tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

さざんか(山茶花)、今年は元気に咲き始める

2024年11月25日 14時00分54秒 | 環境

素人には、庭木の剪定は難しいものです。狭い庭の南のフェンスの際にさざんかの木を2本植えてあります。

出来るだけ緑が茂るのはいいことだと思って、伸びるに任せて置いたのですが、本当によく伸びて毎年剪定をしないとフェンスの向こうまで伸びていくので、お隣の邪魔にならないように枝を切るのですが、どうにも格好がつかなくなって困っていました。

大きく伸ばしてしまうからいけないという事で、一昨年思い切ってフェンスよりほんの少し高いぐらいのところで、枝をみんな切ってしまい、これで剪定も楽になると思っていました。

所が剪定の仕方が悪かったでしょう、切り込み過ぎだったのでしょうか、昨年は折角の花の時期にほんの2~3輪咲いただけで、寂しい限りでした。

やっぱり、木は、虐めてはいけないのだと反省して、昨年は伸ばし放題にすることにしたのですが、それでは格好がつかない事になるだろうと考えて。右に伸びている枝だけ、見よう見まねで形を整えてみました。

結果はどうなったかと言いますと、上にどんどん伸びていまった枝はげんきがいいのですが、蕾が全然t来ません。

右に伸びた枝は、こじんまりとした形に一応整えたつもりでしたが、有難いことに、この枝には、キレイに花が咲き始め、蕾もたくさんついているのです。

こんなにうまくいくのだったら、ほかの枝もこんな風にすればいいという事なのでしょうが、まっすぐ上に伸びている枝を、どんなふうに整理すればいいか解りません。

それでも今年、一枝だけは、花がたくさん咲いてくれるようですから、今年は、この枝を大事にして、上に伸びている枝も何とか、うまい形になるように考えてみたいと思っています。

もう1本の、小さなピンクの花の山茶花も少し上まで伸び放題ですが枝の下の方には何輪か花が咲いています。

これも何とかしたいと思っているのですがどんなことになるのでしょうか。

家内には、「歳ですから、無理はしないほうがいいですよ」と言われています。


地球は表面に水がある、なぜ?

2024年09月28日 16時04分13秒 | 環境

宇宙に行った人が皆さん一様に「地球は青かった」と言っています。

空が青いのと同じ原理でそう見えるのか、それとも海が青いので青かったのか、そのあたりは、はっきり聞いたことがありません。

地球に似ているので生物がいるかもしれないと思われていた火星は、赤い星です、さそり座のアルファ星のアンタレスは恒星ですが、赤い一等星として有名です。ギリシャの昔からそうだったのでしょう「アンタレス」というのは「火星(アーレス)に対抗する(アンティ)」という意味だと、戦後夜空がキレイだったころ聞きました。昔はよく星も見えたので、子供は星に興味を持っていました。

太陽系では地球と火星は隣同士ですから、火星人の話も想像図もいっぱいあります。しかし今ではいろいろ解って来て、火星には水が無いから生物はいないことや、表面は砂や土や岩石だけだから赤く見えるということだそうです。

それでも、昔は火星の地表に水があったはずだ、水があったという地形が確認されていると言われています。最近、アメリカのカリフォルニア大学のバークレー校の研究で、地下何10キロかの岩石の層に大量の水(氷かな?)、が含まれている事が解ったともいわれます。

そうか、それなら昔は火星も青かったのかもしれないなどと思いましたが、そうだとすれば、地球も将来、赤い星になるのかな、などと想像してみたりします。

そこで湧いてきた疑問は、なぜ地球には地表に水があるのだろうということです。おそらく火星の場合も昔は海や湖や川があったとすれば、そうした水がだんだん地下に浸み込んでしまって、地表から消え、地下の岩石か鉱物の層に氷という形で岩石の仲間になって貯まっているということなのだろうかとこれも想像です。

考えてみれば、水は液体である限り、どんな隙間にも浸み込んでいきますから、地球の表層部の下に一面の防水ゴムでも敷かなければ、時とともに下に浸み込んでいって地表から消えてしまうのではないかと心配されます。

考えますと、広い海に海水が満々とたまっていて、大気圏の中だけで、全体の量はほとんど変わらずに、液体と気体と固体(水。水蒸気、氷)の循環を繰り返して何万年か何十万年か何百万年でしょうか。その中で生物が発生し、現生人類にまでに進化する環境を維持してくれているのです。

