昨日は12月8日でした。8月15日と共に忘れてはいけない日です。
昭和16年(1941年)12月8日は、日本は太平洋戦争(当時は大東亜戦争)を始めた日、そして、昭和20年(1945年)8月15日は、その戦争の敗戦の日です。
この3年半ほどの戦争は、日本の歴史を決定的に変えることになりました。この戦争を契機に日本は「戦争をする国」から「戦争をしない国」になったのです。
この戦争の最終段階、アメリカが2発の原子爆弾(原爆)を広島と長崎に投下し、日本は世界で最初の原爆「被爆国」になりました。
原爆は、その人類殺傷能力の巨大さと、放射能汚染の影響から、人類絶滅の可能性を持つ所謂「最終兵器」となり、核兵器禁止の世界的活動に発展し今に至っています。
アメリカが日本に原爆を投下したことの可否については、今なお議論のあるところですが、日本はその直後に敗戦を認め、その結果として、最終的に「戦争をしない国」になることを宣言したのです。
今も、世界では戦争が続いています。戦争を終わらせようという気持ちは世界人類が持っています。しかし、戦争は、一旦始まると、やめるのは容易ではないのです。
戦争を終わらせることが容易でなければ、戦争を始めなければいいのです。その意味では戦争を始めた日は、戦争が終わった日よりも重要なのではないでしょうか。
はっきり言って、当事者としての人間が戦争を始めなければ、戦争はなくなるのです。
ならば、戦争の始まった日についての記憶、その時の意識、なぜ、戦争になってしまったのか真因を、人類は本気で研究しなければならないのではないでしょうか。
今年の8月15日前後には、戦争の惨禍を語り継ごう、それが再び戦争を繰り返さないための大事なことだという意識のキャンペーンがマスコミも巻き込み、大きな動きとして、人類社会から戦争をなくそう、日本は絶対戦争をしないようにしようという意思を表明しています。
確かのこれは大変重要なことで、人類が戦争という誤りを犯さないために、日本が再び戦争をしないために、今後も続けなければならない重要な継続的活動でしょう。
しかし、それと同時に、日本は、何故あのような無謀な戦争を始めたのか、誰が、どう考える事で始めてしまったのか、避けることが出来たのではなかったのかといった事を明確にすることは大事です。
海軍は反対だったが、陸軍が押し切ったとか、多少の情報はありますが決定的な情報は、多くの国民は知りません。
考えてみれば、今半分冗談、半分真面目で「新しい戦前」という言葉が言われます。
不戦を掲げた憲法を持ちながら、現実は、アメリカの都合で戦争に巻き込まれる可能性があるというのです。
国民の多くは誰がどう意思決定をしてそういう事になっているのか知りません。マスコミも責任者の追及はしません。
戦争を起こさないことが大事という意識は、どこまで徹底しているのでしょうか。
今年も巡ってきた12月8日に、気になっている日本の現状も含め、戦争は始めないことが大事という現実問題をあえて書いた次第です。
>非戦を謳う限りそれも想定内でしょう。
戦争に至るまでには、それなりの状況変化と時間があります。その国の積み上げた実績、その時の適切な判断、そして確りした外交力が必要でしょう