「昭和の日」には語り継ぐべきものがあるようです
今年も「昭和の日」は、ゴールデンウィークの幕開けです。
といっても、去年も今年もゴールデンウィークは薫風5月の風に乗って日本のあるいは世界の文化を味わいに出掛ける事もすべて不要不急と切り捨てられる「金」ならぬ「錆鉄週間」という惨状です。
これも新型コロナやその変異株のせいですから抗う術もなく、家庭内で、なるべく一家団欒で過ごしたいものだと思うところです。
ところで折角の「昭和の日」です。昭和生まれの人もだんだん少なくなって来るのでしょうから、ご家族などに昭和を生きた方が居られれば、昔話を聞かれるのもいいのではないでしょうか。
すでに昭和はレトロの時代になり、「たばこ」の看板や、ダイヤルのついた「黒電話」がレトロの象徴になっているのですが、同じ昭和でも最初の20年は、思い起こせば日本史上最悪ともいうべき悲惨な時代への突進でした。
昭和12年には日支事変が始まり、軍部の力がますます強くなり、昭和15年、皇紀2600年を祝うと、翌16年12月には太平洋戦争(当時は大東亜戦争)に突入したのです。
結局この戦争は経済力、生産力、技術力の差に精神力で対抗しようとしたわけで、戦争の後半では日本全国の主要都市がB29という米国重爆撃機の爆弾・焼夷弾で廃墟となり、とどめは広島・長崎の原爆で昭和20年8月15日の終戦(敗戦)に至ったわけです。
私は、この昭和初期の経験が、日本人を縄文1万余年に培った「争わすに多様性の共存を実現する」という本来の思想に立ち帰らせたのではないかと思っています。そして日本人は、昭和の時代を通じて国民生活の豊かさや快適さは国民の働きによっていくらでも改善できることを世界中に示しました。
昨年の今日、 家内と話していて気が付いたことを書きましたが、これが単なる偶然か、偶然ではなく日本の歴史が日本人に選択させた必然か、矢張りよく考えてみる必要があるように思います。
西南戦争の後は、日本では、領地問題や権力争いで戦う事はありません。富士山の頂上が静岡県か山梨県かで戦になるとはだれも考えません。
1946年(昭和21年)以降、日本は領土問題や権力争いで戦争はしていませんし、紛争で殺人を正当化すようなことはありません。
日本は人類社会の進むべき道を、日本なりに、明治と昭和という元号とともに成し遂げてきているのです。
しかし、世界にはまだ日本の明治より前の時代のように内戦に明け暮れている国も沢山あります。外国との戦争も辞さない国、現に戦っている国もあるのです。
世界のより多くの国がその歴史の中で、戦争といった野蛮な行為から卒業する日がいつかは来るのでしょう。日本はそれを少し先取りしたという事になるのでしょう。
しかし世界の発展、人類社会の発展の道は、やはり日本の歴史が作って来た道しかないはずです。そしてそのベースには日本列島に多様な民族が集まりながら、平和に共存した縄文1万年余の経験が、今は均質的になった日本人の海馬の中に残っているからではないでしょうか。
その意味では、改めて昭和の日を、世界に誇るべき日本史の発展の記念すべき元号の日として長く祝う事に大きな意義を見出すべきではないでしょうか。
見えてこないワクチン接種計画の具体像
日本は世界の国々の中でもワクチン接種率が最下位に近く、OECD加盟国の中ではまさに最下位の国のようで、最近はその状況がテレビの画面で示されたりしています。
4月18日のOECDの資料では最下位の日本が0.98%、韓国2.98%、メキシコ8.68%から、上はアメリカ39.24%、トップはイスラエルで61.81%まで並んでいますが、先ず解らないのが、何故日本がこんなに低いのかです。責任は政府にあるのでしょうが、政府からの説明はありません。
しかしオリンピックもやることですし、放っては置けないのでしょう、政府もやっと担当大臣を置いたり、総理が訪米のついでにファイザーの社長に電話したりして、最近は少しワクチンも入って来て接種率も2%ぐらいにはなったようです。
これはまあ、結構なことですが、いつまでにどのくらい入ってくるかは国民には全く知らされていません。知らされているのは、7月までには高齢者に対して2回の接種は完了する予定という情報だけで、2回ですからファイザー社のワクチンでしょうが、ファイザー社からの供給がどうなっているかの説明はありません。