なぜ地球の中に水が浸み込んでしまわないのか調べてみましたが、素人向けに、しっくりくる説明がみつかりません。

気がついたのは、海底の熱鉱床や火山活動、温泉などの役割です。地表の下にはマントルがあり高熱のマグマがあります。浸みていった水は熱せられて水蒸気になり地表に追い返され噴出し元の水に戻るという循環が、超長期に亘って繰り返されているので、地表にある水の量は変わらないということになります。

実はこれは私個人の仮説です。信用しないでください。わたくし自身調べてみたいと思っているところです。

そして、この循環が崩れる時、つまり、マントルの温度が下がるとき。地球は火星のようになるのでしょうか。


「秋分の日」と「春分の日」のいろいろ

2024年09月23日 14時43分54秒 | 環境

今日は「秋分の日」です。春には「春分の日」があります。両方とも国民の祝日ということで多くの人は1日のんびり出来ます。

元々は民間では、この両日は「彼岸の中日」で、春と秋の彼岸の中日の前後3日ずつを仏教では、彼岸会と言って先祖の供養をします。その真ん中の日なのです。

皇室では春季皇霊祭、秋季皇霊祭と言って天皇家の先祖を祭る日です。

民間では仏教の行事ですが、天皇家は神道でしょうから宗教は違っても先祖の祀るのは同じです。

神仏習合の結果かどうかは別として、さらにその起こりに遡れば、この日は、春と秋にある「昼と夜の長さが同じ日」ということになるのでしょう。

「暑い、寒いも彼岸まで」と言われますが、春はこの日あたりで平均気温が15度を超えるようになり、秋は25度を下回るようになるというのが昔からの気温の変化なので、そんな言い方も生まれたのでしょう。

このところ、その諺が通用しなくなるというのが地球温暖化の中でいわれ、いよいよ今年あたりから「9月は夏」ということになるのではないかなどといわれていました。

ところが不思議なことに、今朝の東京の気温は(都下国分寺ですが)21℃でした。地球温暖化の勢力も、今日だけは少し気を使って、諺の通りにしてくれたのでしょうか。

これからどうなるかは人間の努力次第ですが、こうして暑い夏と寒い冬が毎年循環するのは(北半球と南半球では反対ですが)、北半球では春分の日から秋分の日まで太陽が当たる時間が長いので、暑さが蓄積されるからです(南半球では反対です)。

ということは、上に述べましたように春と秋に昼と夏の長さが同じになる時があるということです。

その時を天文学では、春分点、秋分点と言いその時刻を含む日が春分の日、秋分の日ということになるのです。

ついでに言えば昼が一番長い日が夏至、短い日が冬至はご承知の通りです。

ではなぜそんなことが起きるのかというと地球が太陽の周りを回っている平面と地球が自転している平面(赤道)とが23.4度傾いているからです。

地球は太陽の惑星で、太陽の子供の様なものかと思っていましたが、どうも太陽の子供ではなくて、独自の回転軸を持ちながら太陽系に編入してきたのでしょうか。それとも、回転していたガスが次第に冷えて液体になり固体になって今の地球になった過程でそうなったのか、その辺は現在研究途上なのでしょう。

最後に一つ、春分の日、秋分の日の昼と夜は本当に同じ長さなのでしょうか。

答えは春分の日も、秋分の日も7分50秒ほど昼間の方が長いのだそうです。

何故かと言いますと、日の出は、太陽の頭が地平線から出た瞬間で、日の入りは太陽の頭が地平線に没した瞬間ということになっているので(太陽の真ん中が地平線に達したときではない)合計太陽の直系の動く分だけ昼間が長くなります。

更に太陽光線が大気の中を通るとき屈折するので、日の出は早く、日の入りは遅く見えるのだそうです。その合計が7分50秒(東京天文台計測)なのだそうです。


今日は秋の気配をお届けします

2024年09月04日 16時19分02秒 | 環境

今年の夏もまた格別に暑かったですね。台風一過なのにまだまだ暑いような予報です。

台風10号は列島各地に大きな爪痕を残しました。下水道などの設計は、降雨量1時間50㎜が基準になっているなどと聞きますが、ニュースを聞いていますと100㎜などというケースがいくらでも出てきているように思われます。

日本列島に住んでいる限り地震と台風とは共存する覚悟で生活することが必須だということは解っていますが、台風と集中豪雨は近年ますます強烈になってきて、巨大地震の懸念もあるというのですから、国土強靭化の方も格段に進めていく必要があるようです。

