tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「独裁者が戦争を起こす」が歴史の現実

2025年03月17日 14時55分42秒 | 政治

今年は日本にとっても世界にとっても大事な年のようです。

日本にとっては長い経済の低迷状態から何とか脱出しなければという意味で大事な年だと思っています。

世界にとっては、ウクライナやパレスチナで続いている戦争を何とかして止められないかという意味で重要な年です。

このブログでは、この2つの問題を今年の元日と2日に書いて来ました。

日本経済の方は春闘が主要な問題とみられ、このブログでもその点を重視しています。春闘は現在進行中で、多少の前進がみられるようです。

ウクライナとパレスチナでの戦争の問題は、日本には直接の手出しができる問題ではありませんがトランプさんが、アメリカの大統領という立場で本格的に取り組んでくれるというので、日本はその成功を願う立場でしょう。

成否のほどはまだ判断不能ですが、そうした国際問題への関心と共に、このブログで球上で戦争が起きないための方途という問題に強い関心を持っています。

既にこの問題は種々取り上げていますが、具体的には、戦争と独裁者の関係です。

歴史の現実を見れば、戦争を起こすのは殆んどが独裁者のようです。中世までは、国というのは殆んど王制ですから、王様が独裁的であれば戦争が起きるようです。

勿論、近世以降も帝政はあり、フランス革命の様なリベラルな動きの後でナポレオン皇帝が出現したり、ドイツでは選挙で選ばれたヒットラーが独裁者になって第二次大戦の惨禍が起きたり、この時は日本も天皇制を奉じた軍部が独裁者としてドイツと共に戦ったことはご承知の通りです。

さらに近くは、ゴルバチョフが共産党一党独裁のソ連邦を解体して生まれた民主国家ロシアがいつの間にかプーチンという独裁者の国になってしまっています。

更に鄧小平の改革開放の後の中国が、習近平に至って独裁国家に衣替えかと言われる状態になったりしているようです。

いま世界中の80億人と言われる人々のほとんどは、平穏な日常と、次第に豊かな暮らしが実現し、快適な社会になって欲しいという願いをもって日々の生活をしているのでしょう。

それなのに、なぜ、そうした人々の素直な意識や願いに反して、独裁的なリーダーが生れ、戦争が起き、破壊と殺戮が日常茶飯事のようになるのでしょうか。

どうしたら、そうした多くの人の願いに反した残念な事態が起きないようにすることが出来るのでしょうか。

今後、世界の平和を考えていく事が、ますます必要になるでしょう。何故なら、何か近年、独裁的なリーダーが実権を握る国が多くなっているような気がするからです。

世界最大の石油埋蔵量を持つと言われる豊かであるべき国ベネズエラでのハイパーインフレによる経済破綻、独裁政権は倒れてもシリアの止まらない内戦、パレスチナに殲滅の圧力をかけるイスラエル、理想国家の建設を目指したリビアの独裁化による内戦と分断などなど、仏教国ビルマでのクーデターによる独裁政権と内戦、などの多くでは国家経済の崩壊、内戦や分断が起きているのです。

こうした現実を見れば見る程、人類のために戦争を止めなければならない。そのためには、先ず、独裁政権の誕生を、未然に防止することが必要となるのです。

そのためには、独裁政権の誕生の原因を見極め、その上で、何をしなければならないかを徹底検討していかなければならないでしょう。

折に触れて検討を続けたいと思います。


原案通りに決まる方がおかしいのでは?

2025年02月18日 12時45分40秒 | 政治

国家予算の審議が続いています。

今国会では与党が過半数でないので、修正もありうるといった事は始めから言われていました。

どんな会議でも、事務局が原案を出して、それを審議するために、みんなが集まって議論をして、良い意見は取り入れて「皆さんの知恵を集めて、お蔭さまでベストの案が決まりました」という事になり、みんなが「良かった、良かった」というのが本来の会議の目的であり、会議の機能ではないでしょうか。

今回の国会は、やっとそういった真面な会議に近づくことになって、本来の国会の姿を見せてくれるだろうと思っていました。

そしてそれが、実現する雰囲気も生まれ、夫々の党が自説に固執するという今までの癖が抜けきらない所があるとしても、まあまあ良かったという事になるのだろうと思っていました。

各党も、特に野党第一党の立憲民主党も、少数与党なのだから予算成立を人質にとって、成立を遅らせて、与党の失点にするなどという事は考えず、年度内の予算私立を大事にするという考え方を明らかにしています。

自民党が野党の時はいろいろあったようですが、予算成立を人質にとるという事は、国民を人質に取るという事でしょう。

期限通りに良い予算を作り上げ、スムーズな執行を可能にして、国民を安心させることが国会議員の責務でしょう。

こうした国会議員の良識、野党を含めた、国民全体のことを考えるという姿勢が生まれて当たり前と多くの国民は考えているのではないでしょうか。

そうした中で、何となく違和感を感じるのが、マスコミの表現です。 

というのは、多くのマスコミのニュースが、石破総理が予算案の修正しますと表明したことを、何か大変なことが起きたようなトーンで報道しているのです。

今まで、自公が絶対多数で、いざとなれば、シレッとして強行採決をやっていたという事が続いたので、総理が予算案の修正を表明したのは「破天荒」なことという感じを持っているのかもしれません。