国民は皆ワクチンが来なければどうなるんだと思っています。政府は情報を持っているのでしょうが、国民には知らせないという事でしょうか。
更におかしなのは、昨日ですか河野担当相が突如として全国の市区町村にワクチンを1箱ずつ配ると言いました。
何で1律1箱か問う質問には1箱でも1000箱でも手続きは同じだとか言ったそうです。1箱配って、自治体に接種の順番や手続きの練習をやらせるという趣旨だったようです。そんな事のためにマイナス73℃の冷凍貯蔵の貴重品を、たった1箱づつ全国市区町村に配るものでしょうか。
そして今度は、都内の区等への配分の基準が解らないという問題が起きています。
人口も高齢者も多い世田谷区が17箱、葛飾区47箱、江戸川区38箱といった数字が出て、一体どうなってるのという疑問です。
これに対しては、あらかじめ希望の数を聞いていたので、希望の数の多い所に多く配分したとのことでしたが、それならそれと最初から明確にしておかないと、とんだ誤解が生じるというのが一般的な感覚でしょう。
こうした点から見えてくるのは、行政サイドが国民、住民と十分なコミュニケーションをせずに、「知らしむべからず、寄らしむべし」という態度に終始しているという事ではないでしょうか。
「国民の皆様のご意見をお聞きして」は政府の口癖ですが、
・国民に情報を周知し、意見を聞いて適切に反映するのがベスト
・国民への周知は避け、意見を聞くふりをしたうえで無視して勝手にやるのは最悪
本当に今の政府は、モリ、カケ、サクラ以来、国民にとっての重要な関心事について、大事なことは何にも説明してくれないですね。
アセアンは新しい国際関係への道を開くか
アセアンの首脳会議が24日インドネシアのジャカルタで開かれました。
このサミットが世界の注目を浴びた理由の一つに、今、まさにミャンマーの危機を演出している国軍のトップ、フライン将軍も、自らはミャンマーの代表として出席したからです。
勿論、ミャンマー以外の各国代表は、将軍をミャンマーの代表とは認めていません。しかし将軍はうまく行けばここでミャンマーの代表として認めてもらい、国際的にクーデターによる新政府が国際的に認められる足掛かりにしようという意図は当然あったでしょう。
アセアンがこの事態にいかなる方針を持ち、いかなる対処をするかは、まさに注目されるところです。
勿論、アセアンとしては、将軍を正式な代表としては認めず、先ず軍による国民の殺戮行為は即座に停止するべきで、その上で、国の体制はどうあるべきかは、関係する全者の話し合いが必要という最も基本的な形を考えたのでしょう。
結局ミャンマーに対して、アセアンとして取るべき5項目の計画を示し、それに対する合意を得るといことになったようです。
その5項目とは
- ミャンマーにおける暴力行為の即時停止
- 全関係組織による全国民の利害にたつ平和的な解決探求のための建設的対話
- アセアン事務局長中心のアセアン主導による仲介
- アセアンAHAセンターによる人道的援助
- ミャンマーにおける諸種の活動の現実確認のための特別使節団、代表団の派遣
の5項目です。(以上Bangkok Postなどより)
硬軟取り混ぜて、微妙な表現もあり、反対はしにくいし、賛成すると、またいろいろなことが起こりそうな、そして実行されれば問題はほとんど解決するのではないかと思われる、極めて確りしたもののように感じられます。
ホスト国インドネシアのウィドド大統領は、第一項目の、即時一斉に暴力を停止することが最も大事と指摘されたとのことです。
フライン将軍は、公式にはコメントは延べなかったとのことです。
シンガポールのリーシェンロン首相が、スーチー女史の解放を要請したとの報道、また同氏が記者たちに対して、将軍の意見として、アセアンの建設的な役割り、あるいは代表団の来訪あるは人道的支援には反対しない。アセアンと共に建設的に前進しようと思うと、将軍の言葉を引用しながら話したと伝えています。
考えてみれば、第二次大戦後に独立を果たし(タイはもともと独立国)、ともに発展する新興国のグループとして目覚ましい発展をしてきたアセアンです。
結果がどうなるのかまだ解りませんが、もし暴力が収まり、正常な民主主義が機能するようになれば、事は単にアジアの一部ではなく、世界の国々、地球人類のガバナンスに道を開く活動の嚆矢となる可能性もあるのではないでしょうか。
良い成果を期待したいと心から思う所です。
政府不信の進行を憂う