ところで、今日は朝から快晴で、日差しは強いですが、風は何となく涼しく、やっぱり秋の気配だなと思わせるような朝でした。

我が家の狭い庭でもススキが先日から穂を出し始め、ちょっと強めの風に、数本の穂が揺れる様になりました。

今日は好天ですから、昼近くになりますと、日影になっている隣家のサイディングとフェンスを背景に、真っ青の空からの日光の直射がススキの穂を浮き立たせることになります。

窓ガラスのむこうに、逆光を受けて銀色に輝いて風に揺らぐススキの穂を眺めて、「やっぱりもう秋の気配だな」と感じるところです。

マスコミでは、「今年の秋は10月から」などという見出しがあったりしますが、それでも秋は確り来るでしょう。四季のはっきりしている日本列島は、そこに住む人の心を長い時間をかけて繊細にしてくれたのかななどと考えてみたりします。

こうした自然の変化は大変大事だと思うので、地球温暖化で、日本の四季はいいな、などと言っていられないような事になってしまっては大変ですから、温暖化防止策の一層の徹底と、合わせて国土強靭化には大いに力を入れなければと思うところです。

日本人が自然との心身の交流を安心して楽しめるような環境が、これからもずっと維持されることを願っています。


3か月楽しめる百日紅の花

2024年08月14日 14時15分13秒 | 環境

明日は8月15日、太平洋戦争の終結、日本の敗戦、玉音放送・・・。日本が、日本人が世紀の大転換をするきっかけの記念日です。79年前の8月15日は、晴れて暑い日でした。あの日も戦災を免れた日本の町や村には百日紅(さるすべり)花が咲いていたでしょう。

我が家の狭い庭にも、東側のフェンス際に百日紅の木があります。矮性の種類です。初代はゴマダラカミキリにやられて枯れました。

二代目も初代と同様、フェンスの高さ辺りで芯を止めました。毎年そこから新芽が何本も出て、その先に紅桃色の花が房状に咲きます。

百日紅と漢字で書いて「さるすべり」と読むことからも知られますように、幹はつるつるで、花は7月、8月、9月と3か月、次々と蕾が出て咲き続けてくれます。

今年の花は、房が重くて垂れ下がるような咲き方ではなく、しっかり伸びて、伸びた先から先へと花が咲いていくような様子です。

今は暑い盛り8月のど真ん中、百日紅の花の時期(7月から9月)の前後も入れてまさに100日のちょうど真ん中に当たります。

そロソロ写真を撮っておこうと思っていましたが、明日、明後日は台風7号の接近で雨になりそうという天気予報なので、今日は朝から薄曇りでしたが写真を撮っておくことにしました。

ごらんのとおり、フェンスの高さ程の所から何本も今年の枝が出て、その先に次々に蕾が鈴成りになり、紅桃色の花が咲いていきます。

知らぬ間に何かのつるが伸びて絡まっていますが、花を散らさないようにそのままという手入れの悪さも歳のせいとお許しください。

些かアップにすると、こんな感じで、次々と蕾の出てくる感じもわかります。

最後に、この房状になっている花の集積の1輪、1輪はどうなっているのか見てみますと黄色な雄蕊を中心に小さな、しゃれた形にちじれた花弁がそれを取り巻いていました。

今、雷が鳴ったようです。今日の午後は驟雨でしょうか。

明日、明後日、台風が来れば、今日咲いている花は傷んでしまうでしょうが、また晴天になれば、その先に元気に咲いてくれるでしょう。

花が終わって、今年伸びた枝はみんな伐り取るときは、もう10月ということになるのでしょう。


「のうぜんかずら」と「甘草」妍を競う

2024年08月08日 14時08分59秒 | 環境

我が家の狭い庭の東の端には毎年ご紹介する「おおむらさき」がありますが、その隣に「のうぜんかずら」があります。幹は剪定できる範囲のところで止めて、毎年そこから何本もの花枝が出て、たれ下がり、左右交互に蕾がついて上から順に花が開き、下の方の花が咲くころに、花が落ちるのも上から順で、最後は一番下の花が2、3輪頑張っているのも健気です。

晴天で暑いとよく咲くのですが、雨が続くと蕾はポロポロと落ちてしまうのが残念です。

今年は初夏の暑い日に花枝がぐんぐん伸びて楽しみにしていたところ、豪雨型梅雨で殆んど蕾が落ちてしまい残念な年と思っていました。

ところが7月下旬から晴天と酷暑で残った先端近くの蕾が元気になり開き始めて、これはよかったと思った途端、三多摩にも集中豪雨で蕾はほぼ壊滅状態になりました。

今年はこれで終わりか、伸びた枝もそろそろ伐ろうかと思っていました。ところがそう思って見ますと最後の2,3輪が頑張っている枝があります。そのうえ、そのあたりが少しにぎやかになっているのです。