しかし真面に考えれば、修正があるのは当たり前の事で、今まで与党がやってきたことが異常なことだった、という視点がはっきり出てほしいというのが、「違和感」の原因のようです。

マスコミにはマスコミの流儀があるのかもしれませんし、確かに、石破総理は、不器用に、馴れない事をやっているのかもしれません。

今までも、これからも、望ましいのは、国会審議で、原案がより良いものになっていくのが当たり前の姿だという事に、たとえ与党が過半数であっても、今後はなっていく事ではないでしょうか。そうなっていく事を願うところです。


トランプさん:ディールと独裁の間

2025年02月12日 14時22分53秒 | 政治

石破・トランプの首脳会談が終わって、マスコミが不安視していた石破さんの対トランプ戦略が、無難というより成功裏に終わったというのがマスコミの評価でしょうか。

「あの人は反対されるのが嫌いだから」という石破さの読みは当たって、滑り出しは先ず順調という評価ですが、トランプさんが早速取り掛かった関税問題では、そんな事には関係なく、「粛々と」進められるようです。

昨日のニュースでは、アメリカの輸入する鉄とアルミ製品について一律25%の関税をかけることが決まったという事です。

これ迄はそれぞれの国について一定限度までは適用しないという事で、日本では限度内の輸出をしていたようですが,そうした特例は認めないという方針とのことです。

日本の場合、鉄やアルミの対米輸出は、それほどの規模でないため、日本経済として大きな影響を受ける事はないとのことですが、個々の現場では影響は大きいでしょう。

元々アメリカという国は儀礼上とは別に、国策、国益としてやらなければならない事はきちんとやる国なのです。それは、日本では「ロン・ヤス」蜜月いっていた中で、G5の場では円高容認を求めた「プラザ合意」でも明らかと先日も触れた通りです。

一律の関税適用問題は、従来からトランプさんの重要な主張でしたが、それ以外でも次第にトランプさんの思考パターンを示すような方針、布告、発言などが出て来ています。

例えば紙ストローをやめてプラスチックに戻せとのことで、そんな細かい事をと言いたくなりますが、これは、化石燃料中心に戻せば「アメリカ・ファースト」に叶うという信念の現れでしょう。

また、大変気になる発言も出ています。ハマスが「イスラエルが停戦協定の破ったから人質解放を延期する」と発言したのに対し、イスラエルの行動には触れず、「期限までに人質の全員開放をしなければ、停戦協定破棄」と発言している事です。

イスラエルのネタニヤフ首相に大きな影響力を持つトランプさんです。この発言がディールの一環なのかは今後明らかになるのでしょうが、トランプさんは戦争を好まないという見方には疑問が生じます。

更にトランプさんのICC(国際刑事裁判所)に対する制裁については行き過ぎたイスラエル擁護との見方もあります。

これからもトランプさんの発言・行動などの報道は連日でしょうが、平和を愛する人か、権力を愛する人か、次第に見えて来るのではないでしょうか。

このブログでは「民主主義のトリセツ」のシリーズを書いていますが、それによれば4年の大統領の期間中に、もっと大統領を続けたいといった意思表示があれば、トランプさんは、確実に独裁者の列に入るという事になります。


LeaderとReader :再論

2025年02月03日 14時22分39秒 | 政治

国会が始まりました。

今国会はいろいろと新しい事が出て来るようですが、一番大きな変化は、与野党とも本気の議論が多くなって来るという事でしょう。

それを象徴するのが石破総理の「少数与党ですから」という言葉です。これまでは与党が絶対多数を持っていましたから、いろいろ論争はしても、結局は予算案は原案通り承認されることはいわば決まっていたという国会でした。

国会での論戦で、野党からの厳しい発言があっても、与党の方は良く言われた「ごはん論法」のような、すれ違い答弁、時には明らかなはぐらかしや、虚偽の答弁もありましたが、強行採決で、何とか予算は通って1件落着という事だったようです。

少数与党になったという事は、野党の意見が違えば、場合によっては、予算案を修正しなければ予算が成立しないという事です。

勿論、予算がなるべく早く成立しないと予算執行が出来ないのですから、出来れば期限内にまとめて、国民から負託された責任を果たす必要があるわけですから、徒に論争を長引かせることはよくないでしょう。

ですから与野党ともに討議は真剣になるはずです。そうした意識の変化は、石破総理の発言の様子からも現実に見えてきているようです。

嘗てこのブログで、標記の「LeaderとReader」というのを書いたことがあります。

「Rのリーダー」は「朗読者」で「Ⅼのリーダー」は「指導者」です。

嘗ては、国会の論戦はいわば形だけでしたから、官僚の作った原稿を朗読の人が多かったですね。原稿を読まずに議員諸氏に向かって自分の言葉で発言するのは、どうせ通らないのだからと、真っ向反対の意見を舌鋒鋭く述べる少数野党の人で、そういう発言の方が往々魅力的で受けるのです。

今国会では、顔を上げて話す人が髄分多くなったように感じます。この発言は形式ではない、責任を持った自分の意見だという気持ちからでしょう。

勿論、官僚の原稿はあってもいいでしょう。しかし日本国民の考え方や生活を動かす指導者(Leader)としての国会議員の発言であれば、それは自分の魂の叫びですから、自分の言葉として、「なんだ、また読んでる」などと思われないような発言の仕方が当然でしょう。