日本人は勤勉で真面目という印象を持たれているようです。
例えば赤信号の交差点で、車が来なければ渡と言おう判断をする人が多い国もありますが、日本人はたいてい青になるまで待っています。
中には日本人でもアメリカやヨーロッパで、車が来なければ渡るという行動を見て、これが自立・自己責任、行動の自由の本質だなどと感心するのを聞いたこともありますが、多くの日本人は亜あり賛成しないでしょう。世の中には予想外のことも多いのです。
今回のコロナの問題にもそんなところがあります。欧米はじめ海外では、感染は自己責任といった意識が強かったようで、一方日本は昨年4月5月と緊急事態宣言をだしその結果の感染率は、外国が不思議がるほど小さなものでした。(当時のグラフを改めてみてください)
しかし、その後が良くありませんでした。おそらく、政府は緊急事態宣言の効果を見て、対策は容易と誤解したのでしょう。
外国では、例えばアメリカのように感染が急拡大し、トランプ大統領は慌ててフォード社に人工心肺装置の大量生産を命じたり、ワクチン開発に1兆円以上の補助金を出したりしました。
どちらも、政府としては失敗だったという事でしょうが、失敗の本質はアメリカの場合は最初に「自己責任て済む」と考えた事、日本の場合は最初は慎重に考えたが、その結果が大変に上首尾だったのを、緊急事態宣言の効果と考え、いざとなれば「宣言」で何とでもなると考えた事のようです。
日本の場合、これならGoToで景気落ち込みを防げるぞと考えたのでしょう、結果的に感染を大きく広げ、ワクチンは他力本願、宣言の代わりに「マン防」を出したりし、ついには3回目の「緊急事態宣言」に入るという、全て後追いに終始する結果になりました。
政府の意向を忖度していた専門家会議も、最近は、多少政府に批判的なことも口にするようになり、国民の中でも、早くワクチンを射ちたいと言う人が増えていますが、中には「緊急事態宣言」が出てももうあまり効果はないんじゃないですか、などといった発言も聞かれます。
「緊急事態宣言」の効果は、感染者の数が増えるほど、また、「特に行動を変えない人」が増えるほど小さくなっていきます。
しかも今回の「緊急事態宣言」は4月25日から5月11日の17日間ということで、東京と大阪、兵庫、京都の4都府県、何か、ゴールデンウィーク前後だけ出歩かなければいいという事のようですが、これで「宣言」がどの程度有効でしょうか。
専門家からは、この期間ではとても無理という意見出ているようですが政府には政府の都合がありそれが優先されているのでしょう。
政府は「短期間で厳格に」という趣旨の様ですが、厳しくやると言っても、感染するかどうかは国民一人一人の行動次第なのです。
この1年の政府の政策を日々経験して、次第にコロナ対策に批判的なっている国民に、厳しい努力を求めても、1年前の様にはいかないでしょう。
その責任は、国民にではなく、適切な対策を打ってこなかった政府にあるようです 政府は、政策の効果が思ったように上がらなくてもそれは自らの責に帰するものと心得、日本人という真面目な国民の信頼を維持出来なかったいという自責の念を痛感してほしいと思う所です。
温室効果ガス排出2030年に46%削減は意欲的ですが
現在進行中のオンライン気候変動サミットでは、アメリカの招きに応じて中国の習近平主席も参加、米中対立の中で、この分野だけは相互協力の動きがみられる貴重な分野です。
バイデン大統領は2050年カーボンニュートラルを掲げ、世界の主要国も一様に同様の姿勢打ち出しています。
日本もすでに菅総理が、2050年カーボンニュートラルを日本の方針とし、今回のサミット出席にあたってはさらに2030年までに温室効果ガスの(2013年比)46%削減という目標を設定、世界主要国の水準に後れを取らにように頑張る姿勢を示しています。
ところでこの46%削減という数字についてですが、菅総理は「これまで政府が積み上げてきた結果の目標数値」と説明していますが、多分これは真実ではないでしょう。
解説によっては1950年にカーボンニュートラルを実現するために2013年から直線的に伸ばした結果2030年には46%の削減になるという数字との解説もありましたので、それで、そうなるかどうか検算をしてみました。
1913年を削減率ゼロ%とし、2050年を削減率100%として計算してみますと、毎年約13%ずつ定率で削減していけば。2030年に45.9%になって、2050年度には99.9%になります。