歳のせいで眼も悪くなっているので、老眼鏡を外し、カーテンを開けてよく見ますと、のうぜんかずらの花と同じような色の花が咲いています。

甘草が咲きだしたのか。こんな所まで甘草の根が伸びて来たのかとびっくりしました。

この辺りは元々蛍の上陸地で、石で囲って藪にしてあります。季節によって、ばいも、しらゆきげし、つりがねずいせん、はなにらなどが毎年陣取り合戦をしているところですが、甘草は、毎年オオムラサキの根元、雨水タンクの塀際に咲いていたので、あまり元気のなかった甘草がここまで出て来たとは気づいていませんでした。

のうぜんかずらの花と甘草の花は黄・橙・に赤みもかかるというところで、花の形は違っても、老眼鏡をかけたまま見れば、みんなだいだいいろの塊にみえてしまいます。

よく見ればのうぜんかずらは平たい花弁、甘草はスカシユリのような細長い花弁、せっかく一緒に咲いているので、しっかり 見たよと言えるように、接写もしてみました。

二つの原爆忌に挟まれた日ですが、偶々庭に咲く花をのんびりと見られるのも、日本が平和な国になったからと、つくずく思うところです。


ミニトマトが最盛期に入ったようです

2024年07月13日 14時19分05秒 | 環境

ゴールデンウィーク明けの5月6日、我が家のチューリップ用ミニ花壇はミニ菜園に変身しました。これはこのブログでご紹介した通りです。

それから2か月余りたち、ミニ菜園はキュウリから始まって、ナス、ミニトマトと今年は順調に新鮮な果実を提供してくれています。

これまでなかなか上手くできなかったミニトマトが、今年は2本仕立てにしたところ、順調に支柱に添って伸び、小さな黄色の花が咲き、小さな青い実の房が成長してきて、先週あたりからぽつぽつと赤くなる実が出始めました。

我が家では、トマトとキノコ(マイタケ、ブナシメジ)それに納豆は常食で、家内の生協への毎週配達の注文で、有難いことに1年中確保できています。

トマトはリコピンを多量に含んでいて、リコピンは抗酸化作用をはじめ、高血圧、癌、心臓疾患、老化防止、日焼け、美肌など何にでも効くそうで(キノコも同じようですが)これが一年中あるというのは農業の技術進歩のおかげだと思っています。

そうしたトマトですが、出来れば夏の間は何とか自家製で補給しようと毎年育てます。我が家で取れる時期はスーパーでも一番値段の安い時期ですが、経済効果よりも、朝どれ野菜はやはり格別です。

家内も先々週あたりから、もうトマトは自家製でと、注文を早めにやめて、少し早過ぎたかなと言っているうちに急速に赤い実が増え始めました。

ハチの巣に気を付けながらですが、まず、赤い実の集中しているところの写真を撮ってみました。

さてそれに続いて、蜂を刺激しないように静かに静かに気を付けて収穫した結果はこんな真っ赤なミニトマトの山になりました。

これから次々に赤い実が増えそうです。食べきれなくなったらどうしようかなどと余計なことを考えながら、当面の収穫に満足しているところです。


蜂の予言「今年は大型台風か?」

2024年07月09日 13時15分47秒 | 環境

我が家にはよく蜂が巣を作ります。だいぶ前ですが山茶花の枝にぶら下げた鳥に餌をやる皿の下に蜂が小さな巣を作りだんだん大きくしていました

そんな雨風に曝される危ない所に蜂が巣を作るのだから、今年は台風は来ないだろうなどと言いながらよく見える様に少し枝を切ったりしていましたら台風より人間の接近の方が危ないと思ったのか、そのあと蜂は巣作りをやめてしまいました。作りかけの巣は、風雨にさらされて、いつしか下に落ちでしまったようでした。

去年は南側の壁の前、チューリップ用の花壇の後ろに置いてある物置兼用の窓の割れたガラスのフレームの中に巣ができていいて、剪定枝用の40ℓの燃やせるごみ用ポリ袋の箱を引っ張った途端、何匹もの蜂が飛び出し、蜂も慌てていたのか、さいわい刺されませんでしたが、驚きました。

今年は先日、花壇がニ菜園になってっミニトマトが赤くなったので採りに行きながら、蜂がいないか気を付けていましたら、いました、いました、今年は戸袋とフレームの狭い隙間の一番奥に巣を作っているのです。