恐らく予算審議が本格化するにしたがって、議論が白熱し、自分の言葉でのやり取りが多くなるのではないかと期待しています。

ところで、国会議員方が選挙戦の時,どんな喋り方をしているのかと思ってテレビで確かめたことがありました。その時は、原稿を読んでいる姿を見たことはありませんでした。

つまり、本当に自分の望むことを人に訴えるときは、誰でも自分の言葉で喋るのです。

つまり、国会で原稿の朗読をしている人は、何の担当であろうと、政策の中身も解っていないし、ましてやその実現を本気で考えるという気のない人だと理解しておいた方がいいのではないかと思っています。


そろそろ農業政策転換の時期では

2025年02月01日 16時18分24秒 | 政治

全国統計に先んじて発表になる東京都区部の消費者物価指数の2025年1月分の中旬速報値が昨日発表になりました。

対前年同月比の上昇率は

・総合・・・・・・・・・・・・・・・3.4%           

・生鮮食品を除く総合・・・・・・・・2.5%

・生鮮食品とエネルギーを除く総合・・1.9%

ということです。

1月の消費者物価指数については全国の1月分が発表になった時、詳細の分析をするとして、ここでは発表資料の中にあるお米”うるち米”(コシヒカリを除く)の対前年上昇率72.8%という数字を挙げておきます。

「コシヒカリを除く」と書いてある理由は解りませんが、平年作だというのにお米の値段が70%も上がるという異常事態になっている理由も解りません。 

政府は備蓄米放出もしていませんから昨年秋から50%、60%、70%と東京都区部ではお米の値段が上がってきています。もちろん全国も同じようで12月は64.4%でした。

備蓄米を放出するのは米作が異常な不作でないと出来ないという事で、今回の値上がりは流通段階のトラブルだからとかでごたごたしているようですが、流通段階のトラブルが何なのかは解りません。

JAの買い入れ価格は3割上がっているという情報もありますが、これでは「政策段階のトラブル」でといった方が解り易いような気もします。

困ったことに、日本ではコメは主食で、いわば食生活の中心ですから、それが昨年より7割上がっても政府は何もしないというようのことですと、これからいろいろなものが「つれ高」で上がるのではないかと心配です。

「政策段階のトラブル」と書きましたが、背景となる最大の問題は、政府が減反政策をとっているという事でしょう。コメの収量が上がってコメの値段が下がると政策上困るという事でしょう。

もっと困る問題を言えば、日本の食料自給率はオリジナルカロリーベースで38%しかなく、下がり気味という現実です。原因は農家の高齢化があって、減反よりも耕作放棄地が問題などといわれますが、こんな事は何十年も前から解っていることです。

農家に後継者がいず、高齢化していくのなら農家に期待するのは無理ですから、積極的に農業の法人化で大規模農業にするしかありません。そのためには農地法、農振法を改正しなければなりません。

農家が自民党の「票田」だからといってもそれは細るばかりでしょう。これから来るといわれている世界的食糧難時代に、食料自給率の低下という事では勿論対応不能です。

恐らく主要な穀物で日本が自給率100%を越えられるのは米ぐらいではないでしょうか。

しかも有難いことに、日本のコメはその品質の良さから輸出が急速に伸びていて、絶対量はまだ少ないですが、農水省の統計では最近5年間で2.3倍です。たとえ自給率100%を超えても、備蓄米は、いざとなれば食料援助などの戦略物資としての活用も十分考えられるのではないでしょうか。

米を国内の需給バランスだけで考える時代は終わっているのでしょう。農業政策、特にコメについての新たな国家戦略を考える時が来ているようです


「民主主義」に「金主主義」を入れますか?

2025年01月28日 12時10分38秒 | 政治

今、世界は民主主義と専制主義(独裁主義)の対立が.露わになっています。しかし個々の人間、その複数形あるいは集団、一般の人々を包括する「民衆」の意見を聞けば、民主主義の方が好いというようです。

誰もが独裁国だと思っているロシア、ベラルーシ、ベネズエラなどでも、リーダーは選挙で選ばれることになっていて、形は民主主義です。

では、独裁主義も民主主義の一形態かといいますと、そうではないですね。形は同じでも中身は全く違う事は誰もが知っています。

建前だけでも民主主義にしないと通用しないという事なのでしょう。

やっぱり民主主義がいいという事になるのですが、いま日本で問題になっているのは、民主主義に金主主義が入って来たという問題のようです。  

金主主義も民主主義の中の一形態と日本では理解されてきているようですが、やはり「人間はカネとは違う」という事が大事のようです。

民主主義というのは、人間の頭数がすべてのベースで、投票して多数決、過半数という「生身の人間の数」が物事を決める基本だという考え方です。

人間の社会ですから、これは基本的に合理的ですが、勿論問題もいろいろあります。

例えば、権力や詐術で投票の結果を変えてしまうといった事もやられます。こうして選ばれたリーダーは往々独裁化して、その後の選挙では人々は権力で抑え込まれて独裁性が成立します。

多くの人間に間違った考え方を持たせるという方法もあります。その場合は間違ったリーダーが生れて、人々が後から気が付いて直さなければなりません、その時は社会が混乱します。