という事で、多分この数字だなということになるのです。(50%削減でカーボンニュートラル実現のいう仮定でしょうか)
実はそんなことはどうでもいいのです。ただ、つい先日もファイザー社が9月までに必要なワクチンの全量供給してくれるなどとすぐバレる不適当(?)発言があって、その釈明もないので、これも・・・、と思って検算してみただけです。
本当の問題は、こうした大きな事業の目標というのは過去の積み上げでは通常不可能で、本来の力点は、目標の正当性、妥当性であるべきなのです。
以前、トヨタ自動車が、安価で良質な大衆車の決め手になるような車という事で「ヴィッツ」の生産を企画したとき、「あらゆる部門で30%のコスト削減」という指令を出したと当時の奥田社長が話すのを聞いた事があります。
全社、関連会社一丸となって画期的な車を作ろうという時、経営トップはまず基本理念を、意識改革を求めて打ち出すことが大事でしょう。
温室効果ガス排出削減は世界人類の問題です、お役所は勿論、国民全体の意識が揃わなければなりません。2050年カーボンニュートラルは日本の公約です。やらなければならないのです。
今後ほぼ10年という長期計画を立てるとき、必要なのは、過去の経緯の積み上げではないはずです。
総理たるもの、そんなところで、過去にとらわれた「積み上げ」など言わずに、「やらなければならないことをやるのだ」という透徹した意識と、確固たる信念を披歴してほしいと思う所です。
結局は「捕らぬ狸」のワクチンに
菅首相が訪米から帰ってきて「今年9月までに2回分のワクチン接種が可能になる」という趣旨の発表をしました。
アメリカでファイザーのプーラ社長と話した結果ということで、危ない危ないと思いながら、もしこれが実現すればという期待を込めて、4月15日に「9月まで徹底的に頑張れ」というブログを書きました。
しかし、今日現在、すでにこれは菅総理の独りよがり、あるいは誇大報告で、真実はとてもそんな旨い具合にはいかないようだと言う事が解ってきてしまいました。
参議院の厚労委員会で野党側に質問に対して総理が詳細の説明は差し控えると5回言ったり、マスコミ関係の同社に対する問い合わせで協議が進行中の問題という回答があったりして、9月OKといった線は何処にも見られないということのようです。
安倍前総理は「息を吐くように嘘をつく」などと言われたりしていましたが、菅総理はたたき上げで苦労人という評価もあったことですし、一生懸命やっているところも見えるので多少は信用してみたのですが残念でした。
日本の会社なら、政府は怖いですから、政府がそう言ったら忖度して嘘にならないように辻褄合わせに努力するかもしれませんが、アメリカの会社にそれを期待してもとても無理な話でしょう。
ところで今日、アメリカからニュースが飛び込んできました。バイデン大統領がワクチン接種のペースを早めて7月には完全実施に持っていくという方針を表明したというのです。1日300万回のペース(従来200万回)です。
恐らくファイザーは生産設備も拡張、生産ペースも上げるでしょう。その結果、7月一杯で、アメリカ国内の需要が急減することも予測され、そうなると、新しい販路の開拓が必要になります。
その際、事情を察知しているバイデン大統領が、菅総理の窮状を察して、親切にもファイザー社に「日本はどうかね?」なんて言ってくれるかも知れません。
菅総理はバイデンさんが忖度してくれた大喜びするでしょうが、これこそ「捕らぬ狸の皮算用」だというお笑いの一席。
平和憲法を持つ日本は基本的の「専守防衛」でしょう。最近敵基地攻撃能力を持つべきなどという憲法を蔑ろにする異見もあるようですが現状では論外でしょう。
国際法も認めるように、正当防衛のための防衛力は認められるでしょう。それを磨くことも必要ですが、しかし、「専守防衛」に徹することが日本の存在意義を確立する基本でしょう。
であるからこそ、日本は優れた〔ソフトパワー〕を構築しなければならないのです。
では、 ソフトパワーとは一体何でしょうか。国際関係でいえば、国際紛争を戦争をしないで収める力、自分の国に、相手が攻め込んだり、戦争を仕掛けたりさせないような力という事ではないでしょうか。
つまりは自国も含め、国際紛争を平和的な手段で解決する力という事でしょう。