拡大しましと

 

蜂にとっては人間の手も入らないような狭い隙間なら安全という事でしょう。それよりも、それを見た途端考えたのは「蜂の予言」のジンクス、蜂は安全なところを選んで巣をつくるから、こんな奥まったところに巣を作ったのは、今年は大型台風か集中豪雨化が三多摩地区を襲うかな。これは大変だ、という連想でした。 

我が家に巣を作るのは、「あしながばち」の一種でしょうか、小型の蜂です。本当にこうした蜂にも予知能力があるのかどうかは知りませんが、我が家の蜂がきっと心配性で、過剰防衛本能が働いたのだろうから、そんな台風は来ないだろうと思っていることにしています。

それより家内の心配のほうが真剣で、

「夏休みになると、今年も孫やひ孫たちが来ますよ。ミニトマトが生っていれば、取りたいとか、食べたいとかいうでしょう。それで蜂に刺されたりしたら大変ですよ。早いうちに何とかしておいてくださいよ。」という事です。

娘や孫の「お爺ちゃんどうしてくれるの」という怒った顔はそれこそ大変ですし、かといって一生懸命巣作りをしている蜂に殺虫剤のひと吹き「シュー」という残酷なこともちょっとやれないと思い悩んでいるところです。


梅雨の晴れ間、アガパンサスが元気

2024年06月29日 15時32分07秒 | 環境

遅い梅雨入りでしたが、やっぱり梅雨ですから雨の日が多くなりました。しかし、梅雨の様子も以前とは違うようです。

以前の梅雨は、降る雨はしとしとで、この梅雨が明ければ熱くなって雷雨の季節などと思っていました。

所近年は梅雨と言っても、気象情報では線状降水帯発生の危険性がありますと警報が出て、テレビに映るのは川のようになった道路を車が水しぶきをあげながら走っているといった光景です。

海水の表面温度が高くなったせいかとかで、海水の蒸発が激しくなり、積乱雲が出来やすくなったようで。豪雨が多くなり、突風や以前はあまり聞かなかった竜巻の警報なども出たりします。

線状降水帯という言葉が一般的になったのも、ここ何年かの事かと思いますが、そのうちに「線状」ではなくて「面状降水帯」になるのではないかなどという恐ろしい話もあるようです。

昨日は都下国分寺でも何回か豪雨が来ました。これでは、折角の土曜、日曜なのにどうなるのかななどと思っていました。

ところが、今朝起きましたら、外気は22℃、薄曇りで雨は降っていません。家内は「丁度いい陽気ですね。熱くなし、寒くなし」と言っていました。

昼近くには薄日もさしたりして、昔なら梅雨の晴れ間というところでしょう。

朝、新聞を取りに出て、ミニ菜園のキュウリが大きくなりすぎていないか見に行って、少し曲がって大きくなったのを2本収穫して、改めて今年はよく咲いているアガパンサスを見ますと、繁茂した地球柑の脇で、昨日の雨に洗われ、揃って今を盛りと咲いていました。

アガパンサスはアフリカ原産で、アメリカ大陸を経由して日本に入ってきたと、以前このブログで、書いたことがあったと思います。丈夫な花で、毎年よく咲きますが、今年は特によく咲いているようです。

花が雨に洗われてキレイなうちにと思い、スマホで写真を撮りました。

写真の腕が良いわけではありませんが、花自体がキレイなので、皆様の鑑賞にも耐えると思って、冒頭に載せた次第です。キレイな空色だと思っています。


だいだい(橙)の語源を実証の写真

2024年06月27日 15時36分29秒 | 環境

我が家の狭い庭には「だいだい」の木があります。昨年からは年間何回も取り上げていますのでご覧になった方もおられるかと思いますが、これが、ただの「だいだい」ではなく「縞だいだい」、別名「地球柑」です。地球儀のように縦じまが入っています。

この木の話はずっとリンクしてあります。もし宜しかったらご覧ください。

ところで今日のテーマは、地球柑の方ではなくて「だいだい」の方です。

だいだいというのは漢字で書けば「橙」ですが、これはもともと「代々」からきている縁起のいい名前という事になっています。正月にお供え餅の上に橙を飾るのも、この家が代々続きますように、栄えますようにとの願いを込めたものだそうです。日本流SDGsの文化ですね。