自由経済社会の中では、人々にはカネへの関心が強まっています。カネも人間と同じくらい大切、さらには人間より金が大切という人も出てきます。

リーダーになる人もカネが大事だと思えば、人間の数と同様に、あるいはそれ以上にカネがだいじで、具体的にはカネを出してくれる人を尊重することになったりします。

人間の頭数で決める民主主義に、カネにもあたかも投票権があるような、カネの影響が大きい状態になってきます。

そして「政治にはカネがかかる」といった言葉が生まれますが、これは実は選挙の得票には金がかかる」という意味なのです。 

日本にはイーロン・マスクさんのような人はいませんから、カネを出してくれる企業、団体が頼りになり「企業・団体献金」が票を集める手段の資金源として一般の人間より重要になるのです。

こうして総選挙ではカネで票田を耕し、無関心層は棄権してくれることが最も望ましいという(投票率50%)政権が安定政権だったようです。

譬えて言えば、カネに間接的な選挙権を認めるような事は「民主主義」の中に「金主主義」を取り入れ、民主主義の本質を変質させることなのでしょう。


国家予算は増える、GDPは増えない、やはりおかしいですね!

2024年12月28日 14時48分44秒 | 政治

この所毎日のように115兆円という数字が新聞でもテレビでもネットでも見られます。そして、過去最大とかいうコメントがついています。

皆さん疾うにご承知です。これから国会で審議される日本の来年度の国家予算の金額です。

予算の決定に最終権限を持つ衆議院がこれまでの与党絶対多数でなくなりましたから、この数字は修正される可能性もあるという説明もあったりします。

しかし結局は、多分そんなに大きな修正はなく、過去最大の当初予算という事になるのでしょう。

当初予算と書きましたが、これは勿論当初予算です。実を言えば、当初予算の時は増えた、増えた、過去最大とか問題にされますが、ついこの間もありましたように、政府は毎年補正予算を組むのです。

当初予算が決まれば、政府の来年度経済見通しが確定します。この予算で、これだけのGDPを達成しますという事にいなっているのです。

所が年度の途中で、これではとても見通しの経済成長は達成出来ないということになって、補正予算を組むのです。今年度は12月になって13兆円の補正予算を組みました。

つまり、国家予算は、「これだけの金を使って、これだけのGDPを(経済成長を)作り出すのでお認め下さいという関係から計算されているものです。

ところが、どうでしょうか国家予算は毎年増え、補正予算も成立させているのですが、GDPの方はほとんど増えないのです。今年度で見ますと、当初予算を組んだ時の経済成長率の見通しは1.3%でしたが、7月になったら0.9%になり、その後10月には0.7%になり、12月には13兆円の補正予算を組んで0.4%

成長という見通しになってしまっています。

つまり、政府の政策は、思った通りの成果には全く繋がらず、あとから予算を追加しても成長率は当初見通しの3分の1にも達しないという事です。

会社でこんな経営をやったら、株主総会で社長以下最低1~2分程は頭を下げて役員退任でしょう。

結局、この所の日本政府の中枢にある人達には、日本経済・社会を成長させるための政策を立案し実行する能力が欠けているという事ではないでしょうか。

内閣(役員)が能力不足なので、管理職は何をすればいいのか解らず、管理職の指示がどうにも不適切なので一般従業員(民間企業労使)は、手探りで何とか日々の仕事をこなしているが目指す成果は出ないという状態でしょう。

アメリカとは、また中国とは、こう付き合うべきといった「経済外交の基本方針」、「格差是正のための」税と社会保障の一体改革、「日本的経営に合う」雇用・労働政策、卑近な例では「お米の値段の正常化」につながる農業政策、などなど、国の基本方針、その実現のための政策の明示がありません。

民間が経済・社会の成長発展に最適な行動をとろうとしても、政府の不適切な政策で、それが出来ないような事になっているのです。

これではいくらお金を使っても(予算を増やしても)成長は無理のようですね。


政治と学術の健全な関係を

2024年12月23日 15時26分47秒 | 政治

嘗て菅総理が着任早々、日本学術会議選任のメンバーのうちの6人を政府として任命しないという決定をし、政府と学術会議の関係悪化が、困った問題としてマスコミに取り上げられました。

菅総理は「私が決めました」といいましたが、任命されなかった6人が、安倍政権の政策に対して批判的な意見を述べていたからといった見方が一般的になり、その上に、菅総理が、認めないとされた6人がだれでなぜ認められないかについても、納得のいく説明がなかったので、6人の学者もその意見も知らないで「私が決めましたはないでしょう」と随分批判されていました。

学術会議は任命しない理由を問いましたが、正式な回答はなく、この問題は、結局そのままでうやむやのうちに、政府と学術会議の関係がギクシャクするようなことになっていたようです。

そのご、岸田総理になっても6人を認めない問題は解決されず、政府はその後、日本学術会議は政府の一機関で、政府の予算で運営されているが、政府機関ではなく独立の組織とすべきではないかという見解を表明するようになりました。   

6人の任命問題をきちんと処理してから改組問題が筋という意見もありましたが、政府はあくまで意地を張って、6人の問題はなし崩しにしたようです。

結局は第三者委員会の意見を聞くという事になって、今回の解決策となったのでしょう。

態度としては、学術会議の方が大人の態度で、第三者委員会の方向で、今回、話が進み、日本学術会議は政府から独立した法人格を持ち、政府が財政支援をするという形で来年度予算に組み込まれるようです。

一国の政府が、その国の学術の分野を代表する組織に財政支援をするというのは極めてまともな事ですし、日本学術会議としても、政府の一機関というよりも自由度も増しますから了解ということのようです。

