが必要なのかもしれません。