同じ意味で「こどもの日」、旧端午の節句の柏餅の柏の葉の意味も説明されていますが、新しい葉が出てきても、古い葉がまだ落ちないという「縁起担ぎ」そうです。

昨年、6年のブランクの後やっと実をつけた我が家の地球柑も「だいだい」ですから昔からの説明通りだろうかと20個ほどついた実のうち5個ほどを残しておいたのです。

今年は剪定の仕方も解らないので新芽が一斉に繁茂して中が見えないほどになっていましたが、少し枝を伐ってみましたら「ありました!」

子供の地球柑が昨年の黄色く熟れた地球柑と並んでいます。世の中は変わっても自然は忠実に本来の姿をきちんと残しているのです。

まだ小さいけれども地球儀のような縦縞をつけた若い地球柑を見てやってください。


新鮮なキュウリ、ナスの収穫の季節に

2024年06月14日 14時37分34秒 | 環境

6月も半ばですが、未だ、梅雨の気配はありません。雨はありましたが、夕立型の驟雨か短時間の集中豪雨型で、今日も真っ青な空、強い日差しです。

昨晩は、雲のない空に上弦の月が冴えていました。

幼虫を買って、U字溝の付近に上陸させたゲンジボタルは先週から羽化を始め、毎晩1~2匹が羽化し、夕食後、確認に行くのが楽しみです。一昨晩は2匹、昨晩は1匹でした。

もう1つの楽しみは、いよいよ、ゴールデンウィークに植えたキュウリ、ナス、ミニトマトが育ち、キュウリ、ナスは収穫が始まった事です。今日は1本ずつ。ミニトマトはまだ赤くなりません。

キュウリはピクル酢に漬けたり、スライスにしたりで新鮮な朝採り清浄野菜を「初物を食べると75日生き延びる」などと言いながら、この年になると75日も大事かななどと考えて食べています。

ところで朝採り清浄野菜と書きましたが、先日から不思議に思っていて、早く調べてみなければと思いながら放置している事がありました。

それはこんな事です。我が家では以前は生ごみは狭い庭の隅に直径30cm深さ30cmぐらいの穴を掘って埋めていました。土と混ぜて、一杯になると隣に同じような穴を掘り3か所ほどのローテーションで間に合っていました。今年キュウリを植えたのはその場所です。

もう2年ぐらい前から、深い穴を掘るのが大変なのでコンポストに捨てることにしました。ナスとミニトマトを植えた4月までのチューリップ用花壇には、2条の溝を掘り真っ黒に腐ったコンポストの生ごみを敷き込みました。

そこに生えてきたキュウリ、ナス、トマトを収穫して清浄野菜という事で、サラダや漬物にして、何の心配もなく食べているのです。

考えてみたら、あらゆる果物や野菜、根菜類も、みんな同じで、新鮮で清浄なのです。しかしそれらが実る土壌には、人間が廃棄した、また自然の中で動植物の新陳代謝、発酵や腐敗の作用で、人間が摂り入れたら、たちまち病気になる様なものがいっぱいで、その中から植物が水分と養分を取り入れ、人畜無害の生鮮食品にして提供してくれているのです。何かうまく行き過ぎている様な気がしませんか。

それで今日、植物の根の仕事をネットで調べてみました。この疑問に素人にも解るように答えてくれているのを探すのは大変でした。

学問的には研究し尽くされているのでしょうが、発見できた答えは、「植物の根は、微生物などが分解した結果の水分と養分でけを吸収するように出来ている」というものと、「異物を吸収しても根の内部で有用なものに変換している」という2つでした。

学問的な研究は別として、動物はその発生以来、植物の作る酸素を呼吸し、植物を食べて生き、進化してきたのだから、「結果はそうなっている」という事で納得する事にしました。 

お陰様で私も動植物の進化の結果という恩恵で生きているという思いが強くなりました。


都下国分寺に佐渡のユリが咲きました

2024年05月30日 15時26分01秒 | 環境

昨日はこのブログで自民党の「政治資金規正法」について書きました。野党は常識外と一蹴したようですが、自民党は、未だ「細部を修正して」などと欲に絡んだ執念を押し通しているようです。

1985年以来自民党政治は日本の経済・社会をいびつなものにし、嘗ては世界屈指だった日本の一人当たりGDPを世界の38位にまで没落させるような政治をやって来た事の反省も全くなく、金を使って選挙に勝つことだけを考えてきた政治を変えたくないようです。