その上での話ですが、政府は、新法人に、首相が任命する「監事」を求めているようです。事の経緯からすれば、安倍総理の意に添わなかった学者6人の任命を拒否したことから始まったことなので、誰が聞いても、なぜ「首相任命」にこだわるのかという感じです。

学術会議でもこれを多少気にしているようですが、一国政府とその国の学術を代表する組織の間ですから信頼と大局的な相互理解をぢ時にすべきでしょう。

国民としては、一国の発展に如何に学術が大きな役割を果たすかに、思いを致し、政治と学術会議の間で、お互いに切磋琢磨できるような健全な関係を築くよう努力をしてほしいと思うところです。


「カネのかかる政治」をやめよう

2024年12月12日 14時35分11秒 | 政治

政治とは一体何でしょうか。解りやすく言えば、国や地方自治体が、その国民や住民にとってより良いものになるように考え、計画し、実行して、国民や住民の生活や文化の向上を実現する事でしょう。

政治は、企業経営とよく似ています。企業経営はより大きい利益を上げるための活動といった考え方もありましたが、今はCSR=「企業の社会的責任」という意識が一般的になり、利益を追求するだけのものではないと考えられています。

日本ではもともと、多くの企業の「社是・社訓」にあるように社会に、企業は貢献するという意識が明確で、近江商人は、売手、買手、世間の三方の満足、渋沢栄一は『論語と算盤』など、社会全体の為という考え方が一般的でした。

こうなると、政治も、企業経営も基本的には共通の考え方に立つという事になります。

現実の場でもそれが実証されているようで、会社の業績は経営者の資質・能力に大きく依存するというのは世の常識でしょう。

これを日本の政治に当てはめてみれば、前回指摘しましたように、1970年代までの日本国の経営は良かったが、その後の経営は失敗続きといった実態が見えてきます。

そうした中で、近年になって、常識のように言われるのが「政治にはカネがかかる」という言葉です。しかし、これは本当に常識でしょうか。

確かに、日本国の経営、地方自治体の経営にはカネが掛かります。しかし、そのカネはすべて税金やと社会保険料という形で法的に国民の負担として確保されているのです。

そしてその負担は,国民に迷惑を掛けないようにと、国家予算にしても、地方自治体の予算にしても、なるべく抑制し節約すべしというのが「常識」なのです。

では「政治にはカネがかかる」という常識は、何なのでしょうか。ここでいう「政治」は政治本来の活動ではありません。政治家のグループである政党の運営費なのです。

勿論、政党にもその運営のための経費は必要です。国も国民もそれは認め、国家予算の中から政党交付金を支出しています。

本来であれば、サラリーマンが給与の範囲で暮らすように、その範囲でやりくりすべきでしょう。しかし、それでは足りないとい所から「政治にはカネがかかる」という言葉が作られたようです。

確かに、選挙民に「わが党の方針や活動を知ってほしい」と 思えば経費は必要でしょう。ですから、それに対しては、個人献金が認められているのです。

但し、個人献金は、選挙の一票と同じように、個人が、その政党の活動を評価してのことでしょう。

ですから当然、政党は自分たちの働き、その成果の周知に努め、議会における活動などを選挙民に知らせ、それが選挙民と政治家の活動との相互理解の促進に役立つというメリットもあるのです。

政治献金は、政党や政治家の国民・住民への貢献を周知し、その評価が、個人献金に繋がるという所に意味があるのです。

草の根民主主義という民主主義の本来の形から、民主主義のあるべき姿を考えれば「政治にはカネがかかる」などと言う言葉は生まれてこないはずです。

この意味不明の言葉は、民主主義を金の力で汚そうという邪な欲望が「言葉」として現れた結果と理解すべきでしょう。


企業・団体献金は「さっぱりと」廃止を

2024年12月04日 14時41分33秒 | 政治

今国会で、片付けようと言っていた政治資金問題は、片付けないで持ち越しにして、だらだらと理屈をこねあうようにしたいというのが自民党の意向のようです。

かつて自民党もさっぱりと禁止をしましょうという事で結論を出したはずです。その代わりという事で政党交付金も決めて、それでるやる覚悟を決めたのでしょう。

その時の覚悟は何処へ行ったのでしょか。今回は、いつまでも未練がましく、国民の多くが反対というのにだらだらとしています。

国民の多くが反対という事を陰でやっていて、それがばれて裏金の逆効果で与党過半数割れになったのです。

民主主義の中ですから、国民の多くの意を戴して「さっぱり」やめて、スクラッチの選挙で出直しするという気概は今の自民党にはないのでしょうか。

もともと、一度さっぱり、きっぱりやめたものを陰でこそこそつ復活させて、これが次第に巨額になって、批判が多くなったら「政治はカネがかかる」という言葉を作って、庶民には解らない政治の世界のブラックボックスの存在も「仕方がない事なのですよ」と国民に思わせて今に至っているのです。

そして、いつ、どうして、さっぱりやめたものを復活させてのですかという理由は誰も知らなくて、復活して来ていたからそれで良いと思っていたという人ばかりが自民党の国会議員という事になっているのです。 

国民にしてみれば、政治は大事ですから「カネがかかる」と言われれば「そうかな」と思うかもしれませんが、良く考えれば、日本経済の運営に必要な金は、国民負担率で計算されているように税金と社会保険料で払い済みなのです。