という事で、言葉の意味するところは解るのですが、ではその中身は、ソフトパワーを齎す源は何かという事になると、これは大へん難しい問題でしょう。
よく言われますように、交渉力というものも大きな要素ではあるでしょう。しかし交渉力もその人が代表する「国」という背景如何によることも当然でしょう。
こう考えてきますと、国際的な交渉、場合によってはかなりきわどい交渉のような場合、その国を代表する人の話術や交渉力もさることながら、圧倒的にその国の実力、重要な問題における持つ水準の高さ、国際貢献度の高さなどがモノを言うのではないでしょうか。
アメリカや中国が軍拡競争をするのは軍事力という力を背景にすることが必要だからでしょう。
ならば日本の場合はどうなのでしょうか。
先に述べましたように専守防衛とはいえ軍事力を背景にソフトパワーを持とうというのは理論矛盾ですから、日本は、軍事以外のもので世界主要国をリードする実力を持たなければならないのでしょう。
それは文化の高さであり、科学技術の水準であり、国際貢献のㇾべルであり、倫理観の高さであったりといった、広い意味の「国としての品格の高さ」でなければならなのではないでしょか。
今の日本でも、国民の真面目さ、礼儀正しさ、整然とした行動、国際貢献の在り方や、文化の多様性の尊重など優れた面もあるのではないでしょうか。
一方、日進月歩の学術分野の政策の手抜き、科学技術、特にデジタル、サイバー分野の立ち遅れなど、かつての日本だったらお家芸と言われたであろう分野での不振が目立ちます。
確りしたソフトパワーを、その源泉の涵養によって確立するということは、場合によっては、ハードパワー(軍事力)を持つことより余程難しいのではないかと思われます。
しかし日本は、これからもソフトパワーで生きることをもって、不安定化する世界を生き抜くリードしていくしか行く道ないでしょう。
政府は本気で褌を締めな必要があるのではないかと、この所つくずく感じるところです。
アメリカにとって、日本の総理を先ず対面会談お相手に選んだというのは、恐らく当面の問題として台湾海峡が厳しさを増し、その時に最も依存しなければならない可能性のある日本という意味が大きかったのではないでしょうか。
何となく朝鮮戦争の時を思い出してしまいますが、これは多分に地理的問題でしょう。
共同声明では、台湾海峡問題は平和的解決を目指すという文書になっていますが、それだけであれば、日本の従来の主張と何ら変わらないということになり、菅総理は、「日本の従来の主張がそのまま日米間で確認された」と胸を張りました。
今後6年のうちに中国が台湾に侵攻するという風評があったりする中で、今までと同じことを確認し合って済ましているだけで良かったのでしょうかといった疑問も当然湧いてくるというところでしょか。
その疑問を刺激したのが、岸防衛大臣の発言です。
岸防衛相は
「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。」
という、開かれたアジア太平洋の記述の後にさらっと書かれている共同声明の中の文章を引き合いに出して、次のように述べています。
(NHK NEWS WEBから引用)
『これについて岸防衛大臣は閣議のあと、記者団に対し「宇宙、サイバー、電磁波を含む、すべての領域で能力を有機的に融合し、みずからを守る体制を抜本的に強化していく」と述べました。
そのうえで、抑止力と対処力を一層強化するため、日米同盟での日本の役割を拡大していく考えを示しました。』(引用ここまで)
菅首相が帰国されて、すぐあとの閣議ですから、日米会談につての議論が主要なものだったと思われますが、菅総理の発言は最も心配される台湾海峡問題の平和的解決で一致という説明ですし、岸防衛相は防衛装備の充実に力点を置いた発言になっているわけです。
総理が理想を説き、担当大臣が実務を話すというのは大変良い組合わせという事かもしれませんが防衛力の強化や、在日米軍への「思いやり予算」(重い槍予算)はバイデン政権の下でも次第に重くなるでしょうし、習近平が、専制意識を強めれば強めるほど大変なことになるのでしょう。
日本としては、ハードパワーもさることながら、これからも一層 ソフトパワー に磨きをかけることがますます大事になってくるよな気がします。
コロナ対策の目標が明確になりました。今、政府が国民にいうべきは、