そんな醜悪な政権党の姿について書いた後は気分も晴れません。

今朝は何か清冽な題材を探してと思っていたのですが、狭い庭の「色とりどりの緑」の中に今年も超然と孤高の花を開いている「佐渡のユリ」の写真を載せることにしました。

私の住む都下国分寺市と佐渡が島の佐渡市とは姉妹都市なのです。

そんなことで、妻は「ママ友」のグループが出来た頃からそのグループでよく旅行に出かけていました。その中で、国分寺市と姉妹都市の佐渡町を訪れた際、佐渡町のHPにも載っている「佐渡のユリ」の球根をいくつか買ってきました。

何種類かの色があったのですが何10年を経て残っているのはこの写真の色のユリだけです。おそらく佐渡市のHPにも載っていますように、この色が本来の種で、最も自然なものだったのでしょう。

他の色の株が淘汰されても、この色の株は確りと毎年咲き続け、球根も成長しているのでしょう。花の数も次第に多くなっているようです。

特に今年は春先から頑丈な茎が伸び、立派な花が沢山咲きそうだなと思っていてのですが、予想にたがわず頭頂に10個余りの蕾がつき、3~4日前から開き始めました。

今日はまだ6分咲きぐらいのようですが、一番良い時期ではないかと思い、ブログに載せることにしました。

腐敗する長期政権とは違って、毎年確り育って立派な花を咲かせて狭い庭の一角を明るくしてくれる「佐渡のユリ」に感謝です。


庭に雀を呼ぶ秘訣

2024年05月18日 14時38分37秒 | 環境

もう何年も、雀が少なくなったとか、庭に雀が来ないといった話を聞きます。雀だけではないようで、渡り鳥のツバメも含めこの辺りでは鳥たちの姿が減ったとも言われます。

 

カラスだけは結構この辺りにもいるようで、朝、ゴミを出しに行くと電線に止まってうるさく鳴いています。どいうやら生ごみを狙っているようです。これは要注意です。

やっぱり鳥たちにとっても一番大事なのは餌でしょう。「カラスはぁ外、スズメはぁ内」と差別するのは人間の都合で、カラスが悪いわけではありませんが、やっぱりカラスは苦手です。

雀が減ったのは瓦屋根が減って巣作りの場所減ったからといわれますが、鳥たちはそれぞれに営巣の場所を広げ頑張っているようです。我家の狭い庭でも玄関わきの花つきの悪いハナミズキが葉を茂らせた時には毎年メジロが巣を作ったことはこのブログでも紹介しました。

梅の木に巣箱を架けた時は、雀とシジュウカラが巣箱争いをしていました。梅の木や山茶花の木が、フェンス越しに隣家に伸びるので丈を低くした結果、シジュウカラの巣箱も撤去、今年は山茶花の花も少なくて、ヒヨドリもあまり来ませんでした。そんなことでもう少し雀が来るといいなと家内と話しました。

「去年バケツ田圃で稲を育てた時は秋には随分雀が来たね」と私、「餌があれば来るでしょう」と家内が云います。という事で毎日餌を撒く事にしました。

以下、私の発明です。朝晩はご飯を食べます(昼はパン)。私が後片つけをします。ご飯を「チン」した容器や食器を洗うと、洗い桶の底に2-30粒のご飯粒がお菜の切れ端などと一緒に残ります。それをネットのゴミ入れに捨てます。その際、ご飯粒や穀物類は重いので、上手く流すと洗い桶の底に飯粒が残ります。これを残った水と一緒に庭に撒くのです。

この家の庭にはいつも餌があると解れば雀は必ず来ます。雀だけではありません。ムクドリ、山鳩も来ます。

写真を撮ろうと家の中で立ち上がりますと、パッと逃げますので、立ち上がらず、スマホを持ってガラス戸越しに何日もシャッターを切り、やっと撮れた「鳩とスズメのすれ違い」をトリミングし、伸ばしたのが上の写真です。

山鳩はゆっくりですが、雀は素早くて苦労しましたので、こんな写真でも本人は満足です。


狭い庭も花から実の季節へ

2024年05月11日 14時47分48秒 | 環境

毎年ゴールデンウィークは我が家の狭い庭が花の季節から実の季節に変容するならわしになっています。

花(鼻)の下が長く伸びきったチューリップを端から抜いて[ありがとう」と礼を言いながら市のごみ収集に出したりして殺風景になった花壇を耕し、畝を立ててコンポストから1年間の生ごみで出来た堆肥を埋め込みます、その作業が終わるとホームセンターに行ってキュウリ、ナス、ミニトマトの苗を用意し、天気予報で雨の日があればその前日に移植します。雨の日が無ければ水をやります。