それ以外に必要なのは、政党の運営費でしょう。

今の日本では、政党の運営費も政党交付金という事で国家予算から出ているのです。それも自分たちが「国民の意見」を聞いて決めたものです。

そんなものは最低賃金の様なもので、それでは次の選挙に勝てないと、自分で稼ぐ必要を感じれば、実績を上げて寄付を集める。それもいいでしょう。しかし、寄付が認められるのは、選挙と同じで、国民個人々々なのです。法人に投票権はありません。民主主義は「個人」がベースなのです。

企業や団体は、必ずしもそのメンバー個人の政治的意見を代表しているとは言えないのですから当然です。「寄付より給料を」という人も多いでしょう。

そうしたすべてを承知で、企業・団体献金を復活させ、30余年の政策失敗による経済低迷(業績評価マイナス)の中でも、自党の票田涵養に成功して政権を維持してきた自民党の実態が見えてしまった結果が現状という事でしょう。

ならば、「いわゆる政治資金問題」、就中、企業・団体献金問題を、かつての自民党の決断に戻さなければ、日本の政治も、社会も経済も良くならないと自覚し、思い切って「さっぱりと」国会で決定すべき時ではないでしょうか。


政府はマイナカードで何をしたいのか

2024年12月03日 13時16分56秒 | 政治

マイナ保険証が一般化するという事で、紙の健康保険証の発行がやめなりました。

ナイナンバーカードを持っていない人もまだ2割ほどいるようです。紙の健康保険証はまだ1年程使えることになったようですが、マイナカードに健康保険証を登録してないは、早く登録してくださいという事です。

わたくしも登録しましたが結構面倒でした。この登録では、地方自治体の現場などで沢山のトラブルがあって大変だったようです。

登録はしましたが、病院に読み取り装置がないので使い道がないというのが長い間つづきした。

その間、種々の届などで市役所に何度か行きましたが、書類提出の際マイナンバーカードをお持ちくださいという事で持っていきました。市役所の受付には、マイナカードの読み取り装置はありません。届ける書類にマイナンバーは書き込んであります。

マイナンバーカードを見せてくださいというのでお見せして照合しました。代理人で行ったときは代理人の署名捺印をした書類を持っていきましたが「マイナンバーカードをお持ちですか」と言われて、持っていると言いましたら、それも見せて下さいと言われました。

「ちょっとそれ、両方お貸しください。コピーを取りますから」という事で並べてコピーしたものを見せてくれて、これで結構です、お返ししますということになりました。マイナカードを使うと随分手続きが面倒になるなと感じました。多分、お役所の方のマイナカード対応システムが出来ていないのでしょう。

病院の場合は、そんな事をやっていたら、患者の大迷惑ですから、早く端末読み取り装置を普及しなければという事だったのでしょうこの夏ごろから各診療所調剤薬局などにも装置が増えてどこも置いてあるようになりました。

所がだれも使っていないのです。受け付けでは紙の保険証と診察券を受け取って1秒か2秒でOKです。

という事であえて使わないでいましたが、暇そうなときにこれ使ってもいいですか、どうぞお使いくださいという事でカードを絵の通りに入れたら顔認証か暗所番号の選択になっているので、精度が良いと言われる顔認証にして、3つほどの質問に答えて、診察券を渡して完了でした。

「どちらがご都合がいいですか」「どちらでも結構です」でした。しかし、今に至るカードリーダーを使っている人はほとんど見かけません。

先日は調剤薬局で「これ使うと何かいいことありますか」と聞きましたら、「お客さんには特にないでしょう。うちの方は記録を見ることはできますが、あまり見ることはありません」といった後で「お持ちですか」と言うので「持ってます」と言うと「それなら入れてください。「こちらの都合ですが「利用をふやせ」と言われてますんで」という事でした。

今後は、身障者手帳も、運転免許も、マイナカードに入るそうです。読み取り装置の準備はどうなるのでしょうか。

国民には何のメリットがあるのか解らないという事は、日本の行政システムがデジタル化していないからでしょう。(いつまでカードをコピーしてFAXで送るのですか?)

行政システムの方、つまり受け皿を準備してからマイナカードをお使い下さいというのが順でしょう。

というより運転免許証も身障者手帳も、みんな政府がデータを持っているのです。マイナカードへの登録はお役所の中で完了できるのです。

そして、全部できたら「こんな国民に都合のいい社会なりますという設計図を示して、国民の賛同を得ることがデジタル省の役目でしょう。


企業団体献金は何故反対されるのか

2024年11月13日 15時35分12秒 | 政治

政治資金改革の中で、最も議論が伯仲するのは企業団体献金を認めるのか、認めないかではないでしょうか。

国民の多くは認めない方がいいと考えているようですが、沢山払っている大企業と、沢山貰っている自民党に賛成意見が多いようです。

沢山もらっている自民党に賛成が多いというのは誰でもわかりますが、沢山払って

いる大企業や、大企業の団体が賛成というのはなぜか良く解りません。

経団連の会長さんは、「これは社会貢献だから必要だ」と言われているようですが、「社会貢献という意味が解らない」という人は多いようです。

政治を行うのには、お金が必要だから、その役に立つように犠牲的精神で献金をするという事なのかもしれませんが、全く同じ趣旨だと思われる法人税については、いつも「引き下げるべきだ」と強く主張していますから、多分、税金と献金は全く趣旨が違うのでしょう。