「あと5か月と10日、9月まで、コロナ感染防止に徹底して頑張ってほしい。9月にはすべての国民(正式には16歳以上の居住者でしょうか)に、2回のワクチン接種が終わる。そこからは、コロナ対策の新しい次元に入る。9月までは徹底的に頑張ってほしい」
と明確に宣言することではないでしょうか。
ファイザー社からのワクチン供給の「数量と期限」が明確に約束が取れたと政府は報告してくれました。
5か月と10日は長いようですが、過ぎてみればきっと短い期間でしょう。もちろん、政府は、日々のの生活が成り立たない人達への生活保障はすべきでしょう。しかし売り上げが落ちるとか仕事の量が減るとか言った場合でも、9月までの耐乏生活という事であれば、ほとんどの国民は頑張れるのではないでしょうか。
何にしてえも、期限が区切られたという事は大変大きなプラス要因だと思います。今までの状況では、来る来ると言いながら来ないワクチン、一体何時まで待てばいいのだ、という予想のない、出来ない状況の中で、「まずは国民のコロナ対策の意識の徹底・高揚」ばかりが言われて来ていたのです。
「あてどのない努力」ほど人間のやる気を阻喪するものはありません。今の第4波(菅総理は認めていないようですが)などはその典型でしょう。
9月までと期限が切られることで、国民の意識も全く変わるでしょう。
改めて、政府に、早急な「9月まで宣言」をお願いしたいと思います。
日米会談の結果が詳細な報告も含めて出てきました。種々の評論も出てきました。
アメリカ主導の影に隠れてしまって、日本の態度表明はかなり影の薄い物になってしまったようですが、アメリカがバイデンさんになって、トランプさんと違ってまともな道を進むことが鮮明に出されことは大変良かったなと思うところです。
何と言っても最大の問題は難しい米中関係の中で、日本に何を求めるかが菅総理にとっては最大の問題だったのでしょうが、そのあたりは、「連携して」という総論段階で終わっているようです。
ただ、バイデンさんが就任以来明言している対中関係を「 競争 」という言葉で表現しているのは大変結構だと思っています。
トランプの場合は関税戦争、相手が降参するまでという事でしたが、競争でしたら、相手も伸びる、こちらも伸びる、どちらがより伸びるかという事になります。 これは「争いと競い」の基本的な違いで「競い」の方が決定的に優れていることは明らかです。もちろん、台湾問題も平和的解決を明確に主張っしています.。
アメリカが競争という態度に出れば、これは子供の喧嘩ではなく大人の関係になります。残る心配は中国の考え方です。
実は中国の方はかなり心配だと思っています。といのは、習近平さんが、終身主席になるという選択をし、巨大な中国をまとめるためには、専制主義が最も適していることを信条とし、同じことを世界を治めることにも必要だと考えているという悪夢の様な情報が多く聞かれるからです。
こうした情報とともに、香港問題や新疆ウイグル自治区の問題が報道され、今、台湾問題の深刻化も予見される様相という事になりますと、中国問題の深刻さが、(わが国では尖閣問題とともに)伝わってくるところです。
マスコミでは、今回の日米会談について、日本に求められる役割は何か、日本はよくそれを果たしうるのか、といった指摘も多いようですが、本当の日本の役割は何でしょうか。
多分、本当の日本の役割はバイデンさんの「競争」の主張、台湾問題の平和的解決といった主張に合わせて、習近平さんに、歴史によれば、専制主義の末路は哀れであること、専制主義は短期的に国をまとめられてもSDGsにはなりえないこと、中国4000年の歴史を振り返って見て欲しい事などを、心を込めて語り、少しでも理解してもらう努力をすることでしょう。
今の日本の政治家にそれだけの力量を持った人がいるかを考えてみますと、日本がそんな役割をはたすことは夢物語で、バイデンさんの「競争」の識見にのって、その役割の中の幾何かをはたせれば程度のところを期待するのがベスト、といった感じがしてしまうのですが、困難な時にこそ 「大人出でよ」 と願いたいところです。
歌の文句じゃないですが、これが現状でしょうか。
菅総理は、文字通り、飛行機に乗って、舞い上がってバイデンさん会いにゆき、そろそろ会談に入るのでしょう。
明日になれば共同記者会見のニュースが入るでしょう。それまちです。
第4波はいよいよ深刻ですが、政府は、国民にお願いします」だけ。打つ「手」も「ワクチン」の無いのです。