こうしてゴールデンウィークが過ぎると花壇はミニ菜園になります。

今年は少し模様替えをし、キュウリは一昨年ごろまで穴を掘って生ごみを埋めていたところに植え、花壇の方は、ナスとミニトマトだけにしてみました。

キュウリは高く伸びますし、何年も生ごみを埋めてきたところですから肥料は沢山たまっているだろうと思ったからです。思い通りの結果になるかはまだわかりません。

という事で、例年は3本ずつだった苗が4本ずつになり、順調に育てば収穫の盛りには供給超過になるかなと考えましたが、たまにはそれもいいかという事にしました。

毎年繰返しているこの春・初夏の我が家の行事も昔は楽しく気軽にやっていましたが、この所は加齢とともに体力減耗で、息子たちが一家で来るゴールデンウィークでないと出来そうになくなって来ています。

ところで、狭い庭でも、土と太陽と水があれば、こうして人間がその発生以来積み上げてきた努力を実際に追体験として反芻する事が出来、自然はそうした拙い努力に対しても、それ相応の結果をきちんと出してくれるのです。

毎年やっていると失敗も成功もありますが、それぞれ考えてみればそれなりの理由があってのことです、大方は肥料や水遣り枝の伸ばし方の失敗や、葉の陰で見えないところに生った実が、気が付かない内に大きくなり過ぎ、お化けキュウリやお化けナスが出来てしまうといったことで、人間に原因があるのですが、そんなことも自然はやっぱり素直で正直と感心の材料にもなります。

自然と付き合えば、人間も自然と素直で正直になるのかもしれませんが、人間には植物や他の動物にはない高度な思考力などというものがありますから、それが複雑に絡んで不自然な事が起きるのかもしれません。

世の中の事も、それが自然か不自然かという眼で見れば、解り易くなるのではないかなどと考えたりします。

また余計な事を書きましたが、今年は3種類4本の苗が元気に育つように自然の力を当てにしながら頑張ろうと思っています。


今週はオオムラサキが満開です

2024年05月01日 15時11分51秒 | 環境

我家の狭い庭ではチューリップ花壇は遅咲きのピンクの花が1輪だけになり、そろそろ一昨日買ってきたキュウリ、ナス、トマトの苗に、潔く場所を譲り、花壇が小さな野菜畑に変身する時期を迎えています。

例年に増して、枝々が花ばかりの景色に以なったアケボノは、今朝からの雨に打たれ、満開の花びらも柔らかく型崩れの様相です。

そして、アケボノの開花に一週間遅れのオオムラサキが、今日が晴天なら満開の花ばかりの小山を青空を背景に空中に浮かばせるところですが、小雨の中、満開の元気いっぱいの押し合って無数に咲いた濃い赤紫の花を水滴を飾って、明日の青空を待つように咲き揃っています。

小さな灌木を知人から頂いて、何とか背丈より高い喬木のオオムラサキにならないかと芯を一本だけ残して育ててきたものです。

今では根本は直径10㎝以上もある我家の狭い庭では巨木ともいえるツツジに成長し、艶のある赤紫の隙間のない花群の重なりで通る人達(ただしスマホを見ていない人)の目を引いています。

春先から今迄の時期、リュウキンカが咲き、ヒマラヤユキノシタが咲き、花壇にチューリップの行列が出来、貝母、ツリガネ水仙、ハナニラ、白雪芥子、絶滅危惧種のウラシマソウも奇妙な花をつけ、春たけなわの時期に至って、アケボノとオオムラサキが1週間か10日の時間差で盛大な花の競演をいせてくれるという春爛漫の光景を、この狭い庭でも満喫できるのは、有難いことだとつくづく思うところです。

この数日、新芽の伸び始めた地球柑(シマダイダイ)は新芽の一方、昨年の枝にはもう柑橘系特有の白い花が開き始め、恐らくこの新芽にも沢山の花が咲いて無数の実が生り、昨年に続き沢山の地球儀の様な実がが枝枝にブラ下がることを期待しています。

今年の夏の暑そうですが、こうした自然の営みを、気候変動があっても何とか味わえる日本の四季を、もう少し楽しみたいとつくづく思うところです。

花壇が野菜畑に変われば、花と実という取り合わせの中の「実」の方のいろいろな楽しみが期待できます。

失敗も成功もありますが、自然はいつも、それなりの答えを出して我々を喜ばせてくれます。

考えてみれば、我々人間も自然の一部なのです。自然の一部として、いろいろな自然の仲間の中で、不自然でない自然な生活、自然を大切にする生活をして行きたいなどと感じているゴールデンウィークの中休みの日々です。