貰う方の立場からはどうかと考えてみますと、公務員には、政府自身が決めた歳費や給与が支払われています。

立法を担当する政治家には秘書の給料なども含めて確りした歳費が支払われ、その上、政党にも政治活動のための「政党給付金」が支払われ、それは政治家が種々勉強をしたり有権者に教宣活動をしたりするために支出されているようです。

たしかに、使える金は多い方がいいに決まっていますが、必要な勉強をしたり受験生のように選挙の準備をしたりするのは、学者でも活動家でも、自分の通常の所得の範囲でやっているので、そのための特別のお金など滅多に出ません。

個人の勉強や活動の範囲では使いきれないような膨大な金を集めて、それが何に使われたか解らなくても許されていたのがこれまでですから、反省して、「もうやめます」というのがまともでしょう。

改めて出す方から考えてみますと、本当に必要なものは法人税で払いますから、もう「どんぶり勘定」はやめましょう、企業と言っても大企業になれば、これはもう「公器」だというのが日本の伝統的経営道義、企業倫理です、国民の納得が必要です、と言うべき所でしょう。 

 

こうしたごく当たり前の感覚による判断が、受け取る方、払う方の双方になくて、結果的に、巨大などんぶりか、ブラックボックスの中でやられていたのですから、すべての国民が納得するように、「日本国を運営するコストは、すべて税金で」という事にして、国民の目の(テレビの)前で、正々堂々の議論で決まるようにしてほしいと思うところです。

「誤って、改むるに、憚ること勿れ」、今後はもう誤ることは「ない」と言えるようなシステムを作ってほしいと思うところです。


政治家も「自由からの逃走」をしているのでは?

2024年11月12日 22時13分19秒 | 政治

今日はちょっと書きにくいことを書いています。

政治の世界は普通の世界とは違い、いろいろと過去の経緯や党利党略があり、そうしたことの背後にそれぞれの政党としての思想信条があるという事になっています。

共通の思想信条の組織・集団であってみれば、所属する政治家の思想や思考形態、そして行動も、所属する政党、さらには派閥という組織の枠組みに従い、基本的に同質であるはず(あるべき)だというのが重要な規範かもしれません。

そうした考え方は、組織の統制上は好都合かもしれません。しかし、組織の構成員一人一人の選択や行動を尊重する視点からすれば、必ずしも合理的とは言えないでしょう。そんな前提で、今回の衆議院の首班指名の決選投票の数字を見てみましょう。

最初の投票では、石破221票、野田151票で1位、2位共に過半数233票に届かず、なりました。

決選投票は、当然、石破、野田のご両人で、それ以外の名前を書けば無効票です。

国民民主党では、玉木党首が、決選投票になったら玉木雄一郎と書くと宣言しました。

これには違和感を感じた人も多いと思われます。玉木の名は、決選投票にはありません。書いても無効票です。

決選投票というのは、候補者2人の中から良いと思う方の名前を書いてくださいというのがルールです。

ですから勝手な名前を書くのは、与えられた権利(責任)が嫌だから、面倒だから果たさない、つまり「逃げる」ことになります。

そのうえで、自分の名を書くという事は全く意味がありません。意味があるとすれば、それをマスコミに言う事で、自分のPRになるかどうかということでしょう。

日本維新の会もそれに倣ったのか全会一致で馬場代表の名前を書くことに決めています。

決選投票の結果は、石破票221で変わらず、野田票160,無効票84で、無効票は決選投票の趣旨から逃げた国会議員の数でしょう。

野党から石破への票はなかったようで。野党からの野田票が9票増えています。84の無効票は、国民民主党、日本維新の会その他、決選投票のルールを逸脱した票という事になります。

巷の意見では、折角自公の過半数割れで、政権交代のチャンスが来たのに、野党内の足並み不揃いで、政権交代はなくなって残念だとの声もあったようです。

無効票の中身は解らないので、あとは憶測ですが、国政に責任を持つ国会議員が投票すると言っても、多くの国会議員は、国民の声を聞き、そこから自分の考えを固め自らの判断に従って投票するというより、組織の方針を鵜呑みにするという事が多いのではないかと感じてしまうところです。

無効票というのは、結局は「勝者に賛成」という意思表示になるのです。自分の意思を行使できるという自由が面倒だからと(難しいからと)逃げた結果が国民に押し付けられることになるような気がしています。


健全な社会と政治・経済の関係

2024年10月31日 14時24分40秒 | 政治

今、日本の大きな課題は何でしょうか。衆院選の争点は政治改革と経済の再生でした。

敢えて、一つ取り残されていたと言えば、日本社会の劣化の問題でしょう。

日本社会は基本的には健全で安定した社会だと思いますし、海外からの評価でも、最近増え散るインバウンド人たちの意見でも、安定した社会とみられているのでしょう。

しかし、われわれ日本人から見ると、最近、従来は考えられないような事件も増え、毎日のニュースを見ていても、何でこんな嫌なニュースが次から次へと出てくるような日本社会になったのかと恐ろしくなることが多くなりました。