まず医療従事者、次は高齢者と開始期日は決めていますすが、何せワクチンの現物がないのでしょう。医療従事者は中途半端で、高齢者に接種ということのようです。
医療従事者の方が重要だからと高齢者分を医療従事者に回すところもあるとか。
高齢者が予約したが接種に来なくて、ワクチンが無駄になったケースもあるとか、「勿体ない、一体一回分いくらだと思っているんだと言おうとしたら、その金額は国民には知らされていません。ファイザーにいくら払っているのでしょうね。
ところで、高齢者の私も、医療従事者の方が先だと思います。 高齢者は家で花でも愛でていれば、他人様にはご迷惑はお掛けしませんから。
私も、ワクチンは当分先の話と思って、まだまだ蟄居を続けるつもりです。階段の上り下りで脚を鍛えながら。
有難いことに、狭い庭の西側の塀の際では、今「あけぼの」が満開です。今週は「あけぼの」が満開、多分明日の雨で終わりかな、残念! それでも自然は素晴らしいです。


先週4月10日にチューリップ満開と書きましたが、今日現在、盛りは少し過ぎましたがまだ賑やかに咲いています。今になって正に満開なのは遅咲きだった白の八重です。今日は西の塀際の曙つつじがまさに満開です。
ところで今日は、菅総理もバイデンさんに会いにアメリカ行きということですし、その「はなむけ」(ちょっと「はな:花/鼻」が違うかな)にと、狭い庭の隅に咲く、小さくて目立たないけれどよくみれば結構素敵で健気に咲いてくれる花たちを取り上げてみました。
先ずは「しらゆきげし」です。白い花の芥子で、なかなか増えないというのですが、わが家ではどのドン増えて、南側の隣家との境のフェンスの下は点々と白いちいさな花です。つぎからつぎへと咲いています。

その下の白雪芥子の葉の間からかおをだしているのが「蔓おどりこそう」です。蔓でないのもあるということでしょう。小さい黄色の花の踊り子が輪になって3階建てで咲くのです。1本とって洗面所の小さな花瓶にも挿しています。人が来て「かわいい!これ何でか?」といいます。

単純な白い花ですが、群生すると清楚な美しさを感じさせるハナニラ。毎年同じ場所に群生します。薄紫のもありますが、なぜかぐんせいしないで1本ずつ生えています。

今わが屋の庭で、最も権勢をふるっているのが青の「つりがねずいせん」(釣鐘水仙)、わが家には、昨年「釣鐘推薦3姉妹」と書きました様に、青のほかピンクと白とがあるのですが、この2~3ねん、青が猛烈に繁殖してピンクは2か所、白は一か所で、今年は白は青に囲まれて、見る影もなく、何とかしてやらなければと思っているところです。写真は、繁茂する青と残っているピンクの1株


北側の塀のほとんど日の当たらない所で蔓がのびいていまして、抜いてしまおうと思って気が付くと1輪、2輪可憐な薄紫の花が咲いているのが「つるにちにちそう」です。雑草が生える中で、目立たない様に清楚に咲いている、何か奥ゆかしさを感じさせてくれます。

ところで花壇のチューリップですが、単純な白の八重だと思っていたのが、いっぱいに開いてみるとピンクの縁取りの素晴らしく綺麗な花でした。これはびっくりでした。

いずれやらなければならないことは解っていたのですが、いよいよ政府も決めたようです 。福島第一原発の処理とともに溜まっていたトリチウムを含む汚染水を希釈して海洋放出を2年後から始めるとのことです。
安倍さんの有名な発言、福島の放射能汚染水は「アンダー・コントロール」が、いよいよ「アンコントローラブル」になって、希釈して太平洋に放出しようというのですが、放出する前に「海水で希釈して」というのが奇妙でした。
福島の海水で希釈して福島の海に流すのと、直接流すのと結果的にどう違うのでしょうか。日本語には便利な言葉があって、こういうのを「気は心」というのでしょうか。
冗談は別として。政府もの福島の人達(特に漁業従事者)も一番心配だと言っているのが「風評被害」という事のようです。
風評被害というのは、本当は何でもないのに、人々の口から口へと間違った情報が伝わって、関係者が大変迷惑するという事でしょう。
という事は、多くの人達が「風評被害が心配だ」というのは、「本当は心配することはないんだが」と考えているという事でしょう。
問題は、世界の多くの国が原発を稼働させていて、使用済み核燃料の再処理施設を動かいている国もあり、それぞれに放射能汚染水は出しているのでしょうが、CO2排出量のように、国際的に認知された数字がないという事でしょう。