最近、夜、明かりをつけている家が増えたように思いますが、連続強盗事件を心配する家が多くなったからでしょうか。

毎日のようにマスコミが警告している特殊詐欺事件の被害額もなかなか減らないようです。投資を装った詐欺事件も報道が頻繁です。

書きたくはない事ですが、無差別殺傷事件、家族間の刑事事件など、異常な事件も大変気になるところです。

加えて言えば、企業内の検査基準を順守しないといった問題も頻発です。

もともと根は真面目で、社会規範を順守する気持ちの強い日本人がここまで劣化するとはまさに想定外ですが、現実は現実です。

原因は、バブルとその崩壊、その後の30余年にわたるゼロ成長、ゼロサム社会の中での不合理な格差拡大が日本人の心を荒廃させたからと感じている人は多いでしょう。

これからの問題は如何にしてそれを元に戻していくかです。

原因を順に遡れば、成長しない社会の閉塞感、その中での不合理な格差の拡大、やり場のない怒り、などなど、持っていきどころのない不満感が人の心の正常な感覚を蝕んできたのではないでしょうか。

今、政府も各政党も、日本経済の建て直しに的を絞っているようです。経済を建てなおせば、社会は良くなると考えているようです。

実はこのブログもそう考えています。経済の建て直しは30年来の重要課題です。問題は、「しかし、それは政府の仕事ではない」という事です。

税と社会保障制度の抜本改革で格差社会化を是正する、といった長年の懸案、その枠であるトータルの国民負担率の適正化は政府の仕事でしょう。

しかし、どこそこに補助金を出すとか、一時的な減税や給付金で消費を増やそうなどという事は考えない方がいいのです。

そうしたツギハギ政策はすべて、国民の合理的な経済活動を歪め、日本経済の効率を悪くするだけです。(政府の見える手)

昨年あたりから日本の企業も労使も、そうした問題に気付き、労使の配分の正常化、消費と投資のバランスの是正に連合・経団連も動き始めています。

政府は良きルールを作り、産業界はそれを生かす活動をするという本来に戻りつつあります。

そこで最も重要になるのが、これこそ政府の仕事、健全な国民負担率の設定と、社会保障を含むその適切な分配です。(その合理性、公正性が政府信頼の源泉です)

今、日本の国民が最も不安、不満を持っているのは、その適切な分配でしょう。税と社会保障の一体の抜本改革です。新たな日本の再生です。

それを全力で担当する政府は、清潔で合理的な政府でないとできないでしょう。

話を基本に戻せば、今までの自民党中心の政権が、明らかになってみれば泥沼の政治でした。権力とカネと保身の渦の中で総理は平気で国民に嘘を言っていました。

それを直すことから始めるのが基本でしょう。日本経済をよくするのも、日本社会をよくするのも、「日本の政治が清潔で合理的なものになって」初めて可能になるのです。汚れた手や心ではでは、それは出来ません。

繰り返しますが、政府は、まずすべての前提条件「クリーンな政治の実現」に十分な時間と労力をかけてください。国民は待っています。(密約や野合はナシ)

経済は民間産業界、労使の組織が政府の余計な手助けは不要と言っているようです。


閣議決定で済ませたものが色々ありますが

2024年10月29日 13時39分12秒 | 政治

安倍政権以来でしょうか、閣議決定が多用(乱用)されて来ているような気がしていました。

集団的自衛権もそうですが、閣議決定で済ませていていいのかなと思うようなことがが、閣議決定で決められて、そのまま事が進められているような気がしています。

閣議決定と言えば、企業なら取締役会決定という事でしょうか、法的には。その効力は大きくても、出来れが広い合意が望ましい場合も多いでしょう。

勿論、国家の大事であれば、国会で決議すべきではないかなどと思ってしまって、しっかり国会で審議してほしいと思う人は多いはずです。

解説などで見ますと、閣議決定は仮建築の様なもので、勿論それを活用してなんでも出来るのですが、本来から言えば、仮建築ではなくて、本建築にした方がいいなどと書いてあったりします。

やっぱり国の大事であれば、国会で審議をして正式にした方がいいのではないかとは思っていたのですが、ある時「そうか」と気が付いたのは、国会にかけても、結局は原案通り通ることになるという現実を前提にすれば、結局はどちらでも同じことだという事でした。

国会にかければ議論は紛糾するかもしれません、しかしどんなに紛糾しても、与党が絶対多数ですから、最後は強行採決で原案通り通るのです。

安倍さんはよく、「強行採決などは考えたこともありません」などと言いながら、ずいぶん強行採決をやっていましたから、無駄な事をやっても結局は無意味という事になるだけだと考えていたのかもしれません。 

当時は、やっぱり絶対多数は強い。いざとなれば「政権の独裁的行為すら可能にするのが現実」、などという無力感に支配される思いもあったようです。

しかし、今回の選挙で、この前提条件が変わりました。

立憲民主党の野田さんが「今回の選挙の目的は「自公政権の絶対多数を阻止することです」と繰り返していましたが、それが実現しました。「何なら強行採決をしましょうか」とは言えないことになったのです。

そうなれば、閣議決定の仮建築で済ませていたことを、やっぱり本建築にすべきではないかの議論を国会ですべきだという事になるのではないでしょうか。

仮建築とは、基本的に違った建物にしなれば、本当の役には立たないという事になるものも、多いのではないでしょうか。

ちょっと考えてみただけでも、先にあげた集団的自衛権、防衛力整備計画、経済財政運営の基本方針、こども未来戦略、などなど国民の思いとは必ずしも一致しないものは数多くあるはずです。

日本学術会議との関係の修復なども、長い目で見て日本の、学問レベル、科学技術立国などとの整合性が問われるところでしょう。

政治的混乱を早期に収拾し、国民の意を戴して確り活動する政権の早期発足が望まれます。