しかし原発の稼働状況などから、ある提訴の推測はできるのでしょうか、新聞によっては「経産省によれば」などという数字も見られます。そのあたりで比較すれば、今回の日本の放出計画などはかなり小さなもので、現にアメリカは容認の姿勢です。
トリチウムは地球の大気圏の中でも、常に生成されまた崩壊して、バランスを保っているようで、このバランスに世界の原発の出すトリチウムが影響を与えるほどでは無いのでしょうか、特に問題が起きたことはないとのことです。
そんなわけで、現状の問題は「風評被害」という事になっているのでしょう。
ところでその「風評被害」ですが、今日のように瞬時に世界中情報が行き渡るような時代では、人々が信用するに足る正確な情報が責任もって出され、それを人々が信用すれば、かなりの程度防ぐことも可能という事になるのではないでしょうか。
今回の場合は、第一に、政府が、正確な情報をきちんと出せるかでしょう。冒頭の安倍発言や、コロナの中でのGoTo問題の様な、出所不明、内容杜撰なものではどうにもならないでしょう。
そして第二には、たとえ、正確な情報をきちんと出しても、人々が政府の言う事を信用しない状態ならば、風評被害は到底防げないでしょう。
何はともあれ、風評被害で、地元の人たちが苦労されるようなことが起きないことを願うばかりですが、それには上の2つの条件が満たされなければなりません。大変難しい事かもしれませんが、政府には確り頑張ってほしいと思っています。
テレビ最近の若者には農業指向の人達がいるといった話をしているのを聞きました。
聞いてみれば、そういえばそういう事もあるんだろうな、などと感じられるような気がします。高度成長期の若者があこがれた、東京でのサラリーマン生活、本当にそれが若者の一般的な理想でよかったのかな、と感じる人も多いのではないでしょうか
ネットを使えば、どこにいても同じ仕事が可能になり、会社もリモートワークを奨励する世の中です。それも多分コロナ禍の中だけという事ではなく。コロナ後も一般的なものとして残るという見方も多いようです。
海浜、高原、田園、どこでも同じような「知的」生活が出来、田舎の住環境は、都会よりずっと優れている、生活費も大分安い、何で都会がいいのという人もいる・・・。
また一方では、職業についての日本人の意識は変わってきたようで。大昔の「士農工商」ではありませんが、均質的な概念としてのサラリーマンより、専門の腕を持ったプロフェッショナルの方がよほど魅力的と考える人は多いでしょう。
植木等の「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」から、職人魂、プロ魂の方がよほどカッコいい、と思う子供も若者も少なくないでしょう。
もう一つ、日本食が文化遺産になりましたが、日本の食べ物は、どんどん美味になり、テレビでもシェフ、料理のプロは大人気、そして、その食材探しも興味津々、果物だけでなく、野菜にもブランド物がいっぱいで、農業は昔とは全く違ったイメージの産業・職業になっています。
一方で、年々減る日本の農業人口、有り余る農地・耕作放棄地、時代遅れの農地法・農振法、上がらない食糧自給率。これは何とかしなければと考える若者がいても当然でしょう。
そんなことを考えながら、総務省の「労働力調査」(失業率で有名な統計)で農業人口の動きを見てみました。
農林業関係の労働力の推移(単位万人)

(総務省:労働力調査)
就業者の部では自営業主と家族従業者の数が解ります。雇用者の部では雇用者の数が解ります。
まず、青い柱の自営業主の数はほぼ一貫して減少です。当然、赤い柱の家族従業者の数も減少です。これは、従来型の家族経営での農家の姿でしょう。
それに引き換え、緑の柱の雇用者の数は、2010年代半ばから漸増です。これは企業型の農業の経営者と従業員の数です。増えているのが若者ばかりか年齢構成は解りませんが、ご覧のように、農業の労働力構成も変わってきているという事でしょう。
この辺りに、古い土地制度(農地法、農振法)のもとで、なかなか変われない日本の農業も少しづつ変化してきている事が窺えるような気がします。
2020年の緑色の柱の減少は、コロナの影響もあると思われますが、これから数年後、このグラフがどうなって行くのか興味のあるところです。